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星の由来

 れは、ある時街にやって来た汚い乞食から聞いた話です。今でも僕は夜空を見上げると、乞食の濁った薄青い目玉や、曲がって瘤だらけの背中、そして奏でていた大きな手回し式のオルゴールを思い出します。これはたったそれだけの話です。それ以上でもそれ以下でもありません。



 ある日の終わりかけた夕暮れ時に、大通りを通りかかると、店じまいを始めていた乞食が藍色の夜に乗って東の空に散らばった星に気づいて手を止めるのが、ふと目にとまったのです。


「ああ、今日もあんなところにあの哀れな星が輝いておる……」

 その乞食の声に含まれた悲しみに、僕は乞食を呼び止めて問いただしてしまいました。

「ほら、あすこに消えそうなほどか細い光を放つ星があるでしょうが」

 乞食は目を細めて、夜空に目をやりました。

「おめえさんはあのかなしい星を知っていなさるか? そうか、知らんか。それじゃあ少し、てめえの話を聞いていくのもいい暇つぶしになるだろうて……」

 そう言って、乞食は話し始めました。




 これは遠い遠い昔の話。もう覚えている人もほとんどいないでしょう。あるところに、ひとりの女の子がいました。その子は生まれた時から重い病気にかかっていて、高い塔で暮らしていました。そこから出たことはいちどもありませんでした。そして、これからもないと思われていました。

 女の子は、窓から外をながめるのがとても好きでした。窓にはまちがって落ちてしまわないように、大きくて黒い無骨な鉄格子が嵌っていて、女の子は大きな窓枠にもたれかかって座りながら、毎日何時間も飽きずに外を眺めて暮らしていました。それが彼女の生活のすべてだったのです。

 塔の遥か下には、藤色のアーチと緑の垣根に囲われた、金色の花が咲き乱れるうつくしい庭が広がっていました。けれども、女の子は下を見るのが怖くてたまらなかったので、かわいそうにその美しい小さな庭を見ることがほとんどできませんでした。

 その代わり、女の子は空をながめました。昼間は白い雲と、青い空を自由に飛び交う鳥たちを。夜は深い闇に散らばった、繊細な銀細工のような星々を。

 女の子は、夜が好きでした。太陽は少し、眩しすぎました。あの強い光といったら、女の子の影すらも消してしまいそうなのですから。その分、夜はもっと優しい光を女の子に投げかけてくれました。あのちいさな星の、ひとつひとつが女の子を闇の中で浮かび上がらせてくれました。女の子は夜が好きだったのです。

 女の子の病気は、治る見込みがありませんでした。病いという重苦しい鳥かごの中で、彼女はひたすら星を見つめ続けました。星たちは「どうかその戦いをやめないで 怖くても」と彼女に囁き励ましました。そのうち星は去って、太陽が現れます。しばらくすれば、また太陽は去って、再び星が現れます。そんな風に、月日はめぐっていました。



 その星の降るような夜にも、女の子は眠れずに窓に寄りかかって空を見ていました。あまりに綺麗な夜だったので、女の子は立ち上がって鉄格子に手をかけて外を眺めようとしました。すると、鉄格子は女の子のちいさな白い手の重みで、がたんと無愛想な音を立ててはずれてしまいました。長い月日のあいだに、ねじがすっかりゆるんでしまっていたのです。女の子はびっくりしてしまいましたが、しばらくして落ち着くと、おそるおそる窓を開け放ってみました。すると心なしか、星空が近づいたような気がしました。夜風が女の子の髪と服をはためかせます。女の子は少し微笑みました。


 そして、女の子は窓から身を躍らせました。女の子のちいさなからだは、下へ下へと墜ちていくかに思われました。しかし、不思議なことが起こったのです。その瞬間、世界の天と地が逆さまになり、女の子は空へと落ちていきました。どこまでもどこまですっと。そして、しまいにはちいさなちいさな星になってしまいました。



これが、この夜空にまたひとつ、星が増えた由来のお話です。そう言って乞食は話を終えました。





 さあ、あなたも空を見上げて御覧なさい。そして目を凝らして探すのです。あの消えそうなくらいに輝いている、ちいさなちいさな白い星を。










end



  1. 2010/07/06(火) 11:15:50|
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