inkblot

20160124


 今年から博文館の当用日記を使い始めた。日記は三日坊主派である。まあ五日続いたためしもないのだが、いまのところ奇跡的に続いている。これが非常によくできた日記帳なのだ。使い勝手のいいフォーマットというだけではダメだ、大事なのは情報量だ。六曜、旧暦、その日付に過去起こった出来事、短歌なんかが一頁に書き込まれているので、それが見たくてつい日記を手に取るし手に取れば書く。という訳で小生は1月24日がちょうど旧暦の12月15日になるということを知って少し興奮している。

 旧暦というのは太陰暦、つまり月の暦なので毎月15日は必ず満月になる。月の信仰は古い。月はひとつきの間に、死んでよみがえるからである。今でもあちこちの神社の神事だったりは依然としてどこかの15日にやることが多いのではないかと思う。たとえば成人の日も少し前までは1月15日だった。12月15日は一年最後の満月だから、この日におこなわれる神事もやはり多い。たとえば宮崎県の銀鏡(しろみ)神楽は猪の生首を神饌として夜通し三十三番からなる神楽を舞う。かねがね観に行きたいと思っているのだが、なにせ遠い。

 さて、月の信仰に話を戻そう。信仰の核となるのはやはり月が生死を繰り返すことだ。月の信仰は太陽信仰にさかのぼると言われている。日本でいえば、縄文時代にそれは濃密にみてとれる。死と再生を繰り返す月神の涙や唾液や鼻水――つまり体液もやはり同じ力を持つと考えられていた。変若水(をちみず)だ。顔面把手付深鉢形土器という縄文土器がある。壺の縁に、そこを覗き込むように顔がついている。その目や鼻や口からこぼれ落ちた体液がたまっていく。月神をかたどった顔のついた土器、その中には変若水の代わりに酒で満たされていたのではないか――。ネリー・ナウマンはそう論じた。

 12月15日。最後の月が満ちる。死にゆく年はやがて古い皮を脱ぎ捨てて生まれ変わるだろう。月神の持てる霊妙なる水がほんの一粒でも誰かの墓標に注げばいい。



  1. 2016/01/24(日) 10:07:56|
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