inkblot

メレンゲ 『CAMPFIRE』


 レーベル移籍後初のフルアルバムである。移籍後にリリースされたすべてのシングルのA面・B面が収録されている。B面まで入っていることに関しては、新曲が少ないと不満に思う人も少なくないかもしれない。だが、シングルのB面なんて、たとえバンプレベルのバンドでも認知度は低い。そのうち廃盤になる可能性も高い。B面もアルバムに収録したということに、バンドの強い意志が反映されているとみるべきではないか。A面はすべてタイアップ曲であって、外部から求められたメレンゲであり、B面こそが最も届けたい部分が出ている曲である。そういった認識が少なくともクボの中に強くあるのは確かだ。B面なんて、そのままではどんどん聴かれなくなってしまう。だからこういったかたちですくい上げたのはスマートなやり方だったと思う。もちろん、一曲でも多く新曲を聴きたいのはそうだけども、このペースでタイアップ曲を作るという負荷はクボにとって非常に大きなものだったろう。贅沢は言わない。

 やりたいことなんてキリがないが、やれることには限りがある。制約の多いその中で最大限やりたいことをやったのがこのアルバムなのだろう。初回盤のライブDVDも、前回の渋公ライブのダイジェストと比べると、なんだか燃え尽きたというか、お粗末である。そもそもコーラスがやたらと前に出ていて非常に聴き苦しい。ボーカルよりもデカいよな。画質もわざとなのか、悪い。だが「楽園」なんかはとてもよい。ものとしてのクオリティは高いとは言えないけども、自分なんかはただのファンだし、バンドの意図を汲むととても評価したくなる。

 まあDVDはオマケにすぎないし、音源自体の話をしよう。小生はもう最初の一曲でクボンゲを抱きしめたくなった。「CAMPFIRE」。はっきり言ってポストバンプ的なのだが、凡百のポストバンプバンドとは一線を画している。「ポストバンプ」を超えた先にたたずんでいるような気がする。

 最近のメレンゲはバンプっぽい曲が多い。「クレーター」、「東京にいる理由」なんかが今作ではそうである。まあかなり初期からメレンゲは良質なストーリー性の高い曲を武器にしてきたから、それをバンプっぽいというのは失礼なことだが、なぜメレンゲが凡百の「ポストバンプ」勢と同じ轍を踏まずにこれたかというのは、バンプのフォロワーたろうとしたのではなく、本質はそれぞれ別だが、偶然技術=表現形式が似たところで、それをさらに少し寄せただけだからだろう。まあ何にしろ、詞も曲も声もアレンジも個人的にドストライクである。クボ氏、ありがとう。アツく抱擁しすぎて、すでにもう50回くらい妄想の中でクボンゲの肋骨を粉砕している。

 「クレーター」はもう今さらいいよな。好きに決まっている。「アンカーリング」は『シンメトリア』初回盤付属の詩集にあった「フレディ」をふくらませたもの。あの詞がまさかこんなメロディをまとうことになるとは思わなかった。メレンゲにしては男らしい曲だが、なんとなくグレイプバインぽいな。面白い。ただメレンゲにバインの色気は出せないだろう。一回ちょっとバインのカバーとかも聴いてみたいな。「君を待つ間」とか、あの微妙な屈折が消えて、ふつうにかわいい曲になりそうな気がする。

 「エース」。これは2010年くらいの曲だったはずだ。古い。虹のモチーフだとかメロディの感じから、おそらくガッキーへの一連の提供曲と兄弟関係にあると思う。ライブでたしか二度ほど聴いていたが、こんな曲だったかそういえば。今じっくり聴いて、ミスチルをかなり意識して書いているなという気がした。ここ最近の80‐90’sポップ的なテーマというのは、作者であるクボの幼少期-思春期に染み込んだものが提供曲やタイアップ曲の仕事によって引きずり出されているような面白さを感じる。あとサビにちょっとユニゾンスクエアガーデンぽさもある。

 「流れ星」。素晴らしいの一言。歌詞自体は2009年に中島美嘉に田中ユウスケと書いた「流れ星」で、おそらく零れ落ちたか、あるいは意図的に切り取った短い詩がもとだ。それはずっとブログに載っていたがいつのまにかデータが消えて、『シンメトリア』の詩集にも入った。思い入れはあるようだったが、長いこと完成しないので、もうこれはこのままになるんじゃないかと思っていたが、いやはややってくれた。歌詞の核となっているのはやはり最初にあったパラグラフで、そこが一番言いたいところなのだろう。他の部分はかなり甘ったるい。だがメロディはなぜこんなに美しくて悲しいのか。歌詞は幸福な恋愛のワンシーンといった感じだが、メロディがあまりに切ないので、ここで語られている恋愛のファンタジックな時間というのはすでに(悲劇的な)終わりを迎えていて、この歌は回想された物語=枠の不可視化された枠物語なのではないかとさえ思える。これもやはり90’sの匂いというのが濃厚だ。思えば90年代のミュージックシーンはミスチルの君臨した、ミスチルの時代だった。そしてゼロ年代とはバンプの時代である。

 「僕らについて」。やはり名曲。アルバム全体としてみると、エレクトロニカはこれだけなんだな。何回も言っているが、メレンゲがエレクトロにもっとやる気を出したらスーパーカーを超えられると思う。だがもっと若いうちにやっとくべきことだったかもしれないな。2009年を経たメレンゲは最早大人にならざるを得ない。スーパーカーの目指していたものは大人になってしまったら体現できないものだった。けれども、音楽性のふり幅の広さを示すものとしてだけではなく、エレクトロニカが軸のひとつとなったらもっと楽しいかもしれない。誰がって、小生がである。

 「東京にいる理由」。ライブで初めて聴いた瞬間、心を撃ち抜かれた。BOC「銀河鉄道」によく似ている。もう言うまでもなくドストライクである。言わせんなよ。。。もはや鼓膜反射みたいなものだ、正直ちょっと悔しい。楽器に詳しくないのでよく分からないが、これもマンドリンでいいのか? ライブで松江潤が弾いていたマンドリンぽいのはボールバックじゃなくてフラットバックだったな。マンドリンは形が色々あるのでよく分からない。

 「さらさら90’s」。これ絶対仮タイトルそのままだろ。初聴からしばらく、ミドリカワ書房の「I am a mother」にしか聴こえなくて大変困った。こういう懐かしいサックスの使い方は全部そういう感じに聴こえるんだよ。。。ハマショーなんか知らん。ぶっちゃけ最初のうちは曲の「古き良き昔」になりきらないくすぐったいような恥ずかしい懐かしさに衝撃を受けたが、やっぱりさすがのメロディメーカーである。ミドシンなんかと比べたらめちゃめちゃ失礼だな。ボーカルもすばらしい。

 そう、このアルバムはボーカルがすばらしかった。張り詰めている。これだ。これが聴きたかった。クボンゲはMCだけ観ていると「こいつ大丈夫なのかな」としか思えないが、あれで実に頭のいい男である。曲を作る時の論理の緻密さというのは分かるだけでもなかなかだが、分からない部分はおそらくもっとすごいことをしているのだろう。だがいざ歌うとなると、逃げ場がなくなって全てが歌に叩きつけられる。壮絶な場に身を置いている。余裕のないその声がもっと聴きたい。ありがとう。


  1. 2014/11/20(木) 22:02:38|
  2. 音楽
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<いつだって必死 | ホーム | 20141024 LIFE LIFE LIFE>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://kirschrot.blog40.fc2.com/tb.php/640-26ccc7ab
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)