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火の鳥を殺す その5

 まだ日の昇らないうちから起きて、ハルシオンは湯を沸かしコーヒーを淹れながら、ぼんやりとサボテンに降りた夜露を眺めていた。さっきから視界に痛みを伴って、微かな閃光が瞬いている。どうやら自分の目で見ているものではないらしい。自分ではないとすれば、残りはチェスターしかいない。動物たちとは感じが違う。ハルシオンはコーヒー片手にチェスターがうずくまるようにして寝ている所まで歩いて行き、しゃがみ込んだ。頭まで寝袋をかぶっていて、顔は見えない。ハルシオンはそっと寝袋をめくった。顕わになった顔は蒼白である。目は堅く閉じていて、唇がきつく結ばれている。

「なるほど。頭痛持ちか」

 ハルシオンは呟くと、コーヒーを置いてチェスターの荷物から抜いてあった薬入れを取り出す。カウボーイで体のどこも悪くない人間はむしろ珍しかった。ハルシオンも勿論その手の知識は多少ある。中身の半分近くは不健康な薬物だったが、目当ての薬もちゃんとあった。特殊な頭痛薬である。胃の薬もつけてチェスターに渡す。チェスターは薄目を開けて受け取ると口に押し込み、コーヒーで流し込んでまた目をつぶった。後は放っておいていいだろう。ハルシオンはチェスターのそばを離れた。

 無理やり食料を腹に詰めた後は、機材のチェックをする。移動中は埃っぽいので精密で繊細な機材はしっかり荷造りがしてあって、解くことはできないが、メインのギター何本かはいくらでもいじくれる。ハルシオンはシングルカッタウェイ(高フレットを弾き易くするため、ボディーに施されたカット処理。レスポールは一般的に高音弦側のみに施す)のレスポールスペシャルを、計八本所有していた。一見すると大した違いはないように見えるが、内部の配線や部品がカスタマイズされていたり、ヴィンテージのオリジナルモデルであったりとそれぞれが全く違う一本だった。流石にすべてのスペシャルを四六時中持ち歩く訳にはいかず、半分ほどはアッシュビルに持っている倉庫に保管してあった。

 ハルシオンはここ数日使っているメインのスペシャルを手に取った。この荒野で何日も酷使しているので、汚れもかなりある。弦は張り替えたばかりなのでそんなに酷くは傷んでいないが、ナット(ヘッドと指板の間にある、弦を食い込ませて張り詰めさせている部材)がかなり摩耗してきていた。この間、アッシュビルで馴染みのギター職人(スミス)に交換してもらったばかりなのだが。まだいくらかは持ちこたえるだろうが、今後の使用度合いによっては早めにどこかの街のギタースミスにみてもらった方がいいかもしれない。

 ボディーを磨いたり、一通りの手入れを済ませると、チューニング(調弦。音程を合わせること。チューナーを用いることが多い)し、ポロポロと弾き始める。これだけのことで時間はいくらあっても足りない。淀むことなくアルペジオとリフのうねりが流れていく。ハルシオンは頭を垂れて、その中に没頭した。

 我に返った時には頭痛の波長はほとんど消えていて、鋭い響きが耳を貫いた。ハルシオンはギターを弾く手を止め、チェスターの方へ歩いて行く。

 チェスターは起き上がっていて、寝袋の上に腰を下ろしていた。少し腫れた両手で顔を覆って泣いている。正面まで来て、ギターを抱えながらしゃがみ込んだハルシオンを、指の間からギラギラした目が捉える。

「またそうやって近づいて来る…… 放っておいてくれよ…… オレと同じになるのはやめてくれ。あんたはオレじゃない! 出てけよ…… なんで居るんだ…… 独りになりたいんだよ…… 泣いてる時くらい放っといてくれよ……」

 チェスターの震えた声が凄まじい切れ味で所構わず突き刺さる。

「悪いな。だがここはあんたの響きが強すぎて、自分からは出て行けないんだ。どうやら、入りたくても入れないやつもいるみたいだが……」

 ハルシオンはちょっと緑色の目で遠くを見て言った。

「でも俺を入れたのは関係ないやつならいいと思ったからだろう? どこかで独りでいたくないと思ったからじゃないのか。泣いたっていいんだぜ。俺も少しは支えてやるから、したいようにすればいい」

 チェスターは口をへの字に曲げて、子どもみたいにポロポロ涙をこぼしながら、頭をかきむしった。

「ホントは意地張ってるだけなんだ。分かってても感謝できないんだ。そういやバンドのメンバーにもいつも悪態ついてばっかりだ…… 悪いな。こんなクズ野郎のお守りさせて悪いと思ってる…… 皮肉を言ってるんじゃないぜ…… これはホントだ……」

 チェスターはうつむいた。

「分からないんだ。考えるよりも先に涙が勝手に出る。何も分かってないのに。考えても考えてもちっとも分からない。だんだん意味もなく怖くなってくる。これだけ考えてるのに、全く分からないんだ、体ばっかり大きくなっても全然心は大人になれなかった、そのツケが今来てるんだ、あいつの方がずっと大人だった! どうしよう、何もできないんだ、何も!」

「それは違うな」
「えっ?」

 ハルシオンの穏やかな声に、チェスターは虚を突かれたような顔になる。

「そんなのは誰が考えたって絶対に分からない問題(こと)だ。あんたはそれについて考え込むことで思考停止して逃げているだけじゃないのか。考えるべきことは他にあるだろう。あんたに出来ることはあるはずだ」

 言っていることは厳しいが、声の響きは柔らかいままだった。チェスターはその言葉を聴いて、険しい顔で考え込む。ハルシオンは無言でチェスターの手を診ると、食べ物をいくつか置いてそばを離れた。

「飯は食えよ。食わなかったら何もできないからな」
「しつこ――…… 分かったよ」

 チェスターは顔をしかめながら、嫌そうにもそもそとパンを口に運ぶ。ハルシオンはそれを見て、真面目くさった顔でしかつめらしく頷いた。チェスターは腹にものを詰めながら、思考にもぐっているようである。ハルシオンは構わずに、前の街で買った漫画(コミック)の、派手な色で刷られた粗悪な紙をめくり始める。何気なく読み出したはずが、いつの間にか引き込まれている。ハルシオンは無意識に正座した。一緒に買ったほかのコミックやペーパーバックも、どれも彼は大変面白く読んだ。大抵の人なら暇潰しに読み飛ばしてあくびでもするようなものだったが、ハルシオンは丁寧にじっくりと読む。そのうちに文字が判読しづらくなってくる。変に思って顔を上げると夜だった。日の光はもう西の端に残っているだけで、焚き火が赤々と燃えていた。


  1. 2013/12/24(火) 19:00:02|
  2. 短編
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