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火の鳥を殺す その2

 手の中のハープをじっと見る。もう音は鳴っていないが、ハープを共鳴させた聴き慣れない激しい熱が微かに、だが確かに感じられた。間違いない。この近くにカウボーイがいる。気楽な旅のさなかの手すさびという様子ではなかった。もっと強く張り裂けるような響きがある。彼は決して他人(ひと)と積極的に関わりたいと思うような社交的な性質(たち)ではなかったが、そんな彼をして無視できない響きがあった。ハルシオンはハーモニカをポケットに仕舞い、手綱を取ると目を閉じた。

 元々幼い頃から目が悪かったから、視力にはあまり頼らず生きてきた。耳が彼を行くべきところへ違わず導いてくれる。ここからだと、音のする地点まで四、五リーグほど(ここでは一リーグ=約五キロ)の距離があるだろうか。シャイア馬の巨躯が大地を疾走する。太い脚はあっという間に景色を後ろに流していく。それに比例して、音像のほうも次第にはっきりしてくる。同時に積んでいる機材も次々と共鳴を始める。

 あと三リーグというところへ来ると、その共鳴はさながらオーケストラのようになった。やかましく、音圧も大分上がったが、本来の響きの邪魔はしていない。あと二リーグになろうかという時からは、今度は次第に機材の共鳴がひとつ減り、ふたつ減り、近付くにつれて曲の求めている音を持っている楽器だけが残るようになっていく。あと一リーグという頃には、鳴っているのはエレキギター(アンプに繋ぎ、電気信号を増幅することで音を出すギターを指す)一本になった。あと一マイルの距離で、最早これ以上近寄ることが出来ないと悟ると、ハルシオンは馬をとめた。まだ鳴動しているギターを取り出す。ギブソン、レスポール・スペシャル。まるくずっしりとした蜜色のボディーにピックガードと四つのコントロール(ヴォリューム・トーンを調整するつまみ)の黒が映える。ストラップを肩に掛けると、ピック(ギターを弾く際に用いる、小さな板状の撥)を口にくわえ、スペシャルの尻にシールド(機材を繋ぐ配線を指す)を挿し込み、タバコ型アンプと繋いだ。口にくわえていたピックをとり、弦の上に振り下ろす。

 レスポールスペシャル独特の、太く歪(ひず)みながらもあたたかな音が音楽へ流れ込み、まるで最初からそうあるべきだったというように馴染む。その瞬間から、ハルシオンは曲と同じものになった。曲の一部になったと言ってもよい。もう輪郭はなかった。代わりに曲の発信源の様子が分かる。赤みの強いオーロラのような光の下に、一人のカウボーイがいた。ハルシオンと同じように、周囲には楽団(バンド)の仲間(メンバー)の姿はない。そばにはシャイア種ではない、普通の品種の馬がいる。馬にはほとんど積み荷らしい積み荷はなかった。どうやら何かのっぴきならない事情があって、メンバーを振り切ってここまで逃げて来たらしい。カウボーイはどう見てもボロボロだった。声はかすれて途切れがちになり、手は弦で切っている。サンバーストの塗装がされたフェンダー、テレキャスターの白いピックガードには乾いて黒ずんだ血がこびりついていた。聴こえないような声で、聴くことを拒めないような強烈な歌を歌っている。テレキャスは薄く鋭い音色が特徴のモデルだが、それが今、レスポールに匹敵する太さで鳴っていた。

 カウボーイはどこか遠くを見つめている。まるで遠くから何者かの訪れを待っているようだった。見知らぬカウボーイの魂が大きく広がり、今ではハルシオンもその中に溶け込んでいる。カウボーイの感情とひとつになる。嵐のようだった。混乱した頭で必死に考えている。この歌はどうやらこのカウボーイの創った歌ではないらしい。この歌で何かをたぐり寄せようとしている。何かを呼び戻そうとしている。そして現に、ここから遠方に気配を感じた。何者かが確かにこちらへ向かって来る。それを感じ取ったと思った瞬間、唐突にハルシオンは我に返った。

 あまりに急だったので、何が起こったのかしばらく分からずぼんやりとする。見ているのはもう、あの見知らぬカウボーイの知覚している世界ではなく、彼の見ている素っ気ない、ありのままの暗闇だった。目をしばたく。音楽は止んでいた。

 ハルシオンはぱっと身を翻すと馬に飛び乗り、馬を走らせた。一マイルをひとっ飛びにして駆け抜けると、はたしてあのカウボーイの姿が見えた。うつぶせに倒れている。気力よりも先に体力が限界を迎えたらしい。ハルシオンはカウボーイに駆け寄ると、体を抱え上げ、仰向けにする。意識はない。適切な体勢に寝かせ、指の切り傷だけ簡単に治療した。みたところ、命に別状はなさそうである。ここ何日もまともに食事と休息をとっていないようだったが、とりあえず休息は今とっているし、食事の方は目覚めてから無理にでも取らせればいいだろう。そこまで確認すると、ハルシオンはカウボーイを放って、野営の支度を始める。

 天幕を張り、火を焚く。積み荷からいくらかの携帯食料を見繕って遅い夕食の準備をする。銅の鍋に湯を沸かし、その上に網とパンを置いて、硬くなったパンを柔らかくする。沸騰した湯はティーバッグの入ったマグカップに注がれてお茶になり、残りは粉末スープが入れられてポタージュスープになった。缶詰の蓋を十徳ナイフで開け、ソーセージを取り出す。ハルシオンは万物に感謝して軽く祈ると、静かに食事を取り始めた。

 ゆっくりと食事を取っていると、視界の端で毛布の塊が微かに動く。カウボーイに掛けてやったものである。次の瞬間毛布が乱暴にはねのけられ、凄絶な形相のカウボーイが拳銃をハルシオンに向けていた。

「オレの…… 邪魔をするな……」

 かすれてひどく聞き取りづらい声が、カウボーイのひび割れた唇から鋭く漏れる。声の調子は最悪だったが、地声でも何かその場を支配してしまうような力のある響きだった。ハルシオンはさして動じた様子もなく、マグカップから目を上げた。

「あんた、やりたいことがあるのなら、もう少し休んだ方がいいぜ」
「邪魔をする気なら…… 撃つ……」

 暗い目をしたカウボーイの手の動きは覚束なかったが、銃口はしっかりとハルシオンを捉えている。

「あんたには俺が邪魔をしているように見えるのか」

 ハルシオンは静かな声で言う。カウボーイはハルシオンをじっと見た。その声も、気配も、何故か一人の人間というよりは荒野の一部になっているように思われた。自分の世界に入り込むのを邪魔するような感じは確かにない。

 カウボーイは無言で拳銃を地に落とす。ハルシオンに対する関心はもう失ったらしく、ふらふらと立ち上がって自分の馬のところへ歩き始める。結構な長身だった。ハルシオンも上背がある方だったが、それより更に高い。体つきもそこそこしっかりしていたが、どこか子どもっぽいところがある。彼より年下だろうか。馬につけた少ない荷物を探るカウボーイに、ハルシオンが再び声を掛ける。

「強壮剤や喉の薬は気休めだ。それだけじゃ歌えないぜ。こっちへ来て食事を取れよ」

 カウボーイは返事をしなかったが、荷物の中身が抜かれていることに気付くと、舌打ちして拳銃を拾い上げたが、ちょっと考えた末にホルスターに戻した。どうやら弾丸は一発きりらしい。渋々といった様子でハルシオンの近くへやって来る。ハルシオンはホーロー引のマグカップにスープを注いで渡す。カウボーイは黙って受け取ったが、若干戸惑っているようでもある。

「俺はハルシオン。同業者(カウボーイ)だ。あんたの名前は?」
「チェスター…… あんた、あのハルシオンか」

 チェスターは熱いスープと格闘しながら、ちらっとハルシオンを見た。早く食事を片付けて、お節介焼きから解放されることにしたらしい。ハルシオンがパンを渡す。

「『あの』って何なんだ。俺の知らないところで、何かまた悪い噂でも立ってるのか? 最近、会うやつ皆そう言うんだ。どうせ俺は友達がいないから、変な噂が流れていても教えてくれるやつはいないさ……」

 チェスターは渡されたパンとハルシオンを交互に見比べる。

「いや、別に悪い噂がある訳じゃなくて、単にあんたが有名だってだけなんだが――」

 ハルシオンは聴いていないらしく、ぶつぶつ言いながら缶詰の蓋を開けている。

「おい、あんた聴いてな――」
「食え。どんどん食え」

 チェスターの手から空になったマグを奪い、ソーセージの缶詰を持たせる。チェスターは渋面になって首をかしげた。ハットの下のボサボサの鳶色の髪に手を突っ込んで頭を掻く。

「なんだかよく分からないが、なんとなく馬鹿にされている気がする…… オレの方が年上なのに」
「えっ。そうなのか」

 ハルシオンが驚いた顔でマグにスープを注ぐ手を止める。チェスターはその隙にスープが縁まで注がれないうちにマグを回収した。

「そうだよ。見えないか?」
「見えなかった。まあ俺はあんたとは逆で老け顔なんだがな」

 ハルシオンはちょっと腕を組んだ。

「そんなことはないだろ。オレがガキっぽいんだ。本当はあんたより二つくらい上だよ。まあオレみたいに売れてないやつのことなんか、あんたは知らないよな」

 チェスターはちょっと赤くなりながら、腹立ちとあきらめの入り混じったような口調で言った。

「でも歌は知ってたぜ」

 チェスターはハッとなって顔を上げる。ハルシオンは真剣な表情でまっすぐチェスターを見ている。

「あんたの声、思い出したよ。誰が歌っているのかは知らなかったが、よく耳にした。ひねくれてるくせに綺麗なメロディーだよな。全然違うのに、どこか自分によく似ているような気がしていた」

 それを聴いて、チェスターは怒ったように口をへの字に曲げる。目から大粒の涙がポロポロこぼれる。

「どうしたんだ」

「どうしてあいつみたいなことを言うんだよ…… オレの大親友は死んだんだ。無理はしていたが、病気や怪我をしてた訳じゃない。気付いた時にはもう息をしてなかったと聴いた。マックス・デミアン。友達というよりは家族に近い存在だった。オレらは同じ日にあの白い山に登って認められたんだ。全然似てないけど、どこかでめちゃくちゃ分かり合えてるんだよ。チカトはオレたちに、お前たちはあまりに似通ったふたつだと告げた。そうかもしれない。とにかく、もう帰るところも待っていてくれる家族もいないオレにとっては、あいつは分かってた以上に大きな存在だったんだ。バンド絡みと違って、色んなことを求めてばっかりの関係じゃないのがよかった。仕事絡みのやり取りは気付くとギスギスして、本当に疲れる…… でもあいつは一緒に居てとても楽なんだよ。オレは人付き合いが苦手だから、そう思えるやつなんてあいつくらいしかいない。特別なことは何もしなかったけど…… でも家族ってそういうもんだろ? ……オレは家族を失ったんだ。自分の一部を失ったんだ。もしオレとあいつがそっくりなふたつだとしたら、死ぬのはオレでもよかったはずだ。なんでオレが死ななかったんだろう…… 真面目なあいつと違って、オレはカウボーイになりたいとも思ってなかったし、何かしたいことがあって生きてる訳でもない。ただ痛い思いも苦しい思いもせず、楽にだらだらしてたいだけさ。クズだろ。どうして意味もなく生きているオレが生き延びたんだろう。どうしてもうあいつはいないんだろう。あいつがもういないってことが、頭でしか分からない。分からないんだよ…… 考えても考えてもホントに分からないんだよ。どうしたらいいんだ!」

 チェスターの声は最初こそ抑えていたが、次第に悲痛に張り詰めていく。張り裂けるような声に、周囲のものが徐々に色を変える。全く天性の声だった。世界はこの声に、歌うこと以外を選ばせないだろう。そういった類稀な声だった。チェスターはまだ何か言いかけたが、ハルシオンを見て驚いてやめてしまう。ハルシオンも泣いていた。

「なんであんたが泣いてるんだ」
「俺だって悲しい。勘違いするなよ、俺はあんたやあんたの親友のために泣いてるんじゃない。俺が悲しいから泣いてるんだ」

 チェスターは冷たい目になる。暖かい焚き火の光も、薄蒼い目に映った瞬間、熱を失う。

「偽善者だな。余計なことを話すんじゃなかった。あんたはあいつのことをほとんど知らないだろ」

 チェスターの氷のような言葉に、ハルシオンは素直に頷いた。真っ直ぐな目がチェスターを見ていた。鮮やかな緑色の瞳の中で、あたたかな光が揺れている。チェスターは舌打ちする。上手く言えないが、苦手な手合いだった。

「ああ。確かに俺はあんたの親友に会ったことはない。でもここではあんたの響きが強すぎて、望もうが望まないが全部流れ込んで来るんだ。他人事だとは思ってないぜ。俺もあんたも元々はひとつの世界(もの)で、いつかはまたひとつに還るんだからな。俺は自分が世界(サカ)そのものとしてあるんじゃなくて、そこから分かれて俺として生きているのがとても面白い。でも最後に還るところがあるっていうのは悪くないな…… 俺はそれまで、精一杯俺でいようと思う。あんたの友達も、それまでの形は失ったが、煙のように消えてなくなった訳じゃない。人のかたちに留めていた縛(いまし)めが解けて、世界に抱きとめられたんだ。彼は世界に遍在しているんだ。今や世界のすべてが彼でもある。それは望めば救いになるよ」

 チェスターは一層涙をこぼしながら、激高して顔を赤くする。

「そんな慰めは要らない。オレはまだそんな風には悟れないし、悟りたくない。とにかくオレはあいつにもう一度会わなくちゃならないんだ…… その邪魔は絶対にするなよ…… 邪魔をしたら殺す……」

 チェスターはよろよろと立ち上がった。妙にふらふらとした足取りで、テレキャスの元まで歩いて行こうとする。だが脚はどんどん奇妙にもつれ、チェスターは辿り着く前に倒れた。

「ふむ…… 意外と速く効いたな」

 ハルシオンは独り言を呟きながらチェスターの脚を持って引きずり、寝かしつける。そして自分の積み荷からギブソンのアコースティック・ギター(アンプを介さず演奏できるギター。中空でサウンドホールが設けられている)、J-45を取り出す。年代物(ヴィンテージ)らしく、ところどころ塗装が剥げ、渋い外見のギターである。しかし音は非常によかった。弦の上に指を滑らせ、子守唄を唄い始める。

  1. 2013/12/24(火) 16:00:33|
  2. 短編
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