inkblot

20131024/25

 金木犀もとっくに散ってしまった。そう思っていたんだが、昨日帰りの夜道で不意に金木犀の匂いがした。まだどこかで咲いているらしい。驚いた。

 そんなこんなでまた24日である。小生は24日ごとに何をしているかというと、志村がいない世界で志村の存在証明を延々としている訳である。森見登美彦の短編で彼女の存在証明をする彼女のいない男の話があったな。同じだ。もう何年もやっているから、大方もう結論は出ている。

 世界の真理なんてものは夢や幻ではなく、もうとっくの昔に誰かが見つけているらしい。そりゃあそうだ。一生かかって何人もの人間が何千年もだから知識として知ることは出来る。勉強すればな。でもそれを自分のものにすることが難しいんだろう。多分。こういうことを言うと大分怪しいが、哲学や宗教学の話である。別にオカルトにはまったりしている訳ではない。今のところ一生無宗教の予定である。

 それでどうも真理らしい理屈で考えてみた時、キリスト教的な神、唯一絶対の存在はないということになる。神とその被造物がいるという形ではなくて、むしろたったひとつのものが分化しているのが世界のありさまということになる。つまり、自分の他になにもないと自分の存在が分からないから、世界は途方もない一人芝居をしているのだ。それはどういうことかというと、「わたし」は世界だということになる。ありとあらゆるものが「わたし」であって、すべては同じひとつのものだということである。よくインドの宗教者たちが虫を踏みつぶさないように箒で前を掃きながら歩いたりしているが、あれは別に偽善者だからではなく、単に自分だからなんだよな。

 そう考えた時、志村は死んでどうなったかというと、世界に拡散したということになるだろう。つまり、世界に志村は遍在しているということである。あの変態が遍在していると思うと結構怖い。だが、たしかに世界全体に行きわたってはいるのだが、濃度に偏りはあると思う。どういうところが濃いかというと、まあフジファブリックやメレンゲじゃないか。

 ツアー初日の金沢に行って来た。なんだか山内は志村に似てきたな。。こんなだったっけか。こんなに深く志村は山内の中に内在化されているのか。でもじゃなきゃあんな歌は作れないし歌えないよな。『音楽と人』のインタビューを本屋で読んでかなり後悔した。すぐに買って帰った。山内は志村みたいになろうとしている。確かにフジファブリックのフロントマンとしてステージに立つためには、あの淋しさに自分を追い込まなければならない。だが山内は全部顔に出るから心配になってしまう。いつも心の疲れ切った顔をしている。ギタリストだった時はそれほど気にしなくてもよかったんだけどな。けれども弱いところは弱いまま強くなってきた。緊張気味の金沢で始まったツアーだが、あれからどうなって東京に帰って来るんだろうか。そりゃあ楽しみでしかないに決まってるだろ。何回だって観たいよな。ケツMC増量気味で帰ってくんのかな。でも調子こいてる金澤のケツを蹴飛ばす志村がいないからやっぱり淋しいよな。

 やっぱ前半いらなかったかもしれないな。きもいな。こういう話はするのが難しい。。まあ読み飛ばしてほしい。


  1. 2013/10/25(金) 14:44:55|
  2. 音楽
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  4. | コメント:1
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コメント

Re:

コメントありがとうございます。
いやあ、こういう話は難しいす。
ありがとうございます。ソースももらえるとなおありがたい。笑 
あとで調べてみるっす! 
  1. 2013/11/13(水) 00:13:20 |
  2. URL |
  3. 北田斎 #-
  4. [ 編集 ]

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