inkblot

 ホラホラこれが僕の骨だ、とやりたい訳でもないが夜寝床で何故か骨について考えた。正確には葬式について考えていたのだが。葬式にはぱっと思いつく限りでも4,5回は行ったことがある。概ね子どもの頃だ。多いのか少ないのかは分からないが、何回行っても謎な行事である。いくら考えても皆目分からない。葬式自体は別として考えても分からないというのは妙に不思議である。

 坊主の読経は大方つまらない。とりあえず長時間正座していられないので居心地が悪いし暇である。兄弟や従兄弟を窺ったりしているのだが、そのうち誰かが面白いことを言い出したのをきっかけに調子に乗って騒ぎ出し、親に拳骨を食らったりする羽目になる。

 しかし葬式と言えば焼き場である。じいちゃんの時は待ち時間にすることがなくて黒い玉砂利を蹴飛ばしたのを思い出す。そのうち時間になって制服を着た男が炉から棺桶を載せていた台車を引き出して来る。台の上を見て小生は逃げ出したいくらい恐怖に駆られた。

 棺の中に横たわっているじいちゃんはこれ以上ないくらい病み衰えていたが、それでも怖くはなかった。死してなお、じいちゃんはじいちゃんのままだったからだ。だがあれだけ焼かれて人間でなくなってもまだ歪に人の形を残しているなんてあんまりだ。訳が分からない。

 骨格標本の骨は幸福な骨だな。骨格標本の骨は堅い。堅くてしっかりとした自我すら持っていそうだ。だが荼毘に付された骨はそうではない。あり得ないほどの高温で焼かれ、脆くてボロボロ崩れる。あまつさえ係の男は骨壷に入れやすくするために更に砕いたりもした。信じられないと思った。

 焼かれた骨はパサパサしていてほんの少し桃色がかった色をしている。何でそんな色になるのかは考えたくもない。年甲斐もなく大人にしがみつきながらじっと見ていると焼き場の男は「若いから骨がしっかりしてますね」と言った。

 あと数年で70になろうとしていたじいちゃんが若いんなら29のあいつはどうなるんだろう。回想から戻って暗闇で目を開きながら小生は考えた。今ヘッドフォンの中で歌っている男が薄桃色の骨のかけらになったなんてもう言葉がない。未だに生きている/生きていないという二項対立の境目が分からない。なんでこれだけ脱構築できないんだよな。やっぱりあいつは死んだのか。

 本当にすぐに簡単に、気がつけば小生はまたそういうことを忘れている。だが時々暗闇の中で追いつかれてまざまざと見せつけられる。結局何も学んではいないんじゃないか。もっと直視したい。直視し続けたら何が得られるんだろう。



  1. 2012/08/24(金) 14:05:08|
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  1. 2012/08/25(土) 15:08:43 |
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  1. 2012/08/25(土) 16:25:07 |
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Re:

コメントありがとうございます。

なんかあなたの考え方は小生と全く違うので面白かったっす。まあガキだったんでその人に持っていた感情というのもかなり揺らぎのあるものだったしそもそも「死んでいる」という状態そのものがどぎつくアポリアだった。今もそうですが。苦笑 

しかし「諦める」というのは大人だなあと思いました。諦めるという発想はなかったな。。。とするとまだ「大人」が遠いところにあるということになる。が、それはかなり憂鬱だ。。。そういや今日中学生に「先生って中学生みたい」と言われて悲しかったっす。そうだよな、お前おっさんみたいだもんな! ・・・若干話が逸れましたがありがとうございました。笑 
  1. 2012/08/29(水) 23:30:04 |
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