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会いに行くための死生学


 風邪を引いているのでやるべきことが全く進まない。これだって本当は24日に載せるつもりだった。うーむ。。全くままならぬこの身である。熱は今日あたりから出て来たんだが、困るのはやたら目が回ることである。どうにかならないか。





 最近ゼミでどんなことを議論しているかというと、もっぱら死後の思想についてである。これから書くことはぱっと見オカルトっぽいが、それは小生に文才がないせいだ。オカルトはそれなりに好きだが、好きだからこそウソ臭くて信じられない。

 世界には二種類の宗教がある。ひとつはアラブから向こうの二元論的一神教。俗に言うセム系一神教というやつだ。ゾロアスター教から始まり、ユダヤ、キリスト、イスラームと続く系譜である。これは一般に「砂漠の宗教」と言われる。過酷な環境下にあるからこそ、絶対的な唯一神に救いを求める訳である。この世界に存在するのは、神と人間だけである。

 もうひとつは一元論的多神教だ。温暖湿潤なアジア一帯の宗教である。アニミズムといってもいいだろうけども、簡単にいえば「梵我一如」というやつである。代表格はやっぱり仏教あたりだろうか。我(アートマン)は宇宙原理(ブラフマン)の一部であるから、神は自分で自分は神なのだ。というか、全ては神であって自分な訳である。マジでものすごい宗教だ。でも小生はこっちの方が分かる。一神教の神は厳しいからな。まあ一旦その庇護のもとに入ってしまえば母親のような強烈な安心感があるらしいが。ちなみにソースは井筒俊彦。

 で、多神教には輪廻思想というやつがある。一神教にはない。たまに一元論的になっていく一派が出てきたりもするが、それは大体異端視される。イスラームのスーフィズムとかそうだな。西洋にもリインカーネーションがあるが、あれは簡単に言うと人間から人間への転生ということだろうから違う。東洋のは六道輪廻、上は天界から下は地獄まで、業によって生きとし生けるもの全てに生まれ落ちる。人間道と畜生道はレイヤーは違ってもお互い可視化された関係にあるっぽいが、ぶっちゃけ他はどうなのかよく分かんねえよな。餓鬼道は道端に転がってるようなアレでいいのか? そのうちどっかで坊さんでも捕まえて訊いてみるか。

 仏教なんかでは衆生はひたすら六道をぐるぐる輪廻し続ける訳である。そこで究極の目標として掲げられるのが、輪廻からの解脱である。個人的には微粒子として無自覚なまま輪廻に翻弄されるのは非本来的なことであって、自分が神であることを思い出すことで宇宙原理に還ることを本能的に志向しているんだと解釈している。

 で、解脱は実際にちゃんとできるらしい。ケン・ウィルバーというアメリカの心理学者がいるんだが、その人曰く然るべき師について座禅を組めば20年くらいでできるらしい。体験談である。解脱するとどうなるか。繰り返しになるが、解脱とは自分が宇宙原理であるということを自覚することだ。自我が全宇宙に拡張するのだと言ってもいい。全てを自分として知覚できるのだ。うちの先生はこれを「ブラフマン状態」と呼ぶ。だが別に解脱したからといって「あーもう死んでもいいわ」とは思わないらしい。何故ならもう、自分という「個」を持ってこの「生きる」というゲームをしていることが楽しくて仕方がないらしい。例えば、石に躓いたとする。「私は今、石に躓いた!」という実感が強烈な喜びとなるのだと先生は言った。ハイデガー風に言えば、「自分が自分する」ことを強く自覚している状態ってことになるな。これは存在者としての究極の幸福じゃないか。

 彼の理論はクソ難しいので諸著作を読むのは正直つらい。そのダイジェスト版として『存在することのシンプルな感覚』という本があるんだが、図書館には入ってないしなかなか高くて手が出ないんだよな。あ、間違ってもここを読んでいる人は血迷ってアマゾンで買おうとか思わないでほしい。あと一冊しか在庫がないんだ。いつか買うつもりなんで、別の本を買ってください。

 だがいかに解脱者であるところのウィルバーであっても、死んだ後のことはよく分からないらしい。自分という「個」が消滅してブラフマンになるのか。つうか、解脱してない人間はどうなるのか誰か教えてくれないか。死んだ後、人はどうなるのか。

 結局知りたいのはそこだ。やつはどこにいる。どこにいるんだ? そもそも解脱してるんだか解脱してないんだかも分からない。死ぬ時に解脱するやつもいるからな。未だ「個」を保って六道のどこかにいるのか。それともブラフマン状態なのか。手っ取り早いのは自分が解脱することだが、まだ解脱する前にやることがあると思うんだよな。小生が今追求したい幸福というのはそれとはまた次元の違うものだ。もう少し勉強したら分かるだろうか。。。

 でも現時点でやつと自分は同じだってことは分かってるんだよな。メレンゲの歌詞って結構アニミズム的なんだが、「大丈夫、キミは溶け合って ボクになる」というのは多分正しいんだと思うんだよな。。だってこの世界のどこにもあいつが存在しないというのは2年近く経ってもやっぱり感覚的に理解できないんだから。どこかにいるし、どこにでもいる。そんなもんか。いつも一番ナイーブ(素朴)な感覚を捨てきれないんだが、特に捨てるつもりもない。こうして知識を繋げて広げていったら、いつかどっかで届かないだろうか。知識は武器だ。それしか頼れない。

 でもなんだか圧倒的に切ないんだが何故なんだ。前に死生学をやろうとしたこともあったが、圧倒的な不在を前にしてそれがあまりにも力なく感じられたから続かなかった。いつまで経っても屁理屈こね回してるクソガキのまんまだ。「Do You Realize??」と「黒服の人」が交互に流れて部屋に微かな余韻を残していく。今日はもう休もう。





  1. 2011/11/26(土) 17:42:37|
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