inkblot

絵葉書2


 今度は尻の痛い思いをすることはなかった。地面が柔らかかったからだ。みどり色のふかふかとした草に覆われている。柔らかな丘だった。真っ青な空にちぎれた綿菓子のような雲が申し訳程度に浮かんでいる。風が気持ちよかった。春みたいやな。手で触ってみると、クッションか何かのように地面はやわらかかった。でももう不思議だとは思わなかった。なんだか眠くなってきたので、丘の上に寝転がって目を閉じる。僕はすんなりと眠りに落ちた。

 夢を見た。おなかがどんどん膨らんでいく。膨らんで風船みたいになった僕のからだはぷかぷか浮かび始めた。地面がどんどん離れて行く。空がどんどん近付いてくる。とおくまでよく見えた。どこまで行くんやろう。とうとうてっぺんまでのぼりきって空の膜にぶつかった時、僕のからだははじけて破けた。からだの中から何かどろどろしたものが出て、ゆっくりと七色に光りながら飛び散った。気持ち悪いけど綺麗やな。そして世界中に降り注ぐ。僕はそのしぶきの一粒一粒になってちりぢりにものを見た。遠くの遠くの街に君を見た。そういや、もう何年も連絡してへんかったな。元気やろか? そこで目が覚めた。

 変な夢やったな。僕は伸びとあくびをひとつした。時間がどれくらい経っているのかは分からなかったが、もうたっぷり寝た。ちょっと歩くか。僕は丘をくだり始めた。柔らかい草を踏みしだいて歩く。それが楽しかったのでもくもくもくもくと歩いた。疲労はなかった。たまに口笛も吹いた。誰にも会わなかった。なだらかな丘は見える限り、緩やかにいくつもどこまでも続いていた。

 のぼったりおりたりを何べん繰り返したやろうか。遠くに人影が見えた。思わず僕は立ち止まって目を凝らした。君やった。僕はあわてて追いかけた。こけつまろびつでなかなか進まへんかった。僕は君に言いたいことがあったはずやった。早く追いつかないと、君はどんどんと先へ行ってしまう。僕は焦って汗ばかりかいている。滑稽やな。そのうちに僕はふにふに(、、、、)した丘に足を取られて思いっきり転んだ。からだは痛くもかゆくもなかったが、心は少し痛んだ。もう追いつけっこなくなったからだ。そのとたん、今までの疲労が一気にからだに押し寄せる。僕はズボンのポケットから絵葉書を取り出した。この瞬間初めてふと、それを持っていることを思い出したのだ。そして絵柄も見ずに、写真の向こうにもぐりこんだ。


 そこはよく晴れていた。太陽がやる気を出し過ぎて暑いくらいやな。疲労はすっかりなくなっていた。しかしここは…… 僕は少し眉をひそめた。そこは墓地やった。

 僕はあてもなく墓地をふらふらと歩いた。立ち止まっているのは気味が悪かった。

 立派なの。みすぼらしいの。真新しいの。墓銘がかすれてもうよう読めんの。白い石でできたの。黒ずんだ石でできたの。

 大して広い墓地でもないのに、色んな墓石があった。僕はいちいち墓碑を見て回ったが、不思議なことに墓碑の字は読めるのに、脳の中で意味を結ばなかった。

 角を曲がると急に開けたところに出た。どうやらここは墓地の真ん中らへんにあたるらしい。狭い墓地やから、こんなところがあったら歩いている間に見えたはずやけどな…… どうやら、この墓地はいくらか歪んでいるらしい。

 そこには男が一人いた。広いむき出しの地面の上に敷物を広げて座っている。黒い山高帽に真っ黒いモーニング姿だった。火の玉のような太陽にじりじりやられて、僕は玉のような汗を噴き出していた。だが、見た限り男はさして暑そうでもない。体は暑さを感じているのかもしれなかったが、とりあえず本人はそれを意識すらしていないようだった。中年くらいなんやろうか、顔には太い皺(しわ)が畝のように刻まれている。なんだかひどく嫌な感じがした。

 男はぼんやりと虚空を眺めていたが、突然こちらを向いた。僕は男が何か特定の対象に注意を向けるということをすると思っていなかったので驚いた。肖像画を眺めていたら、絵の向こうから話しかけられたような気分やった。そして男は僕に向かって手招きをした。

 僕は嫌やなと思いながら、近づいて行って靴を脱いで敷物の上へあがった。そういや、靴なんか履いてたんやなということにその時初めて気づいた。僕が正面へ座ると、男は何やら言った。何度聞き返しても、男が何を言っているのかは分からなかった。あれは果たして言葉やったんか? 僕の耳に聞こえとったんは、ディストーションをかけて低音ばかりを強調した蝿の羽音やった。

 しばらくすると男は僕に話しかけることを諦めて、傍らの古びた鞄をごそごそやり出した。取り出したのは弁当やった。

 ふたを開けると、男はおもむろに食べ始めた。口から覗いた黄色いねじ曲がった歯が飯をほおばる。ぷんと臭いが鼻をついた。蝿がたかり始める。さっきとは違う汗が流れていた。

 僕は逃げ出した。怖くなってむちゃくちゃに走った。走っている最中にも追いかけられているような恐怖感が消えない。僕は無我夢中でズボンのポケットから皺くちゃの絵葉書を取り出した。そして後先考えずにもぐりこんだ。



続く



  1. 2011/10/04(火) 10:00:38|
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