inkblot

鼓膜的な楽しみ


 マルセル・デュシャンはかつて「絵画は網膜的な楽しみに堕した」と言ったが、デュシャンに倣えば音楽も鼓膜的な楽しみに堕したんじゃないか。

 まず、大多数がチャートで上位を占めるアイドルや何かのポップソングを盲目的に受動的に聴いている。そうではないどちらかと言えばマイナー志向、あるいは邦楽ロックが好きな人々は雑誌で推されているアーティストを聴いたりする。

 なんだか、耳で聴いて分かる音楽性だけで全てが判断されているような気がしてならない。耳で聴いて分かる音楽性で全てが止まっているような気がしてならない。

 音楽なんだから、サザンロックが好きな人間がエレクトロニカを聴かないのは駄目とかいうのは、それこそおかしいし言うつもりもないが、音楽はファッションじゃねえ。

 そうだ。言いたいことがまとまってきた。これを聴いているとカッコいい、こういう音楽を聴いているとダサいというのは少なからずあるんじゃないのか? 音楽は身にまとうものではない。そもそもファッションてリア充のためのものだと思うんだよな。だが、芸術はリア充のためのものではない。大いなる欠落を埋めるためのものなんだからな。日常生活が充実しきっている人間は中也なんか読む必要はないし、カップルでライブなんか行く必要もない訳である! カップル、マジ来んな!(私怨)

 あるいは「踊れる」音楽を聴いて、ライブへ行って頭を空にして踊って帰る。なんて鼓膜的な楽しみだろう。いやいや、音楽はスポーツではない。芸術だろ。もうちょっと頭使おうぜ。

 文芸批評は「作者」の呪縛から逃れたところで行わなければならない。ある権威としてのauthorの思惑を超えたところで「作品」ではなくテクストを扱えということが口を極めて言われるが、作り手に対する受け手は作り手の言いたいことをもう少し汲む必要があるんじゃないか。それは礼儀でもあると思う。作り手がどんな思いで創作しているのかを考えたら、その「かたち」だけで十分ですというのはあまりにも悲しいよな。

 批評なんていうのはバカの楽しみだと常々思う。究極の深読みだからな。でもそうじゃない、普通の受け手だったらちゃんと受け止めたい。そのためには読解力が必要だが、聞き流せる音楽だけ聴いてたんじゃ読解力はつかないんだろうな。という訳で音楽好きな人間は音楽だけじゃなく、本もちゃんと読め。





  1. 2011/08/23(火) 22:55:33|
  2. 音楽
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<one year and 8 months have passed. | ホーム | ame>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://kirschrot.blog40.fc2.com/tb.php/335-2e5d1829
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)