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ムーンライト

 「ムーンライト」といえば、フジファブリックとメレンゲに同名曲がある。どちらも名曲だよな。今日はその話でもしよう。

 思うことは、まずフジの「ムーンライト」があってメレンゲの「ムーンライト」ができたということだ。メレンゲの「ムーンライト」の視線の先には必ずフジがある。曲調もフジは飄々としているが、両者のドラマチックな感じは近しいものがないだろうか。そもそも新譜の「アポリア」には全曲にわたってフジ志村への思いが込められている。だが、それは作中のストーリーが全て単純に志村へと帰結するという訳ではない。

 なぜなら、クボは作詞家というよりは物語作家に近い詞の書き方をする人間だからだ。詩集のインタビューによれば、クボはふと浮かんだひとつの「シーン」を種にして、そこから広げるようにして作品を作るらしい。ぶっちゃけ小生も小説を書く時はまったく同じ書き方をする。退屈な授業中に思い浮かんだ印象的な光景が頭に残る。じっと眺めているとそれは少しずつ広がりを持っていく。前に向山貴彦もそんなようなことを言っていた。ミステリだったらあまりそうはいかないだろうが、これは漫画家とかにも多そうな感じがする。

 という訳で、メレンゲの「ムーンライト」に出てくる、たとえば「あの子」は間違っても志村なんかではない。本人も言っているが、そこまで本当のことを入れてしまったらステージの上で歌える歌になるだろうか。クボの中でこのことはおそらく風化なんかしていない。クボは虚構の中で語る。小説だって言いたいことをウソで伝える方法だ。そうしたって作り話の向こうの本当はそこで強い光を放っている。

 どちらもどこかおとぎ話のような世界観だが、それは目の前に直視したくないような現実が広がっているからだ。だからその眼差しはどこか遠いところに向けられている。けれども実際は志村にしてもクボにしても、不器用なほど正面から現実に立ち向かっているのだ。

 しかしメレンゲの「ムーンライト」は詞の構造が不思議だ。最後の大サビの直前、「ああ ムーンライト そしたら君に会いにいこう 恐いのは最初だけ ムーンライト 僕を欲しがって さぁ」というところがネックだ。普通に整合性のある解釈しようとすればそれまでは回想シーンであって、この2行で現在に引き戻されているのだと理解できるんだが、詩集のインタビューを読むとどうもそうとは思えない。

 今まで目の前の女の子にあれだけ拘泥していたのに、ここで急にふっと疲れたように視線の先が目の前のあの子から遠くの君に変わる。「君」というのはある種すがりつけるような存在というようにもとれるよな。というか、この主人公は何かにすがりつきたくて仕方がないといった感じに思える。この流れからいくとムーンライト=君だが、月にいるやつといったら誰だ? 大空をすり抜けて飛び出して行ったやつ、今頃クレーターに潜ってみたり、惑星を眺めつつ花を植えたりしているあいつ。この2行で今にもフェンスを蹴りそうなのが怖い。今すぐは駄目だ。でもそのうち会えるんじゃないか。「必ず会えそうな気がする」と本心から思えるあんたが会えない訳はない。だから今だけは我々を導いてくれ。





  1. 2011/05/10(火) 11:05:36|
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