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クローズド・ワールド


 トレイテナーがセルフ・カヴァー・アルバムを出すな。。ちょっと聴いたが、新曲のPV以外にいいと思えるものがなかった。選曲の大半が最近の曲というのも微妙だ。ベスト盤出した方がよかったんじゃないか。すべて一発録りなんて言っても、それだと「CLARITY」なんかただのライブバージョンみたいだしな。・・・いや、ボロクソ言っているがテナーは好きだ。使いまわしのメロやコードや世界観が不覚にもドストライクなのである。しかし・・・でも許せん。何故ならテナーの世界観というのは綺麗に閉じているからである。

 BOCみたいに鬱陶しいほど他者に向かって手を伸ばせと言っているのではない。たとえば、フジファブリックやメレンゲも逃避型だろう。逃げたくて必死だ。だが、両者には決定的な違いがある。

 まあ、人物描写や風景描写で一曲終わらせる時点で半端ないが、テナーの世界観では語り手は物語の中には登場しない。するかのように見せかけている曲もあるが、しない。どの曲も、まるでスノードームの中の世界を外から覗き込んでいるかのようだ。

 前者は全くその点では異なる。フジやメレンゲはその語り手の強烈な個性(フィルター)を通して物語が語られるので強烈に歪んではいるが、語り手は登場人物、物語の当事者である。妄想だろうが花屋の娘と通せんぼするのは語り手だし、チーコとの物語の主人公は語り手だ。

 つまり、テナーは語り手が主人公ではないということだ。語り手と物語の間に、何故か何か隔たりがある。それはどこか、小手先で物語をひねくり回して遊んでいる小さな子どもみたいだ。

 ストレイテナー、いやホリエアツシに厳密にはオリジナリティーは存在しない。あの男が作りたい音楽というのは、今自分が聴いている素晴らしい音楽たちのような音楽である。まあ本人も明言しているが。元ネタなんて、あげようと思えばオザケン並みに挙げられるだろう。借用と切り張り。誰かの真似事。そりゃあいい曲で当たり前だ。しかしホリエはセンスはむちゃくちゃいい。そして彼のオリジナリティとしてひとつ挙げるとすれば、あの特異な感情だろう。

 ホリエの世界観というのは一言で言えば全て“SAD AND BEAUTIFUL”に向かおうとするものだ。彼の音楽に対するアンテナも全てその方向に向いている。彼はヤッピー・フルーは愛聴しても、ロス・キャンペシノス!を愛聴することはない。何故ならロス・キャンペシーノス!にはメランコリックさといったものがないからだ。しかし彼の世界はその一色に彩られる。強烈な悲しみ、メランコリック。あるいは暴発する「あはれ」。

 日本のカルチャーを語る上で「あはれ」は欠かせないキーワードだと私は思っている。世間的にはどうなのだろうか。辞書によれば、「あはれ」は物事に深く心を動かされることだという。・・・こんなふざけた説明を辞書に書いたやつは出て来い。とにかく「もののあはれ」は日本人が特に鋭敏に持つ感情だと言われているが、ホリエはそれが何なのかも分からずに乱発しているような印象を受ける。感覚は優れているけれども、それが呼び起こす感情の名前を知らない。いやはや、日本も末期ですな。

 今の日本で、「あはれ」を昔の教養人と遜色なく表現できる芸術家で真っ先に思い浮かぶのは志村正彦ただ一人だ。志村は古きよき日本の心の最後の後継者だ。あれだけの情緒の豊かさは、平安時代であっても通じるだろう。志村の存在は、あたかも都会の植え込みの中に遥か昔に絶えた花を見つけるようなものなのだ。その縋るような喜びが分かるだろうか。日本もまだまだ捨てたもんじゃないって思えたのは、あいつのお陰だ。

 ホリエの世界観はすべてひっくるめて好きだ。しかしああなってはいけないのだ。好きなものをそっくりそのまま再現してどうする。そんなに世界を閉じてどうする。自分も近い人間だから怖いのだ。そこには近親憎悪も少なからずある。私はいつか、こんな夢を見たことがある。


 私はどこかで広大な野外フェスを見ている。ステージから放たれる音圧と熱気は凄まじいもので,周囲はそれらにまるで靄のように半ば不可触に包まれていた。オーディエンスが吐き出す霧に浮かび上がったステージはロックインジャパンフェスのグラスステージに似ている。

 そこに立っているのはストレイテナーの3人だ(当時はまだ3人だった)。今まさに1曲終えたところで、MCもなしに髪から汗の雫を滴らせながら唐突にホリエが弾き出したリフに、私は少なからず驚く。

 それはBUMP OF CHICKENの「embrace」だった。しかし、いくら経っても聴こえるのは楽器の音だけである。どんなにホリエが必死に歌っても、ボーカルが聴こえることはなかった。ストレイテナー。彼らは開かれた世界の唄を歌うことはできない。諦観にも似た醒めた気持ちで、私はそれを見ていた。



 その夢は私にとっては非常に象徴的だった。彼らがこれから変わる気はぶっちゃけしない。しかしそのままでいいと思う。ストレイテナーは小生にとって反面教師である。と言いつつも、去年出たアルバムは買っていないままだ。年末に色々あって聴く気がしなかった。そのうち聴くだろうが、今度出る新譜は間違いなく買わないな。。苦笑 それにしても、テナーのことを書いていたにも関わらず志村を褒めることになったのが不思議だ。。。






  1. 2011/01/04(火) 23:21:25|
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