inkblot

昔書いた消しゴム販促小説



「タックン」

 公園でブランコにのっていると、アッシュが話しかけてきた。アッシュは俺より二コ下で、末っ子の俺にとっては弟みたいな友だちだ。アッシュっていうのはあだ名で、小さい頃自分の名前が言えなくてそう言っていたからだ。俺達は毎日毎日それこそアホみたいに一緒にいる。小さい時から、ずっとそうだった。

「俺の消しゴムね、ジョニーっていうんだ」

 何ぃっ!? 消しゴムという至極地味で個性の無い至って真面目な物体がジョニーなんていうパンチのきいた名前ですか!ヤーッ! 今、アックンが握っているMОNОの消しゴムはジョニーだったんだ! 

「あとね、タックンの消しゴムの名前も考えたんだよ」

 ブランコをこぐのをやめてしまった俺の隣で、アッシュはニコニコしながらしゃべっている。

「白いやつがジャックで、青いやつがジェーンで、緑のがジャッキーで、茶色いねり消しがジョリアンヌだよ!」

 目をキラキラさせながら言うアッシュを見ると、もう明日から消しゴムを消しゴムとは呼べなかった。その日から、俺は必死でアッシュが見境なくつけていく消しゴムたちの名前を覚えたんだ。



  2

「なあ、アッシュ。俺のジャックさあ、最近ちょっと小さくなっちゃってさあ……」

 放課後、学校の背の高い鉄棒にぶら下がりながら、俺はアッシュに話しかけた。ここ数日、アッシュはなんだか元気がない。こんなに元気がないアッシュを見るのは、『節岡浩探検隊』が最終回を迎えて以来だ。正直、心配だ。

「タックン……」

 隣の少し低い鉄棒に座りながら、アッシュが口を開いた。

「僕、今度の日曜日に引っ越すことになったんだ……」

 アッシュは顔を伏せたまま、言った。

 俺には、アッシュが何を言っているのか分からなかった。父ちゃんのつまんねーやたら絡みづらいギャグの一万倍もつまんねー上にやたら絡みづらいギャグのようにも聞こえなくもなかったが、アッシュはそんなギャグは言わない。言うとしたら、確かに絡みづらいけどもっと意味不明で度肝を抜かれるようなギャグだ。ん? だったら、ギャグかもしれねー。そこから先は地面に頭から激突したので、よくはおぼえていないが、その日はわけがわからないまま、病院で一夜を過ごした。


  3

 日曜日はアホみたいに天気がよかった。申し分のない青空で、日差しもきつくないし、風が吹いていて、ちょうどピクニックなんかに行くにはぴったりの日和だ。そう、神様なんてやつがほんとにいるとしたら、思いっきりぶん殴ってやりたいようないい天気だった。

 白い家の前、アイボリーの車のそばで、アッシュはうつむいている。俺もアッシュの目は見られなかった。

どこか遠くから自転車のベルの音が聞こえてくる。

もう二度とこの家の窓からアッシュが落ちそうなほど身を乗り出しているのを見ることはない。

アッシュが行ってしまう距離と比べたら、三千九百万光年離れたおとめ座のソンブレロ銀河とかいうなんかスパニッシュな名前の聞きおぼえのない銀河の方が全然近いと本気で思った。

「タックン……」

 小さな声だったから、聞き逃さないように俺は少しアッシュに近づいた。

「これ、あげるよ」

 握っていた手のひらを開いてアッシュが差し出したのは、ジョニーだった。

「おいお前、これ……」

 勉強もしないくせになぜかアホみたいにたくさん消しゴムを持っている俺と違って、ちゃんと勉強している真面目なアッシュの相棒はジョニーだけだ。

「いいんだよ、持っててほしいんだ。僕たち、きっともう……」

 アッシュは泣いていた。アッシュは本当によく泣く。前なんか、『フランダースの犬』を観た後、顔が腫れてすごいことになっていたくらいだ。でも、今日のはいつもと違うことぐらい分かってる。

「何言ってんだよ、必ずまた会えるよ。絶対、絶対死んでも会いに行ってやるよ。だからお前、そんなこと言うなYO!! それにアックンお前、泣かないって約束したじゃんか! そうだろ? 頼むから泣くなよ……」

 アッシュは黙って俺の手にジョニーを握らせた。不意に、視界がインクで描いた絵に水を落としたように一気に滲んだ。顔をグチャグチャにして堪えようとしたが、拭いても拭いても涙はあふれてくる。自分で言っといて何なんだ。ポタポタと雫が手の中のジョニーに落ちた。

 前の晩、絶対に笑って見送ってやろうと思って、夜遅くまでアホみたいに笑えるジョークを考え、何度も何度も頭の中でシミュレーションしたにも関わらず、このザマだった。

 昨日考えたジョークを言おうとしてみる。喉が震えていて、声すら出なかった。
情けなかった。親に急かされてアッシュが車に乗り込んでしまう。

 もう行っちまうんだ。あいつの母親がすまなそうな顔で何か言っている。なんにも出来なかった。車のエンジンがかかって、ゆっくりとアスファルトの上を滑り出した。

 俺は走り出した。車の窓の隣で、アホみたいに必死に走った。顔をひんまげて走りながら、車の窓をずっと見ていた。まるでテレパシーでもしてるみたいに、窓の中のアッシュを見ていた。アホみたいに走ったけど、俺の体は窓からゆっくりと、でも確実に離れていく。窓が見えなくなる一瞬手前、アッシュがぱっと顔を上げて口を動かしたのが見えた。窓が見えなくなると、車は急に速度をあげたみたいにどんどん遠ざかっていった。俺は諦めて立ち止まった。立ち止まって車をずっと見ていた。突然、車の窓が開いて、アッシュが身を乗り出して何か叫んだ。アッシュのバカ野郎。その頃には車はずい分と離れていたから、お前の声は聴こえたけど聞こえなかったんだ。




  4

 それから、俺の生活の中心はアッシュの代わりにジョニーが占めるようになった。

 ジョニーを見ると、アッシュを思い出さずにはいられない。朝起きてベッドの枕元のジョニーを見ると、俺は今日も元気かとジョニーに話しかける。それから窓の外を見て、きょうみたいな雨の日は、アッシュはなぜかニコニコしていたっけ、あいつは雨は嫌いなくせに、雨の音は好きだったんだ、なんて思い出していると泣きそうになる。でも、ジョニーの前では泣かねーと心に固く誓ったので、うーとかうがーっ! とか言いながら頑張ってこらえる。気合だぜ。そんなのが日課になった。ジョニーはどこに行くのにも一緒で、ポケットにつっこんだジョニーはいつも俺の味方だ。誰に裏切られても、ジョニーだけは絶対に俺を裏切らない。朝昼晩ずっとジョニーのことばっか考えているので、時々疲れている時に無意識にぶつぶつジョニーに話しかけているところを見られて、「あいつ、キッツキツだよな!」と言われたりもした。それくらいだったら腹は立たないけど、ジョニーのことをバカにするやつは許さねー、アーッ!

 などと前にも増してやんちゃもして過ごしたが、こうして思い返してみると、アッシュは本当にすごいやつで、本当に大事な弟みたいな友だちだったんだよなとつくづく思う。あいつはいつも笑っていた。考えてみると、よく泣いてもいたはずなのにそんな印象はあまりなくて、たまに頭突きして泣かせちゃったり、ポケモン観て大泣きした時以外はほとんどいつも笑っていたような気がする。後になってから思ったことだけど、きっとつらい時もいっぱい笑ってたんだろうなと思う。あいつは俺なんかよりずっと強いやつだ。なんだかんだ言って、俺はずっとあいつに頼っていたのかもしれない。
強くなりたいと思った。またいつかあいつに会った時、あいつに頼られるような強いやつになりたいと思った。俺はアホみたいにそれしか考えていなかった。


 5

「あーっ! 無理無理! 新製品の開発なんてハナから無理なんだよもう! てか、お前なんでそんなに消しゴムにこだわるんだよ? 消しゴムなんて、お前の持ってるMОNОの消しゴムで十分だろ! パッケージ変えたり、形を変えて奇をてらってみたりするくらいが関の山だ! あんなモンに改善の余地なんかないんだよ!」

「何だとおっ! お前、俺の、ジョニーを、俺のジョニーを、バカにしたな? 地獄見したるわ!」

 と言ったあたりまでは覚えていたんだけれど、ちょっと記憶が飛んで気づいたら、血走った目で同僚の大木の関節をバッチリキメていた。       

やっぱダメだなー俺。やんちゃするのは高校時代で卒業し、バカはバカなりに勉強してちゃんと大学行って、一日中消しゴムのことだけ考えていられるように某大手文房具メーカーに就職した。それなのに、何やってるんだろーなー俺。ダメじゃんか、なー?

「だから、ジョニーの悪口言うなっつったろー?」

 俺の技から解放された大木はビビった顔をしつつ、ちょっとずつ俺から離れている。

「お前、やっぱちょっと休んだ方がいいよ。正直、今めちゃくちゃヤバい顔になってる」

 う? そんなことを言われても、自分の顔は自分じゃ見れないから、全然気にならないぞ俺は。

「目が死んでる、目が死んでる! もう昼だから、お前ちょっと休んで来い! あ、ちゃんと足つけて戻ってこいよ! じゃあな!」

 部屋から俺を押し出しながら、大木が真面目な顔で言う。いや、別にそれ全然真剣に言うことじゃねーぞ。

 とりあえず、追い出されてしまったので会社を出る。ほんとにダメだよなー俺。消しゴムのことばっか考えてきたのに、なんでこんなところでつまづいてるんだろうな。こんなんじゃ、全然ダメだ。あれから十五年。俺が作りたいのはボールペンでもシャーペンでも修正液でもない。やっと、消しゴムの開発に取りかかったところだってのにこのザマだ。あいつが喜んで使ってくれるような消しゴムが作りたかった。いい消しゴムを作れば、あいつが笑ってくれるかもしれない。少なくとも、いいモンを作ればあいつが笑ってくれるかもしれないと想像することぐらいは許されるんじゃねーかと思ってた。でも現状は袋小路のまま。そんなの夢のまた夢だ。晴れている空を見てもこれから曇って雨が降り出すんじゃないかと思っちまうくらい、なんだか悲しくなってきた。俺は本当にダメ人間だ。

 どこに行くでもなく歩きながら、俺はポケットからジョニーを取り出した。十五年前と比べると、スリーブはひどくボロボロになっていて、本体は少し磨り減ってあの新品の病的なまでの白さより、若干穏やかな白になっている。こいつを見ると、いつも安心する、安心するのがいいことがどうかは分からないけど。何をやってもダメな時はあるけど、今回はいつもと違ってなんだか本当にエンジンがかからない。エンストってやつか? もう本当に心の中が空っぽで、呼吸するのがやっとな気がした。何もかも使い果たした感じだった。

 不意に誰かと、正面から思いっきりぶつかった。下ばっかり向いて前は全然見ていなかったんだから、当然といえば当然だ。後で気づいたことだけれど、俺はぶつかった拍子にジョニーを落としてしまっていて、必死で探したにも関わらずジョニーはとうとう見つからなかった。でもその時俺はそのことに気づいていなかったので、慌ててぶつかった相手に謝ろうと身を起こした。相手の男は黒縁のメガネをかけた、子どもみたいなほおの少しふくれたやつだった。そのせいで少しぽっちゃりしているように見えるが、実際はそんなことはない。男のまわりには書類が派手に散らばっている。昔と大して変わってないな。そいつはきょとんとした顔で俺を見ている。

「タックン?」

 俺は心の中が満タンになるのを感じた。俺は嬉しい時は何も我慢しないことに決めている。

「アックン、お前全然変わってないねー!」

 俺もボロボロ泣いてたけど、その時にはあいつの方が断然すごいありさまになってたんだ。






                        END
  1. 2010/02/20(土) 00:27:56|
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