inkblot

Peace!


 土煙が上がる。銃声が絶え間なく響き渡る。爆発で兵士が空に跳ね飛ばされる。ここは戦場だった。荒れ地にふたつの軍隊がひしめいて、殺しあっているのだった。
血が飛ぶ。弾が飛ぶ。爆弾が飛ぶ。こんなふうにして、かんたんに地獄はつくりだされる。勝ち負けなんてないのとおなじだった。終わりがないかのような戦いをつづけるなか、ふと、おぞましい音のあいだをぬうようにして、あまりにも場ちがいな音が風にのって聴こえてきた。兵士たちはけげんな顔をして、銃をおろして空を見上げた。

 西のほうから、巨大な気球がこちらに向かっている。へんな音はそこから聴こえていた。
いや、それは決してへんな音ではなかった。ヴァイオリンやフルート、チェロやクラリネットが合奏している音――オーケストラ管弦楽だった。球体から奏でられる音楽があまりに優雅でのんきで楽しそうだったので、兵士たちは自分が夢でもみているか、あるいはもうすでに鉄砲にあたまを撃ち抜かれるか、大砲にふきとばされるかして死んでいるんじゃないかと思った。

 気球は荒れ地の上にゆっくりとやってくると、いきなり何か粉のようなものをばらまき始めた。何かあたらしい兵器にちがいないと思い、兵士たちはおどろいて武器を放り出して手であたまをかばったが、よく見ればそれはなにかの植物の種だった。
たねの雨がやんだ後は、今度はほんとうの雨がふった。気球のカゴからみるみる雲が立ちのぼって、荒れ地と兵士たちの上にふりそそいだ。そのせいで、爆弾はすっかりしけってしまった。

 雨がやんで、最後にふってきたのはもっとずっと大きなものだった。兵士たちはとっさに拾いあげた銃をかまえたが、それが赤いろとひまわり色の大きな傘をさした二人の子どもだと分かると、どうしてもひきがねはひけなかった。

 赤いろの傘がはじめにふわりと着地する。チョコレート色の髪に、くすんだ黄緑いろの瞳をした十歳くらいの少年だ。白いシャツにこげ茶いろのベストとズボンに飴いろの革靴をはいている。少年は傘をバチンととじると、あきれたように首をふった。

「インディード(いやはや)! ほんとに無意味だなあ! 僕に言わせりゃ、大人になるってのはかしこくなるとかつよくなるとかそういうことじゃなくて、単にかんたんなことをむずかしく考えるようになるってだけだよ!」

 すぐにおりてきた、とび色の髪と瞳をした少年も傘をとじながら口を開いた。

「アートはほんとに気取り屋さんだな。まあでもオレも同感だよ。マジあほらし」

 少年はつまらなそうな顔で短パンから出たスニーカーをはいた足で土くれをけっとばしながら、Tシャツに書きなぐられた〝LOVE & PEACE〟という文字を軽くつまんでみせた。

「ニコはうるさいなあ!」

 アートはニコデモのことばにちょっとむっとしていたが、こほんと咳ばらいをして気を取りなおした。

「ええと、みなさん!」

 アートはちょっと声を大きくしていった。

「僕らが何をしに来たかは言うまでもないことです。ただ僕らがこれからやることを見ててくれればいいんだけど、その前にちょっと話すよ。

 僕らは勉強やそのほかのいろんなことをある人にならってるんだ。その先生っていうのがすごい人で、僕らにひととおりの勉強だけじゃなくて、魔法を教えてくれたことがあるんだ。ひとりにひとつ。たったひとつだけ。

 どんな魔法かっていうと、まあ役に立つものじゃないよ。お皿を洗ったり、おもい荷物をはこんだりなんてのは低俗だからね。僕らがならったのは、訳になんか立たない、美しい魔法なんだ。

 人はパンがたくさんあっても花がなかったら生きていけないけど、花があればパンがなくてもなんとかなったりする。ふしぎだよ! きっと、実際にひつようなのはパンはひときれ程度で、あとはめいっぱいの花々なんじゃないかなあ!」

 ニコデモはこうふんしているアートをこづいた。

「もうやっていいか?」

 アートは我に返るとひとつうなづいた。

「ああ、いいよ」

 ニコデモは肩をすくめて説明をはじめる。

「あのさ、大したことじゃないんだよ。でもとりあえず、やってみっからちゃんとみててくれよ」

 ニコデモは真剣な面持ちになると、てのひらをあわせてゆっくりひらいた。そこに光の玉ができる。手がひらくにつれて、そのあいだの光の玉はゆっくりと大きくなる。だいたいオレンジくらいの大きさになったころ、ニコデモはそれをゆびで空に向かってはじいた。光の玉は途中ではじけて、空に色鮮やかな橋をかけた。虹だった。とても綺麗だった。

「オレが教えてもらったのは、こんなのだよ」

 ニコデモはシカツメ顔でいった。たぶん、照れていたのだろう。

「アート、お前もはやくやれよ」

 ニコデモがつつくので、アートは慌てていつの間にか地面すれすれまでおりていた気球からヴァイオリンを受け取った。気球には二人と同じくらいの年の子どもたちと、かなり年上の、アートによく似た、寄宿学校の制服を着た背の高い少年が乗っていた。

「戦争なんて誰もやりたいわけじゃない。でも終わらせるのはすごくむずかしくてできないことだと思ってるでしょ? だけど、ほんとはすごくかんたんなんだよ」

 アートは得意げなかおをして、ヴァイオリンの弦をポンとゆびではじいた。どうじに、さっきまかれた種がいっせいにポンと芽吹いた。

 肩の上のヴァイオリンにあごをのせると、アートはいきおいよく弓をすべらせた。優雅で陽気で無邪気な曲をひびかせながら、さっきよりももっととくいげなかおで荒れ地を歩きまわりはじめた。

 アートの歩く先で、芽はすくすくと茎をのばし、色とりどりの花を咲かせる。放り出された武器には草が絡み、根が張って使いものにならなくなった。

「どうやら僕もずいぶん大人の考え方に慣れてたみたいだな」

 アートの兄は気球のカゴにもたれかかりながら微笑んでそうこぼした。しかし、すぐに他の子どもたちの声で現実に引き戻される。

「アレン、早く怪我人の手当てに行こう」

 顔いろのわるい少年が声をかけたのだ。きづけば、気球で待機していた子どもたちが全員、やる気に満ちたかおでこちらを見ている。

「ああ、ごめん。ちょっと考え事をしていた。それじゃあいくよ。まず、タオとアイダは分担して包帯の山を、それからエニーは添え木を、ケイは――」

 アレンはじぶんも赤い十字のマークのついた大きな箱を持ち上げながら、てきぱきと指示をだして、包帯を腕いっぱいにかかえた顔色のわるいタオをはじめに子どもたちを引き連れて荒れ地に繰り出した。



 いつの間にか、荒れ地は一面の花畑になっていた。もと荒れ地の中央にもどってきた気球の子どもたちはひとしごと終えたようなかおをして、気球に乗り込みはじめている。

「さあ、みなさん!」

 さいごのアートが気球に乗り込みながらいった。

「家族が、恋人が、友人が待つ故郷へ帰りましょう! 悪い夢はおわったのです、インディード(ほんどうに)!」

 子どもたちがのった気球はどんどん上昇していく。手をふりながら子どもたちが去っていったあとに残ったのは、疲れ果ててはいるけれど、やっと生き返ったような心持ちになりはじめている、誰かのお父さんやお兄さんや子どもたちだった。


end
  1. 2010/01/17(日) 06:07:49|
  2. etude
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