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BUMP OF CHICKEN

 近のBOCの人気ったらない。「俺らみてえな日陰もんは……」って言ってるやつらだからね。なんだかとても変な感じである。大学なんかにいると、隣の高校の運動会の練習なんかで「オンリーロンリーグローリー」なんかが不意に流れたりするんだが、違和感が半端ない。BOCは大衆に蹂躙されるように消費し尽くされる類の音楽ではないし、世間一般に思われているほど子供じみてもいない。

 履き違えてはならないのは、BOC――というよりかは藤原か――は別に誰かを励ましている訳ではないということだ。

 君はBOCの唄を聴いて、励まされたと感じるだろう。その強い言葉に感動するか、あるいは侮蔑の念を抱くかは別としても。多かれ少なかれ、私もそうである。しかし、それはリスナーがそういったものを彼らの曲の中に見出すだけであって、藤原が意図するところでは決してないということだ。

 藤原はリスナーを励ましたいのではない。伝えたいのだ。彼の中にある理論を。

 BOCが嫌い、あるいは興味を持たない人々は、最近の彼らの曲を少しばかり聴きかじって、単なる童謡じみたポップソングに過ぎないと思っているかもしれない。笑える。

 BOCの曲はある意味、音楽ではない。幼稚と言ってロック好きが切って捨てるあのメロディに、藤原が半ば本能的にどれほどの技巧を凝らしているということを考慮しても、BOCの楽曲の本質はむしろその詞にある。

 BOCがなぜあれだけ極端に寡作なのかと言えば、それはBOCの曲がそれぞれひとつの論文のように揺るぎない理論を緻密に練り上げて作られるからである。1曲がひとつの論文、ひとつの理論なのだ。時間はかかって当たり前である。その代わり、その理論には少しの瑕もない。論駁を加えようがない。私はこんな理論を他に知らない。

 では何が藤原にあんな曲を作らせるのか。彼は初めから異端だった。教育というのは同じような人間を量産するシステムだから、彼のように模範と正反対の逆説的な考えを持つ子どもはその主張を聴くまでもなく弾かれる。だから、彼の表現欲というのは彼の人生分たまっているのだ。彼がもう少し勉強が好きだったら彼は学者にでもなっていただろう。頭の出来は人並みはずれているはずなのに、やつは勉強に興味を持たなすぎる。詳しくは2万字でも読まれることをおすすめする。

 BOCの曲がどうして最近、「ポップ」と言われるほど穏やかなのか、わかるだろうか。藤原は、自分の主張を誰にも聴いてもらうことができなかった。そりゃあ、曲調も激しくなるだろう。でもいい加減、もう怒鳴ったり演奏止めたりしないでもちゃんと耳を傾けてくれる人達がいるってことが分かったんだろう。だからもうとがる必要がなくなっただけなんじゃないか。悪い変化では決してない。結局何も根本的なところは変わってないしな。

 もともと「童謡のように普遍的な唄を歌いたい」と言っていた男に、何言ってんだという話である。「K」にしても「ハルジオン」にしても、普通に童謡っぽくないか? 言いたいことも、言ってることも大して変ってない。

 昔からのファンがそろそろと離れていく中で、私はいたってどこ吹く風である。最近ボケがひどくて、SOLで再開したラジオを聴きそびれてしまうのが悩みの種だが。

 もしいつかBOCの新曲を楽しみにしない日が来るとしても、BOCからもらったものは私の人生から決して消えることはない。彼らの曲を聴いて、「勝手に」勇気を持って、あるいは隠しトラックに別の意味で戦慄し、そして理論の組み立てかたを学んだりしたことは消えるわけがない。

 藤原はリスナーを励まさない。けれども、「俺が誰かにプレゼントをあげるのは、俺がそれでその人の喜ぶ顔を見ていい気持ちになりたいからであって、別にその人のためじゃないです」なんて言ってるやつが優しくない訳ないだろ。





  1. 2010/10/13(水) 09:40:55|
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