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TEENAGE LAST 5


 キと会った最後の日。この日まで引き伸ばすため、デミアンが大分手助けをしてくれた。

「借りはそのうち返してもらうよ」

 デミアンはいたずらっぽい顔でニヤニヤしながらそう言った。わたしは本当に彼にもらったものを彼に返せただろうか? 自信がなかった。わたしは彼に改めて感謝した。

 ふたりとも、口数は少なかった。小部屋にはヤッピー・フルーが流れていた。少しメランコリックで、美しいポップチューン。それにもかかわらず、部屋にはじわじわと湖面に氷が張っていくような緊張感があった。

「キキ。歌をとめて」

 キキは黙ってステレオをとめた。わたしはカバンから持って来た本を取り出した。がんじがらめの封印を解く。

 埃とともに、長い間閉じ込められていた世界がこの小さな空間に舞い上がっていく。灰色のひび割れた壁に映った影がゆらめき、溶け合い、まったく別のかたちを現した。

「ニルヴァーナ……」

 キキがうわごとのように声を漏らした。ニルヴァーナは彼が一番好きなバンドだった。力を失った本は、それが経てきた年月の重みに従ってわたしの手の中で塵に還った。

 カート・コバーンの薄汚れてべっとりとした油っぽいブロンドの髪が、彼の持つ左利き用のフェンダー・ムスタングやクリス・ノヴォセリックのジャズベースの弦やブリッジが、デイヴ・グロールのフロアタムやバスドラのフレームが、蛍光灯の光を受けて白っぽくくすんで輝く。

「ハロー、ハロー、ハロー、ハウ・ロー?(やあ、やあ、やあ、気分は最低かい?)」

 猫背のカートの口から言葉が吐き出された。ひっかくような、せっかちなテンポの『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』が始まっていた。

「エコール、これは……!」

 肩をつかんだキキにわたしはうなずいた。

「一回きりの魔法」

「えっ?」

 聞き返す彼の声に続ける。

「わたしの伯母さんは諜報員なの。もちろん血なんて繋がってないけど、子ども連れって便利だから伯母さんはわたしを連れてるのよ。そして、これがこの街で伯母さんが探っていた秘密なの。

 一回きりの魔法。それはほこりの匂いのする昔に、どこかの小さな街の幻術師が編み出した魔法。彼はその魔法を一冊の本に封じ込め、自分では使うことなくこの世を去ったわ。生前からペテン師あるいは変人扱いだった彼の発明を真に受けるものはいなかったから、多くの街の多くの古書商を転々として、ついにはこの街の片隅で眠っていたのを見出された。

 わたしはそれを偽物とすり替えたの。伯母さんはそのせいで報告書を書くのに余計時間をかけたけど、本物でもたかだかB級程度の秘密だから、それほど落胆はしていなかったわ。この秘密は何しろ一回きりだし、不完全な目くらましのようなものだから、伯母さんのボスにとっても応用性はあまり高くないの。

 それでも、わたしたちには十分な魔法だったから。わたしたちのティーンエイジの最後を飾るには」

 わたしもキキも、今日ここで17歳のふたりのティーンエイジが終わるのだということを悟っていた。これで終わり。

「こんな魔法がこの街にあるなんて、思ってもみなかった……」

「こんな魔法はたぶんどの街にだってあるのよ。それが気付かれないままなだけで、そう、それはきっとあなたの中にも……」

 キキはゆっくりとかぶりを振った。

「僕にとっては、エコール、君がその魔法だったんだ。君のもつ、そのあたたかい光が。この曇り空の街ではその光も少しくすんでいたかもしれないけど、この世界の隅みたいな小部屋では他のどの時よりも輝いていたんだ。君のおかげで僕の世界には色があふれたよ……君は僕の天使だったんだよ……そしてこれからも……」

 頬を涙が伝った。キキは軽く握った手でぬぐっていた。弱い痛み。美しく、そして痛みに彩られた終わりだった。わたしたちふたりだけの世界。ふたりだけのライヴ。バンドはいつの間にかアコースティック・セットになっていて、クリスがアコーディオンで美しい旋律を奏でていた。『ジーザス・ダズント・ウォント・ミー・フォー・ア・サンビーム』。古い賛美歌を基にした曲が、天へ昇るように流れていく。

「僕から君にはこんなものしか渡せないけど……それでも、僕は使えるものを全部使ってこれを作ったよ……」

 キキがわたしにくれたのは、紙に包まれた、どうやらカセット・テープのようだった。

「これがあれば君といられると思うんだ……」

わたしたちは手を握った。もう離す時が来た、その手を。放しても離さないだろう、その手を。

最後の旋律の一音が消えて、ニルヴァーナの幻は影の中に去った。そうしてわたしたちのティーンエイジは終わりを告げた。







 今、暗い部屋で8年間鳴り響いているのは一本のカセット・テープ。彼の歌。

 宅録のシューゲイザーで、チープなリズムマシーンの音、単調なベースラインの上に、わざと潰したノイズ・ギターが粉雪のように降りかかる。そこに穏やかに美しい(おそらく)フライングVの甘美なリフが寄り添う。サンプリングされたわたしたちの声。か細くて透明なキキのヴォーカル。幽かで震えるような世界が広がっていく。部屋を満たす。

 でもわたしはそれを止める。そして、部屋を出る。彼に会いに行くために。












END



  1. 2010/09/09(木) 18:05:15|
  2. 短編
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