inkblot

20130414/20130424


  14日

 地元の桜はもうほとんど散ってしまった。なのに風が吹くと、幻のように淡い花びらがどこからともなく運ばれてくる。大学には何種類もの品種が植えられているので、こちらはまだ八重桜だとか知らない種類の桜がウソみたいに満開に咲いていて、頭上から大つぶの花びらが、あるいは粉雪のような花びらが降りしきる。あまりにも非現実的な光景だから、花吹雪の中には妄想もいくらでも入り込む。いくつも膨らんだ妄想の影から誰かがじっと視ている。こっちへ来いと言ったって来やしない。誰も忘れてなんかいないのにすぐにそうやっていじけて引っ込んでしまう。

 今日はフジファブリックのデビュー10周年の日である。上映會もやっているが行けなかった。まあいい。山梨の桜は今が見頃だろうな。去年もそうだった。

 桜の花びらはあの妙に熱っぽい夢の断片だ。それを握り締めてどこまでも行こうという人もいる。取っておいて折に触れて眺める人もいる。どっちでもいいがやれることをやりたい。まだまだ何も足りない。


  24日

 ここ最近、届いた『FAB BOX Ⅱ』を開けて渋公ライブばかり観ている。凱旋ライブはまだ観れない。渋公は楽しく観れるだろうと自信を持っていたが、結局泣いた。もうとっくになくしてしまったものがいくつもそこにあった。

 もういない山内がいる。志村と一緒に死んでしまったギタリストの山内が。今の彼からしたら、まだほとんど背負うもののない幼さのようなものが漂っている。まだどこか眠っているようでもある。小生は彼に、久しぶりに会った。

 志村のギターがとてもよい。彼はギタリストとしても山内に劣らず魅力的である。本当にいいギターを弾く。「ロマネ」のギターソロは白眉である。これがあるせいでどの音源を聴いてもなんだか物足りなくなってしまった。渋公でも特にこの「ロマネ」は擦り切れるほど観た。これからも観るだろう。

 本当に素晴らしいライブである。フジのライブで一本選ぶとしたら間違いなくこれを選ぶ。これがこのように残っているということには非常に重みがある。こんなものがひとつも残らないまま消えていってしまったバンドは星の数ほどいるだろう。ずっと未来まで残るべきものだが、媒体の問題もある。新しい器に無事に移し替えられていけばいいが。小生はそういうことはあまりよく分からないから、やっぱり自分のやれるやり方で何かを残す方法を考えなければならない。今、ここにいる私は素晴らしい過去に送り出されてきた。そして今でもそれらと繋がっている。いつかは新しい人に渡せるだけ渡す時が来る。それは誰でもできるし誰もがやらなくてはならないことだ。左手を過去と繋いで、右手はその先に差し伸べている。


  1. 2014/04/30(水) 21:11:49|
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どうせみんな知っている星


 チャマが日付の変わる二時間前くらいからスタンバっていたが、今日はBUMP OF CHICKEN藤原基央の誕生日である。彼は今日、35歳になった。おっさんである。SNSでは祭りのようにファンが盛大に祝いまくっているが、彼の傍らにいるのはメンバー、ドラゴンアッシュ、あと岡田義徳だとか松田龍平だとか芸能人もいたかもしれない。でも苦しい時期を一緒に過ごした盟友みたいなバンドはいないんだろうと思わせられる。門田とか、今絶対交流ないだろうな。根拠は一切ないがしかしすごくそういう気がする。彼の痩せて丸まった背中にはいつも淋しい影だけが寄り添っている。

 ずっと優しいブレイバーだった。怖い顔で、でもあの不思議な深い声で語りかけてくる彼は、望めばいつでも手を差し伸べて引っ張り上げてくれた。物の考え方だとか色々なことを教えてくれた。彼の唄に守られて、育てられてここまで来た。

 でもそれは彼のすべてではない。彼には何かとても大きなもの、大切なものが欠けている。壊れている。彼は深く病んでいる。別にそれは悪いことではない。欠落が大きいからこそ、そこを補おうとするような大きな力が生まれてくる。何かが圧倒的に足りていないのは事実で、それをもっとちゃんと見つめたいんだよな。育ててもらった恩返しなんかはどうせできないが、彼をヒーローとして食い潰すのではなく、その一方で病み衰えた魂を掘り起こし、語り直すということはできないか。もうそれくらいしか敬意の表し方がないような気もする。それは本人がある程度望んだ事でもあるけども、イナゴのようにおいしいところに飛びついて食い尽すだけというのはなんかもう嫌なんだよな。

 いつか藤原も死の母の胎内に繋ぎとめられる日が来るのだろう。色々なことを思うが、とりあえずあと50年くらいは「死にそうで死なねえ」みたいな感じで騙し騙し生きてほしい。出来れば先に死にたいが、でも終わる所も見届けたい。矛盾してるかな。。笑 ありがとう。



  1. 2014/04/12(土) 23:55:10|
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20140405 BUMP OF CHICKEN TOUR WILLPOLIS 2014 live at 幕張メッセ


 物販の待機列で場内に入ると、仕切りの向こうから不穏な紫色の光があふれ出していた。リハをやっているのだ。爆音でかかっている『RAY』のCD音源が邪魔だった。何の曲かは分からない。紫は毒々しい深紅をはらみ、どんどん蒼みがかっていって鮮やかな緑色を生み落としたりしながら目まぐるしく変わっていくが、気付くとやはり不吉な紫色に戻っているのだった。『童話物語』の炎水晶を思い出した。あれはあんな感じなんだろうな。『RAY』の隙間に耳を凝らすと、かろうじて「white note」と「firefly」をやっているのが分かった。大分いたがそれだけ。最後に観たリハの照明は透き通った象牙色だった。

 ボレロが響き渡り、絶頂で鳴りやんだのはきっかり18時15分である。ムービーの冒頭ではまず少女が映り、その後主人公が現れる。少女はせわしなく働きながら「あーら、まだ生きてたの」と憎まれ口を叩く。「それでウィルポリスは見つかったの?」主人公は微笑む。「同じ帽子をかぶった老人に出会ったんだ・・・・・・ ウィルポリスがどこにあるのか、ようやく分かった」刹那、地面からすり抜けるように建物が生え、まだ見ぬ街が出現する。未知の街にはぼんやりと発光する人影がさまよっている――。

 命をともしたザイロバンドとともに沸き起こる拍手の中で、紗幕にドラムを叩く升が映り、直井が映り、増川がギターのストラップを肩に掛け、大分経ってからのそのそとやって来た藤原がそーっと猫背でレスポールを掲げる。力強いギターのリフを合図に紗幕が落ち、テープが宙を舞う。「stage of the ground」。

 藤原の声は完璧だった。少なくとも一曲目ではそう思った。常にビブラートを潜ませているような声だが、今日はそれがより一層深まっているように思えた。素晴らしい。だが、次の「firefly」は畳み掛けるような曲調で負担が大きいのか、声は疲労が溜まった時によくなるあの癖の強まった声になっていた。「サザンクロス」でもAメロの低音でしくじったし、「ラストワン」「トーチ」でも声がメロディを駆け上がりきれていなかったり伸び切らなかったりしていた。藤原は唄が上手い。だが今日はしばしば声がコントロールを逸れてしまい、音程が不安定だった。やはりまだ病み上がりだな。唄い終わった直後のMCでは息が上がってしまって、肩で息をしながらしゃべっていたりもした。

 だが確かに呼吸器の機能は彼の技術に完全に耐え得るまでには回復しきってはいないようだったが、中盤以降はいくらか安定し始め、恥ずかし島での「銀河鉄道」「歩く幽霊」は圧巻だった。というかそもそも「歩く幽霊」はアコースティック・セットでやるような曲でも、病み上がりにやるような曲でもない。ぶっこんでくるな。本編ラストの「天体観測」「ガラスのブルース」も危なげなくいつも通りにやりきった。「white note」も絶唱である。音ゲー風のディスプレイが映し出されていたが、難易度高すぎだろと思ってコンマ2秒で諦めた。「ray」は音源と比べて電子音は少なくなっているとはいえ、サビなんかではしっかりエフェクターのかかったコーラスが流れていたが、やはり生の声の震えが勝っていてカッコよかった。

 アンコールはチャマが「何やろっか? 久しぶりのあれやろうか」と言って「ノーヒットノーラン」。マジでその場の思いつきなのか知らないが、終わって早々藤原が「ちゃんと覚えてたー。大丈夫だった!」と声を上げ、チャマが増川に「ヒロはどうだった?」と訊き、「なんとか、、覚えてた。笑」と答える。いや、増川はまたギターの腕を上げたかもしれない。ギターソロがまたちょっと上手くなった。ただしアルペジオは相変わらず下手だな。いや、これは藤原がアルペジオの巧みなギタリストだから余計にそう思うのかもしれないが。あと「銀河鉄道」では増川がマンドリンのパートをギブソンのデカいエレキで弾いていたが、実にへたくそだったなあ。いくら積んだら藤原がマンドリンであれを弾いているところを聴けるだろうか。。。

 アンコールラストは「メーデー」。よかったが、正直そろそろ食傷気味である。オーディエンスも既に複数回観に来ている人間が多くを占めているので、ここらへんで定番曲の頻度を下げてもいいんじゃないか。「天体観測」もぶっちゃけ今となってはそこまで名刺代わり的な曲でもない気もするが。というかそもそも一回のライブであまり曲数をこなせないバンドなので、もっと聴いてない曲を聴きたいのが本心である。

 藤原は――いつものことだが――何かとちょっかいを出してくるオーディエンスをはぐらかし続けていた。その感じがおっさんで、こいつもちゃんと年を取ってるんだなと思った。これは嬉しいことである。こんな感じでさ、自己韜晦のうまい照れ屋の父親をやっていた人生もどっかにあるのかな。でも歌詞は悪い意味で年を取っていない。このブレイバーは、彼がそこに立っている理由が、彼を彼たらしめているものが、本当にどうしようもなく悲しい。でもそうでない芸術家がいるだろうか? 存在の根っこが悲しいとして、それのどこにマイナスの意味を帯びる必然性があるだろうか? 

 今日はツアー初日、分かりにくい緊張顔が面白かった。そういや「リハで緊張していた升君!笑」とチャマに紹介されて、恥ずかしそうにしていた升がなんかかわいかったな。おっさんだけど。新種の動物みたいである。

 世界を折りたたんで積んだ赤いトラックのキャラバンが動き出した。それを追いかけていく。明日はどうだろう。それから先は。まあどうせ飽きずにベソかくんだろうな。誰がかって、それは答えるまでもないことだ。



  1. 2014/04/06(日) 02:43:26|
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