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ぶっちゃけフジファブリックとメレンゲが対バンする可能性はどれくらいあるのかということに関する考察


 フジファブリックの対バンツアー、大阪のゲストとしてアジカンが発表された。東京初日が秦基博というのも既に発表されているが、まだ名古屋と東京二日目が未発表の状態である。いやらしいな! 気になるが夜は割と眠れる。

 フジの対バンツアーというと、ファンはあれこれ妄想する訳である。秦基博は山内の繋がりで、アジカンは金澤先生の繋がりだ。メンバーが個々で繋がりを持っているアーティストを呼ぶというルールならば、あとかとをさんと志村が残っている。かとをさんは飲み友達が山のようにいるだろうから予測がつかない。志村だったらぱっと思いつくのはまあメレンゲだろうか。

 フジファブリックとメレンゲはフロントマンが異常に仲が良くて共通点も多いので、ファンが割と被っていて(メレンゲファンの多くがフジも聴く)まあ私的に仲がいいんだったら公の場でも仲良くしてくれればいいんじゃないか、つまり対バンしてくれよ的な期待が常にファンの間に漂っている。

 なのだがここ最近は全く対バンがない。2009年のロフトが最後である。志村がいなくてもバンド間の仲は良好で、プライベートでの交流は(そんなに多そうにも見えないが)そこそこはあるようである。ただ公的な交流がほとんどない。大きなライブの時に花を贈るくらいで、メレンゲが交流のあるアーティストからコメントをもらっている時でもフジファブリックは登場しない。もっとコメントをもらいづらいアーティストが登場してくるにも拘らず、出てこないということはつまり避けているということである。フジは東芝EMI、メレンゲはワーナーだったが、それがSMAとキューンになり、更に合併でレーベルメイトにまでなったのにこの避け方は不自然である。

 ではなぜ避けるのか。仲が悪い訳ではないだろう。デメリットは特に思いつかない。むしろ公的な交流を見せることでプロモーションとして大きなメリットが生れるということは普通に予想されるのだが、それを敢えて避けるというのは互いのバンドが互いにとってのライバルだとみなしているからではないか。ライバルはラスボスなのである。強くなってからまた会う。友情をダシにして強くなっても意味がない。という仮説も悪くないんじゃないだろうか。

 基本的にメレンゲがフジファブリックを追いかけているという図になっているので、対バンはメレンゲのキャリアがもっと上がってからというのが自然か。フジファブリックとしては今年でデビュー10周年という節目の年なので考えていてもおかしくはないが、今回の対バンツアーでメレンゲが来る可能性はかなり低いんじゃないか。ゲストの発表は大物を後に取っておくのが普通だろう。メレンゲはベン図の重なる部分の人々にとっては目玉アーティストだが、そういったバイアスを取り除いた時に大物として浮かんでくるのは、同じ事務所の大先輩である民生ちゃんとかじゃないか。あるいは山総をめちゃめちゃ気に入っているくるりとかな。あるいはもっと新鮮で意外なアーティストが来る可能性もある。メレンゲがアジカンより話題性があるかと言えば残念ながらないな。

 とか言いつつ、小生もベン図のがっつり重なる所の人間なのでメレンゲは早く売れてロフトのリベンジをしてほしい。いや、もうあのライブをリベンジすることなんか二度とできないのかもしれないが。。。フジファブリックは今や同じようで違うバンドだけどもやっぱり未だどちらも非常に人を魅了する力を持ったバンドであることには変わりがない。そして単純にカッコいいバンドとカッコいいバンドの対バンが観たい。なので長い目で期待することにするぜ。ただその時はデカいハコでやってほしいものである。。。ロフトで未来にこの対バンがあったら、確実にBOCのGOOD GLIDER TOURを超える競争率になるに決まっている。


  1. 2014/03/27(木) 13:20:06|
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花とムカデノエキ


 適当に音楽を流しながら朝食を作っていたら、アコギの弾き語りの曲がかかった。最初メレンゲの「ムカデノエキ」かと思ったが、声は志村である。換気扇の音がうるさいのでよく聴こえない。プレイヤーの表示を見たらフジファブリックの「花」だった。

 実は雑音にまぎれながら音楽を聴くのが結構好きだ。よく知っているバンドのよく知っている歌が空白だらけになり、それが想像力で繋ぎ合わされてまだどこでも流れたことのない新しい曲として夢想される。

 そんな風に「花」を聴きながら、こんな風に志村が「ムカデノエキ」を歌ったらきっとすごくいいだろうなと思った。というかフジファブリックの「ムカデノエキ」が「花」で、メレンゲの「花」が「ムカデノエキ」なんだろうな多分。お互いのバンドにとって同じポジションの曲だ。

 でもどこか似ているが全然違う。「ムカデノエキ」は全体的に虚しさが漂っている。何かが終わりを迎えた後の空虚さである。子どもっぽいなかに大人びたところがあるな。「花」はね、まだ終わっていない。現在進行形で進んでいるもののなかに、終わりの兆しを見出してしまう透き通った眼差しの切なさなのである。

 今一番美しいすがたで咲く花に散り行く未来を幻視するかなしさと愛しさである。「ムカデノエキ」では背伸びして無理矢理諦めようとしているが、「花」はもっと素直だ。せめぎあう思いがあふれて誰にも知られることなくこぼれ出していく。

 街に花の匂いがあふれてきた。どっちも好きだがこの頃はなんだか「花」が胸に響く。




  1. 2014/03/24(月) 15:48:50|
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肺病やみ

 風邪を引いている。熱は大してないが、気管がやられていて声は出ないしだるい。半分寝ながら本を読んだり手を動かしたりしていた。体が思うようにならないというのは本当にもどかしいな。心が体と分かれているように感じるのは子どもじみた幻想だ。悶々としているところに知らせが飛び込んできた。

 藤原基央が肺気胸で入院、手術をした。手術は上手く行き、もう少ししたら退院するという。31日のコーストは勿論延期だが、ツアーは予定通りおこなうというアナウンスが出ている。

 肺気胸(自然気胸)と言えば10~20代の痩せて貧弱な体つきの男子がなり易い病気である。ミュージシャンでは10年ばかり前につばきの一色がなっていたな。まわりでも何人かかかったのがいるから知っているが、簡単に言うと原因不明で突然肺胞に穴が開く。普通片方の肺がやられるが、両方穴が開くと最悪死ぬ。如何にもなりそうな体型のくせにならないな、まあなりそうでならないタイプなのかもしれないと安心していたらこれである。やれやれだぜ。。。しかしこのプロモーション期間でいつの間に手術を。。。まあラジオのコメントなんかだったらまとめ録りばっかりだろうが。。。

 ここ数年は体調管理もきちんとやるようになっていたし、ストレスでなるような病気でもないので事故みたいなものである。だが気胸は再発率も高いからな。。。心配である。 そりゃあそうだ。彼を死に至らしめるのは絶望ではない。立ち上がる脚を重くし、膝をつかせるのはやはり肉体の病である。心配だ。

 ツアーは予定通りおこなうと言っているが長丁場である、無理するくらいならぶっちゃけやんないでほしいよな。こっちは待たされ慣れてるんだぜ、会える未来が決まっているんなら別にいくらでも待てる。伊達に今まで待ってきた訳じゃないぜ。

 しかし嫌だな。ポリープも嫌だが。ポリープはやはり大分声が変わってしまう。。かと言って肺も、せっかく『天体観測』がいい感じに唄い切れるようになってきたのに不安要素は大きい。なぜよりによって。。。これでクボンゲにポリープでもできたら泣く。

 今この物憂げな夜にその痛みを想像する。言語化は上手くできないが、痛みの輪郭、その感触は想像の手で掴める。呼吸器のひりひりした協調性の全くない痛みだ。彼はじっと細心の注意を払って身じろぎひとつせずに横たわっているだろう。呼吸は深い。が、絶えずその静かな音に寂しいノイズが紛れている。頼りない骨組を持った薄くしなやかな皮袋の空虚な内側で、寂しい音が鳴っている。

その痛み、できれば小生にくれないか。



  1. 2014/03/20(木) 22:55:30|
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wandering ray

 ううむ。ミクちゃんの踊っているPVも観たが、フルで聴いてもこの曲の中でミクちゃんはまったく活きてないな。このバージョンをリリースすることでBOCが得られるメリットは、話題性という一点しかないように思う。そしてそれはセールスには有利に働くかもしれないが、音楽的な評価にはプラスにはなかなかならないだろう。メンバーにとってはデメリットの方が大きい。

 ではなぜこういったコラボをするのか。話を持って来るのはいつだってスタッフだが、スタッフは敵ではなく、悪い人たちでもなく、いつも自分たちのために色々なことをこなしてくれる仲間であり、普段は一緒に笑いあうような人々である。そういった人々が、ある時突然目の前に立ちふさがる。冷静に考えたら「そんなもの、突き飛ばせよ」と思うが、自分だったらそれが出来るか。突き飛ばしたらその仲間たちはどんな目に遭うか分からない。出来るか? そういった場面はきっとどのバンドの現場でもあることなんだろう。そしてそこでストイックに振る舞える人間というのは非常に少ないのではないか。たとえばメレンゲはスタッフのプロモーション能力の低さが問題となっているが、バンドは絶対に見捨てようとしない。理屈としてはいくらでもできるが、心理的にどうしてもできないということはやっぱりどうしてもある。

 BOCの場合は一緒にいるスタッフより更に上層部の意向が「国民的なバンド」になれということなんだろうな。アジカンだとかグレイプバインとかではダメなのだ、ミスチルになれってことなんだろう。そういや藤原と増川は2007年あたりに車の免許を取っていたが、あんたは今でもまだ電車に乗れているのかい。2004年くらいか、ゴッチとラジオで話している時に「電車に乗れなくなったら終わりだ」というようなことを言っていた。どうですか。あなたは今も電車に乗れますか。

 サウンドの話もそうだがセルフプロデュースというのは非常に心身の負担が大きく、それをやろうと思うとメンバーのうち3人はそういった能力を全く欠いているので結局藤原ひとりで全て判断しなければならない。だからプロデューサの案を最善でなくても疲れた頭と心で受け入れてしまうのかもしれない。

 毎度毎度の意味不明なタイアップの際にバンドから出るコメントは当たり障りのないもので、多分興味なんかないんだろう。でも責任だけはちゃんと取ろうとしている。そう、これが僕の望んだ世界だ。一緒にいることを選んだ人たちと選んできた今に腹を括る。でも本当はやりたくないことを無理繰り屁理屈こねて一生懸命頭で納得しようとしているように見えるぜ。

 持たざる者の苦しみが持てる者の苦しみに変わりつつある。あるいはもう完全に変わってしまったのかもしれない。だが大人にならなくてはと思う一方で、変わっていく自分がどうしようもなく嫌いなんだろう。今回のアルバムもそんな唄ばっかだ。だがぶっちゃけ藤原がどんなことで傷ついて苦しんでいようがどうでもいい。それで耳が潰れるくらい強い唄が聴けるなら何でもいい。けれどもそれも死なない範囲でだ。死にそうなくらいボロボロになるんだったら、今すぐ全部捨てて全力で逃げ出してほしい。もうあんな思いをするのは心底ごめんだぜ。あんたまでいなくなったらもうホントに無理だ。

 でもさ、ホントにすげえアルバムだ。ありがとう。言いたいことがたくさんある。胸張って人に勧められるが、でもケチで誰にも教えたくないから内緒な。



  1. 2014/03/15(土) 15:48:30|
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はじめまして、ミクちゃん


 バンプオブチキンはアルバムを出したところで、なんか知らんが「ray」を初音のミクちゃんとデュエットしたバージョンを配信し出したらしい。ナタリーと特設サイトを読んでもよく分からなかったので、とりあえず何度も試聴してみたが「ray」をこんな風にする必然性が全く分からなかった。やれやれだぜ。。。

 ミクちゃんのことを悪く言いたい訳ではない。個人的にミクちゃんの声はあんまり好きじゃないが、ボーカロイド(ボーカルシンセサイザー)というモノ自体はおっさん4人が口々に言っているように、めちゃめちゃかっこいい。「未来、来てるな!」って感じである。個人的には湯川潮音嬢の音声データで作られたボーカルシンセだったら言うことないな。。。音程が正確な潮音ちゃん。。。未来、来てるな! 

 で、聴いたのだがはっきり言ってないな。どっちのボーカルにもエフェクターがかかりまくって曲がぐちゃぐちゃになっている。悲しい。藤原が他のアーティストと唄ったことは前にもあって、それは忘れちゃならないSyrup16g「水色の風」である。シロップファンは「藤原の声が五十嵐の声を食っちゃってんじゃねえか!」とキレていたりするが、ぶっちゃけ藤原バージョンを聴いてしまうとそれ以前のバージョンが物足りなくなってしまう。。自分の唄ではあれだけ強く響くあのヘンテコな声が、丸腰で危うい鋭さで震えている。五十嵐は藤原の声に関して、「音程の危うさがいい」と言っているが、おそらくそれはあの独特の震えのことを言っているんだろう。まあ小生がバンプバカだというのは差し引いて考える必要はあるが、しかしあの曲はそれ自体が素晴らしいしあの曲に藤原を連れて来たがっちゃんがすげえ。まあ結局がっちゃんがすげえんだけど、コラボという観点から「ray」ミクちゃんバージョンと「水色の風」を聴いたら、「ray」はやっぱり非常に不自然に聴こえないか。

 もう書いたが藤原の声はデジタルとの馴染みがかなり悪い。あんな泥臭い声だ、一番声が活きるのがこれだとは思えない。曲が素晴らしくなるならそのために何をやったとしてもこっちは嬉しいのである。でもミクちゃんを連れてきたからといって曲がよくなったようには聴こえないし、これが一番曲の求めるかたちだと思ってるんなら、アルバムにミクちゃんバージョンが入ってるはずじゃないのか。一番じゃないならこれは何番目なんだ。

 そもそも話の発端が「もう俺らミクちゃん呼ぶしかないべ」と自発的に言いだした訳でもなんでもなく、スタッフに「こういう話があるんだけど」と持ちかけられ、口説き落とされ、「おっけ!」と言ったんだろう。自分たちのために傷ついてくれているスタッフをどこかで受け止めなくてはならないのは分かる。仲間のために大人になろうとしてるんでしょう。知っている。でも知名度は上がって、使うことを許されている予算もたくさんあって、何でもできるはずなのにちっとも自由に見えないのはなぜなんだ。メレンゲとかの方がよっぽどやりたいことをやれている気がする。あんまり乗り気のしないことを一生懸命考えて屁理屈で納得して、やっていくのは苦しくはないか。全然自由じゃない。

 どうせ誰かを泣かせて自分も泣くのなら最後まで戦えばいいんじゃないのか。誰か突き飛ばさなければ、歩きたい所は歩けないんだろう。そう唄ってきたのはあんたじゃないか。教えてくれないからさっぱり分からないぜ。このままじゃもう一人の自分に罵られ続ける日々に終わりは来ないよ。いいのか。



  1. 2014/03/13(木) 15:38:49|
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