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アンディとリップスとメレンゲとなんかいろいろ

 この間フレーミングリップスを観て来た。前座がミイラズじゃなくて悲しい。HAPPYとかいうバンドだったが、駄目だなあれは。見た目もチャラいが、中身もチャラいんだよな。うまく言えないが、ガチなミュージシャンはどれだけかっこつけても、どこかがダサい。ぱっと見はチャラいが、ミイラズはガチである。チェコはチャラいな。やっぱチャラい。で、HAPPYなんだが切実な気持ちで音楽をやっている感じでは全くない。人に好かれて当然という顔をしている。

 リップスのステージは前みたいに派手派手な感じではなくなっていたが、よかったな。始まる前に延々と銀色の半球をいくつも重ねてテープでとめ、LEDの入った白いでろでろしたチューブを長々と垂らしていた。これにかなり手間取っていて、ウェインが手伝ったり「遅くね?」みたいな顔をしていた。ウェインはメタリックな蒼いスーツ姿で首のまわりに造花の輪がついている。赤ん坊の人形をあやしながら歌う。もう曲順なんか全然覚えてないんだが、やっぱり「Race For The Prize」「All We Have Is Now」あたりは圧巻だった。あ、「Race For The Prize」はメレンゲ「チーコ」の元ネタな。どれもガッと盛り上げるような感じではなく、ゆっくりと深く歌っていた。ウェインはやってることはクレイジーなアメリカ人の代表みたいなのに、作る歌はなんだか日本人みたいなんだよな。生きるということにウェインが感じている切なさが日本人的というか、日本人にすごくよく分かるものなんだという気がする。

 でも不思議な音楽だった。洋楽だから歌詞にあまり集中する感じじゃなかったというのもあるが、やっぱりトランスっぽいな。光と音楽が一体になっている。ウェインは歌はへなちょこだが、喋っていると割と普通で面白かった。いいMCもするんだが、最後で大体台無しにする。

 どうしても生で聴きたい曲があって、やるんじゃないかと思ってはいたがなかなかやらないので不安になってきたところで聴けた。アンコール一曲目だった。「Do You Realize??」だ。これが一番聴きたかった。なんというか。。。何も言えないな。聴いた、観た、泣いたみたいな感じである。うまく書けないからやめておこう。。しかしいいライブだった。

 そういや、入場の時に後藤を見かけた。チビの方ではない。元アンディモリの後藤大樹である。小山田がかわいがっていた清水健太とかいうのと一緒に居た。最初赤い服を着た清水が目に入っておっ、こいつはみたことがあるなと思ったんだが、そうでなかったらあまりに地味過ぎて気付かなかったと思う。気付いてからもあまりに地味なのでチョコを食いながら本当にそうかとガン見してしまった。冴えない顔だった。髪は短い。清水はなんだか顔色が悪かった。くすんだ感じの二人組だった。それを見て、小山田のことを考えた。静かな暮らしの中でなんとなく生きられているだろうか。もうすぐ穴埋め的なリリースがあるがなんだかな。。

 まあやめよう。メレンゲのことでも考えるか。来年に渋公である。もう即行で先行申し込んだよな。だが移籍後初ワンマンを渋公で、というのは気持ちはすごくよく分かるがはっきり言ってかなりの博打だ。分かってやってるんだと思うが。半年目立ったライブをしないってことだからな。バンドにおけるライブと物販の収入というのもかなり大きいから、ファンを引きずり込む手段と大きな収入を投げ捨てたことになる。多分ファンの多くはバンドを長く続けてほしいと思っているだろうが、メレンゲはそうじゃないのか。「次の予定は何も決まっていない、どうなるかは何も分からない、だから今を観てほしい」って言うのはどうなのか。いつだって全力で観に行ってるんだぜ、なめんなよな。つうかそもそもメレンゲは危ない方が普通なバンドなので、そろそろもう少し安心させてほしいんだが。多分メレンゲじゃ「太く短く」は絶対無理だと思うが、ぱっと散るのがかっこいいみたいなのはやめてくれ。続かなきゃ意味がない。もう既に最大の岐路は過ぎているはずだ。分かってるんだろ。もう死ぬまで辞められないし当分は死ねないぜきっと。だからもう少し長期的な視点を持ってほしい。

 だが渋公めちゃめちゃ楽しみだぜ! 出来ればいい席で観たいよな。。DVD化とかされるのか。散々言っといて結局ライブDVDの話はどうなったんだよな。もう予算を言い訳にするんだったら潮音ちゃんみたいにパトロンを募集すればいい。多分きっと沢山集まる。リターン次第では莫大な金が集まるかもしれん。。そういや最近クボキングダムの「要するにクボンゲに色々着せたりなんかさせたりすればいいんだろ」的な露骨さが公式になりつつあって面白いな。笑 分かってるんだったらもっとそれでお金を集めればいいのにな。笑 だからマジでDVD出してください。五体倒地 多分「初ワンマンは渋公で」という意味は、「半年分のライブ製作費をすべて渋公に注ぎ込む」という意味でもあるんじゃないか。だったらライブの資金ももうCampfireで集めようぜ! 
  1. 2013/10/31(木) 17:50:50|
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さよならウィルポリス

 初日行って来た。最後の最後に蜘蛛の糸が垂れた。書いちゃだめらしいので詳しくは書かないが、譲ってもらったのである。譲ってくれた人、ありがとう。あんまりよくない席だけどと言っていたが、そんなことはなくすげーよく見えた。どこよりも近かったくらいである。それに横アリみたいにぶっ飛ばずにちゃんと観れた。すごかったな。全部ちゃんと覚えている。

 ウィルポリスはバンドとオーディエンスがライブごとに作り出す空間である。その時その場で初めて出現するから誰にとってもまだ見ぬ街なんだが、でもそこが帰る場所でもある。今日、一時間ほど前を以てウィルポリスは閉じられた。だが消滅した訳ではない。未だそれぞれが点の世界として存在している。だからいつでも帰れるんだろう。そして一旦ツアーは終わったが、視線の先には未来のツアーが半透明に見えている。さよならな訳がないだろう。むしろSee you later, WILLPOLISである。再会の予定はある。

 これから先も新たなウィルポリスが生まれるに違いない。いつだって初めてだが、いつだって懐かしい世界だ。何回観たってもう十分だなんて思える訳がないぜ。ずっとあんたたちがいる未来がいい。忘れようがない。ありがとう。それしか言えないんだけど、でもそれが一番言いたいことだ。お互いに同じ場所で同じ気持ちを持て余してるんだろうが、それでもなんかいいよな。ありがとう。生きているのはいつだって面白いが、今はなんだか生きているのがめちゃめちゃ楽しいよ。嬉しいよ。ありがとう。






 ちなみに王様は3人に増えた。





  1. 2013/10/29(火) 22:51:08|
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20131024/25

 金木犀もとっくに散ってしまった。そう思っていたんだが、昨日帰りの夜道で不意に金木犀の匂いがした。まだどこかで咲いているらしい。驚いた。

 そんなこんなでまた24日である。小生は24日ごとに何をしているかというと、志村がいない世界で志村の存在証明を延々としている訳である。森見登美彦の短編で彼女の存在証明をする彼女のいない男の話があったな。同じだ。もう何年もやっているから、大方もう結論は出ている。

 世界の真理なんてものは夢や幻ではなく、もうとっくの昔に誰かが見つけているらしい。そりゃあそうだ。一生かかって何人もの人間が何千年もだから知識として知ることは出来る。勉強すればな。でもそれを自分のものにすることが難しいんだろう。多分。こういうことを言うと大分怪しいが、哲学や宗教学の話である。別にオカルトにはまったりしている訳ではない。今のところ一生無宗教の予定である。

 それでどうも真理らしい理屈で考えてみた時、キリスト教的な神、唯一絶対の存在はないということになる。神とその被造物がいるという形ではなくて、むしろたったひとつのものが分化しているのが世界のありさまということになる。つまり、自分の他になにもないと自分の存在が分からないから、世界は途方もない一人芝居をしているのだ。それはどういうことかというと、「わたし」は世界だということになる。ありとあらゆるものが「わたし」であって、すべては同じひとつのものだということである。よくインドの宗教者たちが虫を踏みつぶさないように箒で前を掃きながら歩いたりしているが、あれは別に偽善者だからではなく、単に自分だからなんだよな。

 そう考えた時、志村は死んでどうなったかというと、世界に拡散したということになるだろう。つまり、世界に志村は遍在しているということである。あの変態が遍在していると思うと結構怖い。だが、たしかに世界全体に行きわたってはいるのだが、濃度に偏りはあると思う。どういうところが濃いかというと、まあフジファブリックやメレンゲじゃないか。

 ツアー初日の金沢に行って来た。なんだか山内は志村に似てきたな。。こんなだったっけか。こんなに深く志村は山内の中に内在化されているのか。でもじゃなきゃあんな歌は作れないし歌えないよな。『音楽と人』のインタビューを本屋で読んでかなり後悔した。すぐに買って帰った。山内は志村みたいになろうとしている。確かにフジファブリックのフロントマンとしてステージに立つためには、あの淋しさに自分を追い込まなければならない。だが山内は全部顔に出るから心配になってしまう。いつも心の疲れ切った顔をしている。ギタリストだった時はそれほど気にしなくてもよかったんだけどな。けれども弱いところは弱いまま強くなってきた。緊張気味の金沢で始まったツアーだが、あれからどうなって東京に帰って来るんだろうか。そりゃあ楽しみでしかないに決まってるだろ。何回だって観たいよな。ケツMC増量気味で帰ってくんのかな。でも調子こいてる金澤のケツを蹴飛ばす志村がいないからやっぱり淋しいよな。

 やっぱ前半いらなかったかもしれないな。きもいな。こういう話はするのが難しい。。まあ読み飛ばしてほしい。


  1. 2013/10/25(金) 14:44:55|
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ようこそウィルポリスへ

 BOCの声や曲の変化といったようなことについて、この間書いた。BUMP OF CHICKENは活動を始めてから今まで、特につまずくこともなく順調にファンを増やし、知名度を上げてきた割と珍しいバンドだが、意外にも増えていくファンやバンドの規模の拡大に悩んでいたんじゃないか。そしてここ最近やっとそれを乗り越えてきたんじゃないかというような話である。今回はBOCのライブの話をしようと思う。

 BOCは2005年くらいからライブをほとんどしなくなった。わずかに夏フェスに出たり数年に一度出るか出ないかのアルバムに合わせたレコ発ツアーをやるくらいである。BOCくらいの「邦楽ロック」のくくりに入るバンドだったら、リリースに関係なくコンスタントにライブをやる。BOCはこの時期曲調がポップになったのに加えてライブのペースも極端に落ち込んだから、余計に「もうロックバンドではないんじゃないか」と言われた。要は反感を買った訳である。

 しかしBOCがライブをやらなかったのは、集客力が上昇し、ライブハウスのキャパが大きくなっていくにつれ、ファンの感じが変わっていくのついていけなかったからじゃないか。最近バンプを聴き始めた人には想像もつかないことだと思うが、昔ライブで藤原はよく怒った。手拍子に怒り、合唱に怒り、その度に演奏を止めた。そりゃあ当たり前だ。彼はみんなでその場を楽しみたくてライブをやっている訳ではない。彼の唄は演説だ。彼の言葉に耳を傾けているとは思えないようなそういった行為が、彼は悔しくてたまらなかったんだろう。こんなに一生懸命唄っているのに。こんなたくさんの中から僕らを見つけてくれたのに、君はちゃんと聴いてくれないのかい? 彼はそう言っていたのだ。

 まあでもエレカシじゃないんだから、オーディエンスもライブで正座して聴いたりはしてくれない訳である。どうやらオーディエンスは手拍子や合唱をしたいらしい。そのうちそう気付いた彼らは、まずそれを受け入れようとしたようである。なんとなくだが、かたちから入ったような気がするな。オーディエンスはああいうことをしたがる。ならそれをゆるそう、受け入れよう。そういう段階から入って、だんだんと考えが先に進んでいく。彼らは俺らの唄を無視しようとして手拍子をする訳ではない。今がとても楽しいから、一緒にその場を楽しみたいから手を叩いて歌うんだ。とにかく唄を聴くために集まってくれて、今を楽しんでくれている。彼らが僕らをどれだけ分かってくれているのかは分からない。だけど、今たくさんの中から僕らを見つけてくれた人たちを楽しませてあげることが、一緒に楽しむことが大事なんだろう。それが結実してここ数年のツアーがあるんだろう。

 デカいハコでやるのも本当は結構嫌だったんじゃないか。いつだってひとりひとりに向けて唄っているのに、幕張メッセの客席はあまりに遠くて、オーディエンスは最早一個の人間ではなく、ひとかたまりの海のようだ。バンドも今では随分小回りがきかなくなった。前にゴッチが「アジカンは巨大ロボットに乗り込む感じ」というようなことをツイッターで言っていたが、まさにそうだ。四人と何人かの信頼できる仲間、それがバンドだったはずなのに、いつの間にかサーカスよりも大きい、よく分からない組織になっている。ただ唄うだけに、こんなにたくさんの知らない人の手を借りる必要があるのか? 納得いかなかったんだろうな。ずっと。

 だが今はもうそうじゃない。もうあの規模でオーディエンスと向き合うことができないなら、規模のデカさを利用すればいい。「ハコがデカすぎるなら、もうひとつステージを作ってしまえばいいじゃない」という訳である。

 お金はたくさんあるから、カッコいいムービーを流そう。その方がワクワクする。お金はたくさんあるから、金テープや銀テープも飛ばしてみよう。その方が楽しい。お金はたくさんあるから、綺麗なザイロバンドも配ろう。その方が思い出に残る。

 これは彼らが作り出すフェスティバルである。彼らはこの機会を逃したらもう何も返せないと分かっていて、一日にすべてを詰め込む。

 たとえば細美さんがスタッフと闘いながら凄まじい努力でチケットやグッズの値段を抑えているのとBOCのやっていることは一見真逆だが、本質的には同じことだ。これが彼らのオーディエンスに対する誠意なのである。

 しかしステージの上の様子も前とは違うよな。かつて彼らは棒立ちで楽器を弾き、表情も硬かった。藤原なんか「ステージに上がる時は死刑台に上がるような気持ちがする。降りる時になってやっと、『ああ、今日もギロチンは落ちてこなかった』と思う」とまで言っていたからな。あの頃も未だに好きだ。だが、よく動き、すごく普通にステージの上に立っている彼らはとてもいい。

 たくさんの仕掛けは仕掛け終わって、後はもしかしたらもう会えないかもしれない、まだ見ぬオーディエンスがやって来るのを待つだけである。見る間にアリーナは人でいっぱいになり、ドームの中に焦らすようなボレロが満ちる。紗幕が落ち、現れた彼らはこう言うだろう、ようこそウィルポリスへ。楽しもうぜ。
  1. 2013/10/17(木) 22:26:51|
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BOC藤原の声は変わったか

 誰でも好きなバンドの音源を聴いたら、それが大体いつ頃のものなのか分かると思う。特にライブ音源だとリリース年と全く関係なくなってくる訳だが、それでも分かる。アレンジを変えている場合もあるし技術も上がっていたりするが、やはりボーカルで判断していることが多いのではないか。たとえばフジファブリックは明らかに志村の声が変わっている。しかもその変化が細かいので、かなり正確に時期が推測できるんじゃないか。

 そこでBOCである。藤原の声は志村ほどではないが、やはり今までに何度か変化している。そしてその変化はどうやら最近ひと段落ついたようである。ここで少し考えてみよう。

 まずインディーズ時代の音源はかなりレコーディングが過酷だったので風邪声が多い。メジャーになると普通の声になっていく。まず『ユグドラシル』後最初のシングル『プラネタリウム』では声の変化はなかったが、曲調に変化がみられた。声の変化が出て来るのはその次の「supernova」あたりからだろうな。声が非常に柔らかく優しくなった。それまでの尖った所が急になくなったので、違和感を覚えたファンは多かったようである。アップテンポの曲は減り、あってもボーカルが柔らかい。その傾向がピークに達したのが多分『orbital period』だな。それからは『R.I.P./Merry Christmas』になると今度は次第に揺り戻しが起きてきて、今ではかつての厳しさが声に戻っている。

 じゃあ何故そういう変化があったのか。ここでは詳しく書かないが、たとえばフジ志村は歌い方と声質が変わっていった。藤原は声質が変わった訳ではない。もっと内面的な問題だったはずである。

 藤原は一見ポーカーフェイスが得意そうに見えるが、決してそうではない。インタビューでメンバーが褒めている横で、照れ照れしているのを観たことがないだろうか。ポーカーフェイスではなくて、あれは単に顔が怖いだけである。

 相変わらず四人組はずっと無邪気だったが、今にして思えば『jupiter』以後のバンドの振る舞いはやはりどこかおかしかった。リリースもライブもペースが滞り始めた。バンドの知名度はどんどん上がり、彼らもそれに気付き始める。でも、それがどういうことなのかよく分からなかったんじゃないか。

 藤原基央は生まれた時からアウトサイダーだった。小さい頃から黙れと怒鳴りつけられ、頭をおさえつけられていた男の目の前に今、彼の唄をワンフレーズでも聴こうと群衆がつめかけている。彼にはそれがどういうことなのかうまく理解できなかったに違いない。だから戸惑ってしまったのだ、多分。考えても考えてもよく分からない。「俺は安心なんかしたくない」と言いながら、藤原がまず達した結論は「俺の言っていることを分かってくれている人々がいる」という安心だった。頭は安心するのは危険だと分かっていても、本能的に求めてしまうのかもしれない。

 とにかく、彼が理解されること、耳を傾けてもらうことに強い飢えを持っていたのは確かだ。安心した彼の唄は穏やかになっていった。でもある時気付いてしまったんだろうな。自分は決して理解されている訳ではない。自分は消費されているだけだと。BOCのファン層は今さら言うまでもないが、小中高生が分厚い。BOCの魔法はその年ごろに一番よく響く。だが彼らの多くは大人になるにつれてBOCを聴くことをやめてしまうのである。本当に分かってくれているのなら、何故これだけ多くの人々が自分たちから去って行くのか。そう気付いてしまった彼はもう二度と安心できなくなったのである。彼はやはりどれだけ沢山のオーディエンスがいたとしても、満たされることはないのだ。

 彼はまた考え考え、そしてここ一、二年でとうとう結論を出したんじゃないか。今ここで何かを共有していても、いつかはいなくなってしまう人々に彼らが出来ること。去って行く人々へのはなむけ。時が経ち、未来になって効力を発揮する魔法を仕掛けた唄だ。今の、これからの彼らが多分今までで一番面白いところだろうな。彼らは何も本質的に昔から変わっていないが、やっと慣れない環境に向き合い始めたのである。最近のBOCは吹っ切れたような感じがある。楽しみだよな。とりあえず武道館行けねえかな。



  1. 2013/10/05(土) 17:55:45|
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