inkblot

20120825


 夏期講習も佳境である。まあ頭のおかしい生徒ばかり集まっているのでこっちも結構頭がおかしくなりつつある。で、その中にR君というラグビー部でなおかつラノベをこよなく愛する中三がいる。

 オタクというと何となくどいつにも大体じめっとしたものを感じるのだが彼には微塵もない。特に派手ではないが非常にカラッとした性格の持ち主だ。でもたまに無邪気にタックルをかます癖があるので危ない。前に体育でバスケの時間にタックルかましまくって退場させられたと話していたので大分ヤバい。本人曰く超楽しかったそうである。うん、いい笑顔だ。だがおとといあたり教務主任が軽く弾き飛ばされていて戦慄した。そろそろ「先生にタックルかましたら宿題10倍だからな」と釘を刺しておかないとまずいかもしれない。明日は我が身である。。。

 たまに国語を教えたりもするのだが読書家の割に感じの読み以外はあまりパッとしない。読解問題なんかもう少し出来てもいい気がする。感じの書き取りなんか悲惨である。変だなあと思っていたが、昨日読んでいるラノベを見せてもらって衝撃を受けた。地の文がほとんどない。。。ラノベというと秋田禎信と時雨沢恵一しか読んだことがなかったのでまあ漫画みたいな小説のことなんだろうと思っていたが、なんかどうも全く違うみたいだな。たまに他所の文芸部の冊子をもらって読んだりすると「冴えない根暗がめっちゃかわいい女の子に理由もなく言い寄られる」というあらすじ以外にストーリーも情景描写も語彙も何もない凄まじいものが延々と書かれている訳だが、それと寸分違わぬものが綺麗に製本されて目の前にあった。なるほど。今まで「ほんとにそこらのオタクに占領された文芸部には文才ないやつしかいないんだな」と思ってたが、何だよオリジナルの再現度合い凄まじいな。今は文章力がゼロでも作家になれるんだなと皮肉なしで驚いている自分がいた。だがR君には申し訳ないがこれは小説ではない。。。

 とりあえずR君に「もっと地の文の多い小説を読め」と言うと西尾維新は多いからそれを読もうかなと言う。後は一応オーフェンと時雨沢恵一を薦め、なんか心配だったのでとりあえずぱっと手元にあった『不可能犯罪定数』を貸した。ラノベに出てくるような尻軽な女の子は出てこないが、とりあえず猫柳先生はかわいいので彼もきっと読んでくれるだろう。ちなみに今日、その道に入るきっかけを訊ねたところ、親だそうである。いるんだ、実際。


 何だか朝から晩まで職場から出られないのでよく分からなかったが『屍者の帝国』、もう出てるんだな。今の今まで楽しみだったが今頃になって妙に怖い。知らない人に簡単に説明すると、志村が残した歌詞とデモとも言えないような断片を使ってクボがフルアルバムを創り上げたというような感じの本である。円城塔は本当にすごいことをした。でも伊藤計劃にはあまりにもこの小説に取りかかる時間が与えられなさすぎた。伊藤計劃と円城塔では持っているものが大分違う。これは本当に伊藤計劃の新作と言えるんだろうか。そしてこれを読み終えてしまったら、もう伊藤計劃の新作を読むことはもうない。そう思うとむちゃくちゃ寂しい。バイトへ行く途中で買って来て、今手元にそれがある。でも本屋を出てバイト先まで自転車をかっ飛ばしている時、最高にわくわくした。これは本当なら出るはずのなかった本だ。伊藤先生、ありがとう。小生もあなたの物語を少しだけもらっていく。多分今日本で一番すごいSF作家の最後の本、冒頭の30枚で既に傑作だった本を心して読もう。



  1. 2012/08/25(土) 23:39:42|
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 ホラホラこれが僕の骨だ、とやりたい訳でもないが夜寝床で何故か骨について考えた。正確には葬式について考えていたのだが。葬式にはぱっと思いつく限りでも4,5回は行ったことがある。概ね子どもの頃だ。多いのか少ないのかは分からないが、何回行っても謎な行事である。いくら考えても皆目分からない。葬式自体は別として考えても分からないというのは妙に不思議である。

 坊主の読経は大方つまらない。とりあえず長時間正座していられないので居心地が悪いし暇である。兄弟や従兄弟を窺ったりしているのだが、そのうち誰かが面白いことを言い出したのをきっかけに調子に乗って騒ぎ出し、親に拳骨を食らったりする羽目になる。

 しかし葬式と言えば焼き場である。じいちゃんの時は待ち時間にすることがなくて黒い玉砂利を蹴飛ばしたのを思い出す。そのうち時間になって制服を着た男が炉から棺桶を載せていた台車を引き出して来る。台の上を見て小生は逃げ出したいくらい恐怖に駆られた。

 棺の中に横たわっているじいちゃんはこれ以上ないくらい病み衰えていたが、それでも怖くはなかった。死してなお、じいちゃんはじいちゃんのままだったからだ。だがあれだけ焼かれて人間でなくなってもまだ歪に人の形を残しているなんてあんまりだ。訳が分からない。

 骨格標本の骨は幸福な骨だな。骨格標本の骨は堅い。堅くてしっかりとした自我すら持っていそうだ。だが荼毘に付された骨はそうではない。あり得ないほどの高温で焼かれ、脆くてボロボロ崩れる。あまつさえ係の男は骨壷に入れやすくするために更に砕いたりもした。信じられないと思った。

 焼かれた骨はパサパサしていてほんの少し桃色がかった色をしている。何でそんな色になるのかは考えたくもない。年甲斐もなく大人にしがみつきながらじっと見ていると焼き場の男は「若いから骨がしっかりしてますね」と言った。

 あと数年で70になろうとしていたじいちゃんが若いんなら29のあいつはどうなるんだろう。回想から戻って暗闇で目を開きながら小生は考えた。今ヘッドフォンの中で歌っている男が薄桃色の骨のかけらになったなんてもう言葉がない。未だに生きている/生きていないという二項対立の境目が分からない。なんでこれだけ脱構築できないんだよな。やっぱりあいつは死んだのか。

 本当にすぐに簡単に、気がつけば小生はまたそういうことを忘れている。だが時々暗闇の中で追いつかれてまざまざと見せつけられる。結局何も学んではいないんじゃないか。もっと直視したい。直視し続けたら何が得られるんだろう。



  1. 2012/08/24(金) 14:05:08|
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20120822


 どこかとほくへ行つてしまひたいが
 さうもいかないので
 とほくとほくにあくがれながら
 ひきのばされ
 ひきはがされるやうに
 すぎゆく日々である。


20120707tmannakas.png


  1. 2012/08/22(水) 23:35:22|
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人面キノコシリーズ


 人に見せると物凄く評判が悪いが描いていて楽しいので描き続けている。まあそのうち飽きるだろう。詳しく説明するとナメコ男とクー・クラックス・キノコとセーラーキノコである。生首ではない。・・・特定のカテゴリだけ非表示にできるような機能があればいいのにな。

 初恋の嵐、AXの方はチケットを取ったのだが神戸のメンツの異常な良さに密かに泣いている。ゲストボーカルが両公演で別だなんて考えもしなかったぜ。。。。。そんなに両方行ける人間がいるのかね。泣 地元ずるいぞ! まあでもまだ全員が発表された訳ではないようなのでもうただひたすら東京に誰かが来るのを祈っている。誰かって誰かって。そりゃあ蝦夷で歌った誰かである。それくらい期待したっていいだろ。とりあえず神戸の次なる機会を狙っている。。。

 しかし暑いので適当に自由律をひねっている。石動戯作よろしく、別に短歌や俳句を作る訳でもないのに雅号だけは何年も前から決めている。弱竹堂主人である。まあ書斎なんて形而上にしかないけどな。そういや先月、寺に竹を観に行った。よかったんだが竹に相合傘を彫るのはやめろよな! あーこいつらきっともう全員別れてるんだろうなとか思いながら観なきゃいけないだろ! 何故かアラビア文字もあったんだが友人に解読してもらったところ、自分の名前や国名が書かれているらしい。外国の人も「なんかこれ書いてもいいのかな」と思っちゃうだろ! 受付のババアは小生ではなく、もっと軽薄そうなカップルに喧嘩を売ればいいと思う。しかし暑い。




sailorkinokos.png


  1. 2012/08/16(木) 14:22:58|
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Gulliver is a gulled person, and we are so.

 どうやらこの世の中に騙されていない人間はいないらしい。最近少しずつそのことが分かって来た気がする。「騙されない人間は間違える」と内田樹が言っていた。そういうのとは少し違うかもしれないが、結局は誰でも大なり小なり騙されているじゃないかと小生は思う。小生なんかもまだ大体20年くらいしか生きてないが結構色んなものに騙されてきたと思うしな。

 まあ能動的に明確な悪意を持て騙そうとするものもとても多いのだが、ここで言いたいのはそうじゃないものだ。主義、信条、生き方、行動規範、癖、ファッション、趣味、嗜好、学問といったものである。そういうものを孤立的に得ることが出来る人は多分絶対いない。どんな個性的な人間でも誰かから少しずつ何かを受け継いで個性を形作っている。別の言い方をすれば誰に騙されるかということが個性なんだろう。積極的に誰に騙されるかをよく考えて選んでいくのが賢いことなんだろうな。受身なのが多分きっと一番まずい。

 世界というのはカオスなので、学問というある一面からのごくごくピンポイントな視点(あるいはアプローチ)でははなから全容を捉え切れる訳がない。分かり切ったことだが科学は万能ではない。それとてある角度からの一視点に過ぎない科学の方法論では取りこぼしてしまうものは少なからずある。だからやはりある特定の学問を選びその学問を勉強してこの研究者の言うことがどうもよさそうだと考えることは、やはりこいつに騙されようということなのだ。

 ああ、自分が騙されているという自覚は他にもある。卑近な例でいえばバンドの物販なんかもそうだよな。普通なら買わないようなものでも買ってしまったりはしないだろうか。実用性機能性云々というのではなく、そのバンドが好きだから買う訳である。だからミイラズなんかは偉い。その付加価値に頼りきりになっていないからである。その反対にスティッチのグッズなんか作りくさるようなバンドはくそやろうだ。全力で付加価値に寄りかかってんじゃねえか。マジであり得ないよな! 誰が買うか! 

 まあでも藤原はそのグッズを作ると決めたチャマを信じ抜くと決めているのだ。恥ずかし死にしかけながらあれ着てたな。同じように小生はあんたに騙されよう。どこまでも騙されよう。まあチャマとかまわりの大人なんかはあんまり信用しないが。でもついていけるだけついていくから、お願いだからいなくなんないでくれよな。




  1. 2012/08/12(日) 17:54:13|
  2. 音楽
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