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駆り立てるもの

 下り、メレンゲの渋公ワンマンが楽しみだ。ここ最近、メレンゲとフジしか聴いていない。どうでもいいが、スタッフはこんな直前になってもグッズの詳細を発表しないがどういうつもりなんだ? 給料泥棒だろ。アーティストがどれだけクオリティの高い作品を生み出しても、そのまわりのスタッフが機能しなければ届かない。はっきり言って責任はかなり重いぞ。

 本当にもっと売れてもいいよな。。。。フジはもっと売れてもおかしくないし、メレンゲはそれと同じくらい売れておかしくない。考えてみれば、あれだけマニアックでむちゃくちゃな音楽をこれだけ知らしめた志村はかなりすごい。あの男が作って終わりのタイプの人間だったら、ここまでにはならなかっただろうと最近よく思う。よく考えてるよな。逆にいえばそういうことしか考えていなかったってことだが。

 それに対してメレンゲは作品のクオリティと知名度が釣り合っていない。要因は大まかにいえば、スタッフサイドの手際の悪さ、判断ミス、それと本人たちに(いい意味での)貪欲さが足りていないことだと思う。ディスコグラフィを見ているともっとデビュー時にシングルをもっと出していればと思うし、妙にポップさを要求したせいでロキノンなんかのかなり有力なメディアを味方にできなかったことはスタッフの手落ちじゃないか。事務所がかなり芸能寄りなテンカラットだというのも詳しくないが気になるな。ちなみに田中麗奈もテンカラットだ。

 まあ仮にスタッフがよくないとしても、クボが志村みたいなやつだったらかなり違っただろう。というか、それ以前にやつなら多分そういうスタッフは選ばないだろうが。フロントマンがいかにしっかりしているかというのはものすごく重要だが、その点クボは頼りないよな。プロモーションだとか大人の都合だとかに、クボは悪い意味でイノセントすぎるんじゃないか。まあ、クボが志村みたいなキツキツなやつだったらあんな曲は書けないだろうからあんまり望みたくはないが。。。。

 最近のバンドは見ていると本当にすごい。作品のクオリティだけでなく、バンドの話題性というものをすごくよく考えているのがよく分かる。ミイラズとか、アンディモリだとかな。キャラ立てもしっかりしているし、グッズなんかも「このバンドのグッズだから」という欲目を超えたデザイン性を持ったものを作ったりしていて関心する。ミイラズのマスコットのキノイ君とかすごくいいよな。「○○のパクリ」というマイナスの要素を逆に知名度の向上に利用しているのも上手い。ミイラズ畠山やアンディ小山田というのはものすごくそういった純粋な創作活動とは呼べない部分にも積極的で熱心だ。あとBURGER NUDSの門田もソロになってもしねこく色々やっている。PVも作るし、新譜の試聴会も開く。こういうことをしてくるバンドが増えてきているから、メレンゲのようなのほほんとしたバンドは押しのけられてしまうのだ。

 そもそもクボンゲはかなりどうしようもないやつである。やつが上京したきっかけというのは、別に大志を抱いてとかそんなことではない。友人の田中ユウスケがヤバいロカビリーバンドを辞める時に巻き添えを食って、ロカビリーバンドのナッパとベジータみたいなやつらにボコられそうになったことである。ロカビリーに呼び出された数日後には東京に逃げて来たのだから、あっぱれなヘタレっぷりだ。

 クボンゲはおそらく、性格的にもともと確固たる目標を持ってそれに向かって努力するようなタイプではない。のんびりしているというか、欲がないというか、飽きやすそうだし多分ものぐさな方だろう。だから何かが必ずケツを叩くことになる。だらだらしていたクボを上京させたのはロカビリーバンドだったし、2007年はおそらくずっと志村や田中ユウスケがせっついていたはずだ。

 今度は志村の不在がそうだろう。彼は強くならなくちゃいけない。それは別にオーディエンスの要望ではないと思う。彼は強くならなくてはいけないし、強くなれる。もともと持っているものはすごいから、目覚めたら状況は全く変わって来るだろうけどな。。。とにかく、「アポリア」で一曲もPVを作らなかったのは問題だ。あとスタッフいい加減仕事しろ。

 いいって言う前からずっと背中は押されている。今も。







  1. 2011/04/29(金) 10:02:28|
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退院

 つばきの一色が先日、退院したな。ブログを見たが、なんだか胸に迫ってくるものがあった。

 ぶっちゃけ大丈夫か?程度の関心だったのだが、彼の前にある未来は想像以上に困難なものなんだな。。。。最近句読点の打ち方に変化が見られたので、怖いなと思っていたが。。あれは上手く手が動かないせいなのか? 句読点の打ち方って脳のくせみたいなにがよく出るんだよな。上手く説明出来ないが。。。。

 彼が復帰出来るまでは年単位の時間がかかるだろう。心を切り裂くようなつらい日々は退院とともに終わった訳ではなくこれからも多分続く。だがそれは「いい経験」なのだ。。。。皮肉なことに。人間の幸福と作家としての充実というのはほとんど反比例に近い形になるのだ。。。そして人としての幸福を自分から捨て去ったのがフジファブリック志村である。あの男は本当に怖ろしいことをした・・・!

 だが、往々にして人としての不幸を創造の情熱が超える時がある。だから芸術は人の胸を打つ。だから人はそこへ向かって手を伸ばすのだ。この世で最も業が深い道のひとつだ。。。。だがそこに救いがある。彼らに尊敬と感謝の念を持ち続けたい。

 一色も多分この道を進み続けるんだろう。「幸運」を祈る。




  1. 2011/04/28(木) 12:34:21|
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漫画

 違えて乙一の第4部ノベライズを読んでしまったところから、最近ジョジョを読んでいる。面白い・・・ッ! 読みながら漢泣きである。今ちょうど第2部に入ったところだ。ジョナサンは最期まで漢だった・・・!! 

 今まであまりちゃんと漫画を読んだことがないので新鮮である。持っている漫画でちゃんと全巻揃っているのは「DEATH NOTE」と「詭弁学派 四ツ谷先輩の怪談」と「鉄コン筋クリート」だけだ。最近はユニコーンファンの人にもらったいくえみ綾も読んだ。民生ちゃんオンパレードであった。。。漫画も意外と面白いもんだな。ちょっとはそうも思うこのごろである。

 そもそもなぜ今まで漫画を読まずに生きてきたかというと、それは我が家が漫画がダメな家だったからだ。別に漫画を買うと怒られるとか取り上げられるだとか、そういった訳ではない。漫画を読んでいるとバカにされるのである。

 テレビや映画なんかの映像は何も自分で考えることなしにただ受け取るものである。それに対して本は活字を読んで自分で想像力を働かせることが必要である。漫画は絵が主体なので何も考えずに流し読みができるから低俗なものなのだ。まあぶっちゃけ本が好きだったからと言って褒められたことはないが。。一冊数時間のペースで読んでいると、親は本を買ってくれなくなるのだ。。。。

 「お前は漫画を読むような低俗な人間なのか?」と言われたら、それでも読む気がすると思うだろうか。という訳で漫画はほとんど読まなかった。まあ小さい頃はたまにコロコロなんかを買ってもらっていた記憶はあるし、中学の一時期にはガンガンなんかを買っていた。

 しかしそのせいか、活字に目が慣れてしまって絵を見るのは苦手だ。字ならぱっと分かるんだが。。。特に漫画の表紙は絵みたいになっているので、本屋で欲しい漫画を見つけ出すのは大変である。3回に2回くらいは諦めて帰る。

 そういえば小学6年くらいからテレビもほとんど見なくなったので、昨日見たテレビの話題が始まると幽体離脱する癖がついた。面白くないので特に見たいとも思わない。ただ、家に誰もいない時は見たりする。別にさびしくなんかはない。絶対にない。

 同じ理由で映画もそんなに見ていないので、いつかたくさん借りてきて片っ端から見てみたい。ただ映画は長いので時間と場所を確保するのが難しいんだよな。まあ自立してからになるんだろうな。。。。

 しかしやっぱり漫画はたくさん読むが本は読まないという子どもなんかは本当に読解力がない。読解力不足というのは色んな局面でネックになって来るから、これは本人というより親の責任だと思う。本は読めと言われて読むものじゃないからな。いかに子どもが読みたいと思うような状況を作るかというのが重要だ。その点、外国は上手くやっているよな。ほいほい外国の「良いところ」を取り入れるのは好きじゃないが、おもちゃのような装丁の本であふれている本屋を見ると正直羨ましい。



 コメントをくれた人々、ありがとう。なんか色々考えていたら返せなくなったっす。すいません。でもありがとう。








  1. 2011/04/27(水) 21:32:47|
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音楽は文学である


 近引っ越したキノ下が何やら棚を組み立てているのだが、殺人的なひどさである。もうわざととしか思えない。小生もあまり器用ではないが、一応作ったものは見た目くらいはちゃんとしたものになるぞ。一見普通のタンスだが、建て付けが悪くて開かなかったりするのである。しかしなかなか見た目まであれほどパンキッシュにするのは難しいと思うが。

 そういえば元々ここは掌編や何かを載せようと思って作ったのだが、気づけば音楽ブログである。いや、違うのだ。たとえ音楽を扱っていようと、文学的アプローチを用いるのが我がスタンスである。ぶっちゃけ音楽は文学だと思っている。実際、現在の文芸批評の範疇には小説だけでなく映画や演劇もしっかり入っているし、音楽も入りかけている。確かうちのゼミの先生の同期でエルトン・ジョンの作品について書いた人がいたな。

 今の日本のロックシーンには学問としての文芸批評に耐え得る名作がたくさんある。ホイットマンや中也が取り上げられるんだったらBOCやメレンゲをやったっていいだろう。見劣りなんかしていない。どうせ少し経った頃には当たり前に研究されることなんだから今やったっていいだろう。なんとかゼミでやれないだろうかと思っているんだが。。。。フジファブリックなんか詩集も出ているしな。先生はあまり詩歌をやりたがらないんだよな。。。

 ライブについても、単なるメモのような覚書きにしたいとは思っていない。小説に近い、ある一連の流れを持った文章にしたいのである。出来事を箇条書きにして並べるのではなく、その時の空気や感情を閉じ込めたいからだ。まあ言ってしまえばここにある文章は全て、かなり個人的な手控えに過ぎない。

 それでも見てくれる人、ありがとう。まあでも基本的にダメ人間なのであんまり期待しないでほしい。苦笑 

 たまには短編でも載せようか。。。。






  1. 2011/04/25(月) 21:16:50|
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春にして君を思う


 「ずっと音楽だけをやってきて今になって思うことは、音楽抜きの自分に果たして見向きしてくれる人がいるのかということ。そんな人多分いない。それがとても怖い」

 そう言ったやつは今、いない。

 バカなことを言うよなと今でも思う。お前、ずっと見てほしかったんだろが。あんな丸出しの音楽やっといて何を言ってるんだ? 見てるよ。見てない訳がないだろう。受け手っていうのはなんだかんだいって作品を通してその向こうの作り手の姿まで見ようとしているんだ。批評の在り方としては確かに時代遅れもいい所だが、でもそうしたいんだよ。作品を受け止めるというのは作り手と繋がる方法だ。作品を認めるということは作り手を認めることだろう。

 見てるよ。みんな見てるだろうが。正直言って、最初はどんどん忘れられていくんじゃないかと思って怖かったが、どうやら杞憂だったみたいだ。見ろよ。こんなにたくさんの人があんたを見てるじゃないか。みんなあんたのことを多分絶対忘れないぞ。多分何十年か後には大挙してそっちに行くと思うからもうマジで震えて待て。笑ってられるのは今のうちだけである。。。。。覚悟しろ。



ステレオの中で手を伸ばせ。
全身全霊で思い描け。

へそ曲がりの彼がすり抜ける前に。






  1. 2011/04/24(日) 13:07:10|
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