inkblot

悩む


 今、部誌の原稿を書いている。もちろんクオリティなんか高が知れているのだが、悩む。

 なぜならこれを100年後の人間がやっているのなら褒められるが、リアルタイムでやっても気持ちが悪いだけだろうという内容なのである。どうやら大義名分に逃避して調子に乗ったようだ。。もう少し冷静になるべきだな。。。

 問題は、もう既に大分書いてしまったということである。確か原稿用紙20枚ほど。そして〆切は一週間を切った。。今から問題ない形にリライトして間に合うだろうか。。。

 ネタとしては悪くないので少し惜しいのだが、あの文体模写がかなりまずい。元々自分と似た文体なので抵抗がなかったのだが。。文体模写、やるなら鴎外でもやるべきだよな。

 うむ。。。思い切ってリライトするか。昨日あんな文章を書いたばかりでこんなことをやってられないよな。うむ。なんだか決心がついて来た。あれはやめるか。

 よし。今からリライトしよう。いざとなったら、〆切は踏み倒す覚悟である。。。





  1. 2010/11/29(月) 21:49:49|
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ゴッチと文才

 ゴッチの日記を見た。ちょっと小説風でツアーで訪れた岐阜について軽く述べてある。語り手は女性である。一人称は「アタシ」。


 ・・・これ、ゴッチはまさか自信持ってないよなあ。苦笑 うむ。。。ある意味すごいセンスであると思った。この程度で「小説」と銘打てるんだったら、私のような駄文書きだってペンで身を立てられそうだぜ。。。泣 ゴッチはホリエアツシにでも弟子入りすべきだ。あいつ、文章は上手いから。

 小説なんてものは、我々のような才能のない人間がのどから手が出るほど書きたいものなのである。。他分野の連中がちょろっと素人臭い文章を書いて「小説」などと言われると悲しくて仕方がないのだ。。某水嶋ヒロとかな! 出来レース許すまじ!

 まず読んでみて戴けないのは、本を読み慣れていないような文章である。こちとら、幼稚園から娯楽小説は読んでいる本の虫である。読者としては割と年季が入っているぞ。。薄っぺらいのは一瞬で看破されるということを忘れないで欲しいものである。こういうのを書いているやつに限って、無意味に自信満々なのだから困ったものだ。。

 あとどっかの文芸部とか行くと、大体がある程度のライトノベルの素養が要求される、暗い男子とかわいい女子(現実には存在しない確率100パーセント)のラブストーリーみたいのばかりだったりする。まず書こうと思った動機が好きなアニメに触発されて、といったところなので当然本などまともに読んではいない。そもそも一般教養を超えた予備知識を要求するようなものは真の娯楽小説とは言えない。これは先生とも嘆いたことである。。

 いつも思うのだがどのジャンルの作家が一番すごいかと言えば、それは児童文学だろう。そこには最も根源的な胸の高鳴りがある。誰だってカニグズバーグや岡田淳をドキドキしながら読んだと思う。私だって出来るものならそういう話が書きたい。人を暗くしたり悲しませる話なんてクソ食らえだ。笑わせてナンボだろう。もっと言うならば、泣いてるやつを笑わせるくらいじゃないとダメだろう。


 ・・・少し興奮し過ぎたな。とにかく言いたいことはひとつだ。



 ゴッチの日記、リライトしてえ!











  1. 2010/11/28(日) 16:36:23|
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zakki

 風邪を引いて更新が止まってしまった。。体調が悪かったせいで、昨日の5限の米文学の後は赤谷先生と話さないで帰った。先生は心なしか話したそうであった。あんな話好き(自覚あり)がよく一人暮らしができるものだなあといつも思うのである。来週から話してくれないと悲しいので、後でメールしておこう。。

 そうだ、いい機会だから赤谷先生について書こう。赤谷先生はT大卒のアメリカ文学の専門である。四十路もまだ半ばなのに髪は明るい灰色で体格はこじんまりとした印象を受ける。血色の良い丸顔に銀縁の眼鏡を乗せた、釣りズボンの素敵な先生である。うちの大学教授の中では珍しくMac Bookを使いこなすが、漢字の書き取りは苦手である。しかし先生が面白いのはもっと別のところである。

 なぜかいつもあわてふためいているのである。何でもないところで一人でテンパり、何かにさり気なくぶつかり、どもる。・・・おかしいな、他人事の気がしないぞ。。いや、しかし先生は異常に・・・「あの」を頻発するのである。

「ですからあのー、あのあの、Hawthoneのあの、The Scarlet Letterは60年代に起こるメタフィクションのあの、先駆だと言えると」

 大体そんな感じである。先生はひとつ言うことがあると、「念のために」その補足事項を言わなければならないと思うのである。そしてひとつ補足すると、またそのことについて補足事項を言わなければならないと思うのである。まさにエンドレス! だから先生は焦ってしまって「あの」を連発するのである。。席から漏れる失笑。。。学生の中には、講義の間に発せられる「あの」の数を数える者もいる。それによれば、200回を超えるらしい。

 ちなみに先生にメールを送るのはあんまりよくない。なぜなら書きたいことが多すぎて永遠に書き終わらなかったりするからである。メールを送る場合は返信を期待することなかれ。しかし先生の知識量には驚嘆すべきものがある。。さすがなスペックである。先生の専門がもっと違う分野だったらもっと面白かっただろうとよく思う。しかし先生はこんなものを知らないやつを相手によくこんな話せるなともっと思う。

 しかし米文学の時間は先生と見つめあっている時間が長すぎてちょっとつらい! ノートが取れないのである。ぶっちゃけフォークナーとか一作も読んでないぞ。。友人に「赤谷さんについていけるのは君くらいだね」などと言われてうんざりするのがいつものパターンだ。などと言いつつ、面白いので今日も今日とてまた話しかけるのである。








  1. 2010/11/27(土) 21:42:53|
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キシダ君観察記5


11月24日

 先週の教訓を活かして、2限のブーメランで寒い思いをしないためにジャージを着ないで厚着で授業に臨んだところ、逆に暑くてヘコんだ。見よ、我が愛器の描く軌跡を! 美しい10mの直線・・・グラウンドにおけるブーメランの掘削力に関するデータは微妙に集まらない。運動部のスパイクで掘り返された地面が乾いてボコボコになって土くれが固まっているため、ブーメランの痕跡が分からないのである。期末のレポートはこれで行こうと思っていたのに・・・終わった。

 しかし、やたらめったら投げていたら風に乗っていくらか飛ぶようになった。最終的には90度も曲がるようになったぜ! この日は小テストがあったため練習時間は短かったのだが、その練習の最後の一投をした時であった。

 その瞬間、さっと一陣の風が吹いたのである。風に乗って我が愛器はグラウンドのフェンスを颯爽と超え、青い空、黄金色の雲のようなイチョウの梢の中へと消えた。それは一瞬のようでいてスローモーションのように緩慢な印象を与えた。。。

 「やべえ、今超飛んだ!」 私はその場で驚きと興奮で棒立ちになった! しばらくして、ブーメランがアスファルトに落ちる硬い音が聴こえる。や、しょうがないな、全く。のろのろとイチョウ並木まで出て行くと・・・・・・ない。あるのはイチョウの葉ばかり。あと銀杏。・・・ヤバいか? そばで銀杏を拾っていたおっさんに訊く。

「いやあ、見てないねえ。変わったブーメランだねえ。器用だねえ」

 そうっすよね。。。ちなみ左手に持っているのは星の鳥に似ているからというだけで作った装飾用である。親の取柄を受け継がなかったので、飛ばないブーメランである。それからも空しい捜索は続いた。。。

 
 最終的に、掃除のおじさんに訊いた後にとうとう諦めた。さらば、我が愛器。。私はこのイチョウの葉の金色の海のどこかで潰れた銀杏にまみれているであろう、愛器をしばしの間悼んだ。グラウンドに戻ると小テストは既に2週ばかり終わっていて、怒られた。しょうがないので予備のブーメラン(装飾用)でやった。美しい直線の軌道を描いていた。





 3限は友人が遅くなるというので、部室に寄らずに本校舎に直行した。・・・キシダ君はまだ来ていない。しばらくぼうっとしていると友人が来た。なんと、5限は休講らしい。残り2コマに俄然気合が入る。話が意外と盛り上がって、キシダ君が入ってきてもチラッと一瞥で話に戻った。ちなみにキシダ君は緑のパーカーである。

 その日の講義は主にロシア革命を中心としたかなり込み入った話でさっぱり内容は分からなかったのだが、教授の熱のこもった口調に授業が進むにつれて徐々に乗せられていき、いつの間にかすっかり熱くなっていた。授業が終わって、教養医学概論に向かう途中も友人と講義の感想を熱く語り合った。

「今日の授業よかったな!」
「内容さっぱりだったけど!」
「先生に惚れたわ!」

 その次の教養医学概論は肝移植の話だったのだが、医学部は我々をなめくさっているらしく中学生相手のような目新しいことの何一つない退屈な上に、臓器移植という将来性のない分野を執拗に正当化するだけの講義だったので、感想カードに悪口をみっしりと書いてやった。私は普段そんなに分量を書くことがないので友人に驚かれた。友よ、私は臓器移植にはちょっとうるさいのだ。。。

ん? そういえば他のことに気を取られていてキシダ君の観察を忘れていた。





11月25日

 2コマある授業がたまたま1コマで終わり、その後先生と話しこんでしまった。まあ、いつものパターンである。最初はたしかジョイスの話をしていたはずなのに、気づけば日本のお粗末な戦前の軍部の話になり、それが日本の文学賞に移り、最終的には先生のご出身であるT大の話に落ち着いた。

 T大には、「限りなく退学に近い卒業」というものがあるらしい。。「もうお前の顔見たくないから卒業」というやつである。ちなみにT大の教授会では「掃除の人がタンポポを抜いてしまうのでどうにかしてほしい」という議題が上るそうである。

 そして驚愕の事実が・・・! 先生の同期には幸○の科学のO川恭子がいるらしい。「就職先が出版社だったんだけどさ、○福の科学出版ってなんか宗教っぽいなと思ったらほんとにそうだった」そうである。今でも同窓で飲んだりする時には「木村(旧姓)が『愛と美と幸福の女神』はないよな。苦笑」という話になるそうである。「信者に刺される!」と先生は言ってたが、こんなところに書いている小生も刺される気がしてきた。。。

 あと先生は「木村は面接で延々と論文のスペルミスを教授に指摘されてた」とさらに暴露してくれたが、今日の話を母にしていたら「そんなにスペルミスがあるってことは辞書見ないで書いてるってことでしょう。相当頭いいわ」と言っていた。そりゃTだからね。。。というかそれを笑っていたうちの先生はその上を行っているということでは? ・・・笑えない。ちなみに先生は一浪しているが、それは数学が出来なかったからだそうである。出来ない次元が違う。



 先生は喋り出すと止まらない人で、私は人の話を聞くのが好きなクチである。そんな風に話は際限なく盛り上がり、先生と別れた後に時計を見ると少なくとも授業が終わってから3時間半が過ぎていた。・・・いつもは1時間くらいですよ。いい加減腹が減ったので遅い昼食を取ってから帰ることにした。

 食欲と(無駄な)知識欲を満たし、上機嫌で銀杏並木を歩いていた時であった。一台の自転車が私を追い抜いた。別に自転車自体は構内で特に珍しいものでもない。完全に追い抜かされた時、見るともなく見ていた私の目に不意にドドメ色のデイパックが飛び込んできた。

 キシダ君であった。

 キ、キシダ君が自転車に乗っている! ちなみに運動着姿である。自転車に乗っているということは自宅が大学の至近距離にあるということ、つまり地方出身者で1人暮らしをしているという可能性が極めて高い。。まあ、実家がこちらという可能性もあるが。。ん? 部の備品として自転車を持っている部活がないわけではないな。。。(例:文芸部) まあ、あまりないとも思うが。


 キシダ君は思いも寄らないようなところで、いつも奇妙な手がかりを残していく・・・・・・それでこそ、我が好敵手! 燃えるぜ、キシダ君よ! 来週は正攻法で行く。。。







  1. 2010/11/25(木) 19:53:19|
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three people's eyes (make me feel horror)

 。たまにすごい目をしたやつを見かける。その中でも、今までにぞっとするくらい印象に残る目を私は3人見つけた。全員ミュージシャンである。まあ、そういう方面に関心が偏っているからなんだろうが。



 初めて「こいつ怖いな」と思ったのは、BUMP OF CHICKENの藤原基央である。いや、顔も怖いがあれは目つきである。目が極端に悪いのに裸眼のままということを差し引いても、何か異様な感じだ。。。気圧される。視線が触れたものすべてを切り裂きそうな勢いだ。うむ。とりあえず小生の心はズタズタになった。

 しかしBOCを聴くようになって気づいたのだが、その目は優しい光を宿すこともある。あの眼差しの強さは彼の意志の強さ、覚悟の強さである。あれだけ強い目の前に打ち勝てるほどの覚悟なんてそうないんだから、切り裂かれても何にも不思議じゃないよな。なんであんなに強いんだろう。分からない。BOCがあまりに私の中で基準になっていたから、未だに相対化がうまくできない。少し離れてみると、BOCはどこまでも異常すぎるバンドだった。


 そして分かりづらいが、地味に怖いのがSyrup16gの五十嵐隆だ。シロップの知名度がどれくらいのものかは知らないが、暗い鬱病じみた曲が特徴的なバンドである。暗いといえばバーガーナッズやアートスクールなんかもそうだが、あれらはとても虚構的だ。アートスクールなんかはとても象徴的な、独特の耽美的な世界観だが、シロップはどこまでもリアルなのだ。
 
 五十嵐はいつも脱力した、腑抜けた顔をしている。全体的に見れば大して印象に残るような人間ではない。だが、ある日「負け犬」のPVを見てぞっとした。執拗にクローズアップされた五十嵐の目が映るのを見てである。どうしたらあんな風に歪めるのだ。こんな禍々しい目が存在していいのかと思った。多分きっと、すべてのパーツが相殺しあってああいう風に見えているだけなのだ。不吉である。

 しかし彼は絶望の底の底のような歌詞なのに、それでも驚くほど美しいメロディを作る。彼には音楽しかないのに、彼が音楽をやる上で障害が多すぎるのがとても気がかりだ。。。


 最後に書こうと思うのは、フジファブリックの志村正彦である。私がフジファブリックを初めてちゃんと見たのは何かの雑誌である。志村の目は光を跳ね返さないのにすべてを弾き返しているようで、異様だった。大きくて黒々とした目は、物怪じみていて不気味である。「こいつ人間か?」と本気で疑問に思った。目の割合が大きいから、写真だとどうしても見たくないものに目が行ってしまう。なのにたまに買う音楽雑誌にかなりの頻度で載っているので閉口した。

 フジファブリックを聴くようになってから笑ったり恥ずかしそうにしているところが案外普通だったので、やっと志村を人間として認識できるようになった。彼の目もやっぱり彼の信念の強さ、覚悟の強さである。でもそこには強がりや虚勢が混じっていて、時々折れそうになる。彼は自分の弱さを叩き直そうとして自分を追い込んでいるみたいだった。あの強情にはじき返すようなところは、きっと彼の怯えだった。彼の弱さの方が藤原の強さよりも私には分かる。彼の人間臭い弱さの方が。でもそれが薄れた時があったよな。むしろそれが一番怖かった。なんだか抜け殻みたいだった。なんであんな目をしていたんだろう。それは、2009年のことだ。








  1. 2010/11/24(水) 14:19:29|
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