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憐れなるかな、臆病なる造物主よ 孤独なる神よ


 『TRUMP』を何回か観ていて、ストーリー上どうしても引っかかる箇所がいくつかある。しかし今回観ていてなんだか自分なりに答えを見つけられたような気がした。パンフレットを読んでいると、末満の「周囲に迷惑をかけたり気を使わせてばかりいる、臆病で身勝手で、孤独な「神様」」という文が目に留まった。クラウスだ。そこからさらに理解が進んだ気がする。的外れかもしれないが、ちょっと書き出してみようか。

 まずひとつめは、なぜクラウスはウルにかたくなに永遠の命を与えようとせず、ただ見殺しにするのかということである。「君からはいい匂いがしないんだ、懐かしい匂いが」という台詞が象徴するように、クラウスにはもはやアレンの血しか見えていない。だがそれは理由のうちのひとつでしかないだろう。それだけではない。

 クラウスはおそれているのだ。ソフィはアレンの血をひく、クラウスに遺された最後のアレンのよすがではあるけれども、しかしクラウスが手に入れられなかった永遠の友=アレンではない。だがそれを認めてしまえば、クラウスは壊れるしかない。その現実のほころびこそがウルなのだ。ソフィの友はクラウスではない。ウルこそがソフィのたったひとりの友であり、二人が生き永らえればそこにクラウスの入り込む余地はない。もちろん、イニシアチブを掌握すれば繭期の少年たちを意のままにすることなど容易いが、それだけはしてはならない。後に残るものは死を超えた絶望だけになるだろう。

 ウルがいてはソフィはアレンにはなってくれない。臆病で身勝手なクラウスが今度こそアレンを永遠の友とするには、ウルがいてはいけないのだ。そうしてウルは死に、ソフィはその身にアレンの捨てた「永遠」を結晶させることとなったのではないか。

 もうひとつ。クラウスはなぜソフィに永遠の命を与えておきながら決して会おうとはしないのか。それもやはり彼の心のどうしようもない脆さゆえではないか。アレンに永遠の命を与えようとしたにも関わらず、その答えに動揺し果たせなかった心の弱さ。今度こそアレンの血を引く子を絡めとることは出来たが、その混じりけのない純粋な思い、意志を受け止める心の強さは彼にはない。狂気という殻で崩れかけたおのれの心を抱き集め、自らのしたことから逃げ続けている。終わりなどないのに。この惨めな狂える夜の造物主にとって、永遠の友が今この時も滅びゆく世界に存在しているというだけで十分なのだ。

 憐れなるかな、小さき造物主よ。疎外されし神よ。悲劇は繰り返す。


  1. 2015/11/29(日) 10:42:11|
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『TRUMP』

もう色々あってわざわざPC開いて何か書く気が全く起きないので、ずいぶん放置してしまった。相変わらずそんな気力はないのだが、とにかくそろそろリハビリを始めないとどうにもならないのでとりあえず書けそうなところから書くことにした。

というわけで、今回は昨日観てきた舞台『TRUMP』の話を。なんかメレンゲファンに刺身にされそうだが、違うのだ。こっちのチケットを取っただいぶ後にライブが決まったのでどうしようもなかったのだ。『TRUMP』のチケットは倍くらいするしな。後生だから活け造りだけは勘弁してほしい。

TRUMP』はピースピットの末満健一のライフワーク第一作で2009年初演、それから2012年の再演とオールフィーメール版、2013年再々演を経て、今回五度目である。その合間合間にピースを埋めるように新たな作品が発表されている。

吸血種=ヴァンプは人間でいう思春期に繭期という時期を迎える。繭期のヴァンプは精神的に不安定であり、不可侵条約によってかろうじて繋ぎとめている人間とヴァンプのあいだの関係を壊しかねない存在である。そのため、繭期の症状が現れた少年たちは、肉体的にも精神的にも成長過程にある彼らを教育・監視するクランへと送られる。すでに何代も人間の血が入っていながら繭期を発症したダンピールの少年、ソフィ・アンダーソンがクランへやってきたことで、真なる吸血種=TRUMPにまつわる百年前の悲劇が息を吹き返し、完璧なかたちに向かって急速に動き出してゆく。

あらすじを詳しく書き出すことはしない。小生は現時点で再演のTRUTHヴァージョンと今回のTRUTH、そして『SPECTER』を観ている。『LILIUM』は核心部分はなんとなく知っている。という感じで、基本的には再演と比較しながら観る部分が大きかったと思う。

TRUMP』は忌み嫌われるダンピールであるソフィと名門の子であるウルのように、基本的に対になり互いに補完しあう二役一組で登場人物が配置されている。いやあ、役通りにソフィのキャストが美少年になったのは今回初の快挙ではないか。初演の田渕法明なんかは中性的な美青年だとは思うが、おそらく美少年ではなかっただろうと思う。末満は「これは擬人化ならぬ擬美少年化である」と嘯いていたが、とりあえず主役の二人、特にソフィは役と役者の実年齢が近い方が望ましいのではないか。ソフィは彼自身の特質としては極めてフラットであるにも関わらず、その存在自体が抗いがたく悲劇の心臓として機能してしまう。だからソフィは美しければ美しいほどよいのだ。

歴代のキャストを観ていても、ソフィはニュートラルというか、まだほとんど何かの色に染められていない白い紙のような美少年である。虐げられる環境の影は多少差しているが、基本的な情動や意志はかなり純粋でほとんど混じりけがない。対してウルは外見も内面もいくらか癖があり、陰翳に富む印象である。ウルには屈託がある。ソフィは素質がものをいう役であり、ウルの方が役者としてはやり甲斐があるかもしれない。観てないからあれだが、初演の田渕ソフィはもしかしたらちょっと巧すぎたりした可能性はあるな。

しかし、今回の早乙女ウルは歴代のウルのなかでも類を見ないアクの強さで面白かった。貴族の息子とは思えない柄の悪さである。よくいえばワイルドか。個人的にはぶっちゃけ早乙女ウルの性格というのがいまいち掴み切れなかった。貴種にして野卑であり、粗野にしてその心身は極めて脆弱である。いいとこの坊ちゃんが悪ぶっているにしては、粗野さが身体化されすぎているのだ。あとあんまり弟っぽくないのな。まあそれは求めすぎか。滑舌が悪いのが最大の欠点だが、やはり剣を持たせると滅法格好いい。高杉ソフィがフラットな演技なので、早乙女ウルの持つ教養の異質さというのが際立っていたような気がする。それにしても剣さばきはもっとじっくり観たかった。

そして悲劇の発端であるティーチャークラウスとアレンなのだが、山浦クラウスがあまりにも完璧なので全くノーマークだった陳内クラウスが予想を裏切ってとてもよかった。ふとした時の声のなめらかで継ぎ目のない冷やかさがよい。狂気のむき出し方がうまいなあ。脱帽。武田アレンはわりとごついが若くていいね。赤星アレンはなあ、、若かったらなあ。。。(※個人の感想です)

ラファエロとアンジェリコも今までと比べて脚本でも関係性が掘り下げられているし、より役にフィットしていたと思う。アンジェリコめっちゃ歌ってんなと思ったらミュージカルの人なのか。面白い。平田バンリはソフィと話す時やけに声がうきうきしていると思ったら、インタビューでも「最近、高杉真宙がかわいくて・・・」ということを言っていて「おお・・・」と思った。まあ男しかいないホモソーシャルな空間だからね。新羅花郎と一緒だね。うちの指導教授の好きなやつですよ。間違ってもホモセクシャルではない。まあいいか。

ダリ卿は抑制のきいた演技だったのがわりと意外だったのだが、その分椅子が、、、椅子がだいぶすごいことになっていたがあれは何なのか。まあいいか。
  1. 2015/11/28(土) 13:42:00|
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小林賢太郎

 ラーメンズが好きだ。小生はお笑いはほとんど観ない。だからラーメンズが許せるんだろうし、ラーメンズ以外が許せないんだろうとも思う。好きな話は「採集」「ネイノーさん」「ドーデスという男」「小説家らしき存在」「鯨」「器用で不器用な男と不器用で器用な男の話」・・・・・・色々あるが、キャラが立っているものと伏線を張りまくったミステリ風などんでん返しがあるものが好きだ。まあ、わざわざ好きなものを挙げるということは、嫌いなものもあるということだが。

 ラーメンズは「自分がエンターテイメントに求めていたものはこれだ!」という強烈なカタルシス(サブライムと言ってもいいかもしれないな)がある反面、観終わった後に強烈な不満感の残る話も少なくはない。不思議だよな。たとえば、アメリカン以外の「日本語学校」はあまり好きではない。「ことわざ仙人」「アカミー賞」「マリコマリオ」「1313」も好きじゃない。「ALICE」は「後藤を待ちながら」「風と桶に関する幾つかの考察」「不思議の国ニポン」以外は嫌いだし、「TEXT」も「銀河鉄道の夜のような夜」以外あまり面白いと思えなかった。なんでなんだろうな。今思いついたが、嫌いなコントとその割合を公演別に割り出して、何故それが嫌いなのかを突き詰めて考えたら面白いかもしれない。まあ、やらないが。

 小生はラーメンズ(というか、ブレーンである小林賢太郎の作るもの)が好きだが、それについて深く考えようとはしてこなかった。面倒臭かったからである。小林という男は、それ自体が決してお近づきになりたいような人間ではない。今この距離感というのは、小生にとって理想に近いものである。こちらからやつのことを観ることはできるが、やつからは全く観ることのできない位置。欲を言えば、「関係者の関係者」あたりが最も理想だろうか。そんなところで当事者たり得ない、つまり現象に一切影響を及ぼさない「不完全な」観測者としてそこにいてみたい。まあ、それは興味のあるもの全てに対して言えることか。

 パフォーマーとしても「作者(author)」としても一流である、見るからに支配欲の強そうな小林と、強烈な個性を持ちながらもどこか卑屈で自我がなく、小林という「作者」の「作品」を忠実に演じる(つまり、その一流の「作品」を演じきる才能があるということだ)「役者」の片桐。小林は片桐を見下しているが、それでいて病的なまでに依存度が高い。小林の「作品」には、ストレートであれかなり捻った形であれ、「小林」と「片桐」が常に登場する。二人の関係性は非常に面白い。普通だったら、考えたくなるよな。

 でもダメなんだ。小林は嘘吐きで性格が最悪で頭の回転が速く、器用で非常にポテンシャルの高いむちゃくちゃ虚しい人間である。やつはそのすべてを使って、その事実を示す。そんなやつについて、もう何も言いたくはない。違うだろ、他にやるべきことはあるだろ。でも、やつはそれを客に見せないように先回りして自分でおどけてみせる。それを貫き通すんならカッコいいが、そうじゃないじゃないか。それってどうなんだ?

 最近のKKPなんかはつまらないしな。。。「トライアンフ」はがっかりだった。「ロールシャッハ」も個々のネタは面白くて好きだが、オチがすっきりしない。どこかで「小林は自分の内面世界をかなりストレートに作品に投げ出すきらいがある」といったようなことを見たのだが、そうだとしたら心配になるな。ちょっと個人的な芸術についての持論には反するんだが。。。。

 でも、「TOWER」は面白かったよ。今からでもチケットが取れそうだから、「THE SPOT」でも観に行ってみようか。







  1. 2011/07/20(水) 10:00:43|
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ロールシャッハ at 本多劇場

白かった。しかし、十分に余裕を持って家を出たにも関わらず、O田急が大幅にダイヤを狂わせたせいで、途中から見ることになってしまった。

……一生、忘れない日になったぜ。

というわけで、あんまりちゃんとした感想は書けない。

いつか必ずリベンジするぜ。。。

今度は……夜の部でな!

(以下ネタバレメモ)



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  1. 2010/10/14(木) 09:55:29|
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JESUS CHRIST SUPERSTAR

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1973年公開。

 キリストものの映画は「パッション」も観たが、これの面白さが忘れられない。パッションがイエスの最後の7日間を延々とリアルに描いているのに対し、これはイスカリオテのユダに重点を置いている。

 ミュージカル映画なので、もう踊りまくって歌いまくっているのだが、キャストは全員大学生(らしい)。ヒゲ面の野郎どもがワイルド。ジーザス役のテッド・ニーリーも悪くないが、ユダ役のカール・アンダーソンの熱演ぷりがバリヤバい。マグダラのマリアのイボンヌ・エリマンも歌がすごい。

 ロケ地はちゃんとエルサレムなのだが、戦車や飛行機がわんさか出てくるし、少し古いので、観ていてかなり笑える。特にユダが。キリスト者じゃない自分からしたら、こっちの方がよっぽど面白い。

 作者は何気にアンドリュー・ロイド・ウェーバーである。もともとはブロードウェイで、劇団四季でもやっているらしいが、評判はいまいちらしい。確かにあれを日本語で歌っていたら引く。

 6月23日にNHK-BS2でやるらしいので、私はもう一度観るつもりだ。


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  1. 2009/06/06(土) 23:39:02|
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