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ALIBA QUMUI




「Prelude」


 そこは小ぢんまりとしてごちゃごちゃした喫茶店のようだった。色んな見たことも無いような茶葉が棚にぎっしりと乱雑に詰まっているかと思えば、その隣には実在するのか定かでないような奇怪な言語で書かれた本が所狭しと並んでいる。店の隅は茶葉の色に染まっていた。だが、店内は不思議と明るい。いや、男の居る空間だけが白い光に包まれているように見えるのだった。

 男は一人用の小さな白いプラスティックのテーブルについて注文したものが来るのを待っていた。年の頃は子どもじみて見えるが27,8,あるいはそれより若いか、年上か。 白いTシャツの上に黒いカッターシャツを着てジーンズを履いている。ありふれた格好だが、育ちが良いのか身だしなみがよく、どことなく立ち振る舞いに品がある。顔立ちは年相応といえる静かな疲労の中に、まだ幼さが口もとや頬、目もとによく残っていた。

 しばらくすると、還暦を過ぎたぐらいの、眼鏡で痩せぎすの男が、どこか取り憑かれたような目をして紅茶のようなものを運んできた。テーブルに置かれたそれに、くすんだ銀の壺に入っている砂糖を多めに入れると、男はやはり疲れの滲んだ無表情な顔でそれに口をつける。それを見て、カウンターの暗がりの中、先程の老人が口の端を歪めて笑ったように見えた。

 男の手元に伝票が置かれている。其処には紅茶の名が、アルファベットで記されていた。

其れは『ALIBA QUMUI』と罫線を無視して書かれていた。





「Blanc, Noir, et Rouge」



 白いリノリウムの床の上に倒れた男の黒髪と赤い血。
鮮烈な印象を網膜に焼き写すように、男は戸口に立ってモノクロの無表情のまま、それを凝視していた。薄汚いセピアの部屋の中、白いリノリウムの床の上に斃れた男の黒い長髪、古いインド印度の意匠のナイフと赤い血。赤。育ち過ぎた少年のような男は淡い隈のある目でただ友であったそれを見つめる。セピアの中、白の上に黒と鋼とそして赤。鮮烈な赤。不透明な赤。





「Spilt Tea」



 喫茶店の隔絶された白い空間で、『ALIBA QUMUI』がホクロ黒子のある上くちびるまで運ばれていく。刹那、男は何か呟こうとした。だが、それは途切れ途切れに掠れて言葉にならなかった。

 男の手からティーカップが離れていく。白い陶器は硬度を失ったようにしなやかに割れて、濃い琥珀色の液体があふれた。赤みがかった液体は床の木目を濡らしていく。広がっていく紅茶。赤。広がっていく赤い血。

 白。白い手と印度のナイフ。鈍色。過去の記憶は唐突にフラッシュバックする。床にあふれる血で汚れる白い手。激しい頭痛の中、男は壊れさせまいとするように両手で頭を抱えた。

 床を染める紅茶に映る悪魔が笑っている。あふれた紅茶と赤い血。零れたミルクに泣くことは許されない。





「The Last Scene」



 彼は薄暗い車の後部座席に身を委ねて、溶けるように流れていく景色をただ眺めていた。薄暗い箱に身を委ねて。その横顔を心なしか色素の薄く見える黒髪が半ば隠している。

 瞬間、薄暗がりの中で白く煌く鉄。男は自分の腕を捕らえた白く冷たい輪を見て、刹那夢から醒めたような表情を浮かべた。しかし、次の瞬間にはそれは諦観の滲んだ微笑に取って代わっていた。視線は再度窓の外に向けられる。そして何かを独り呟く。声は無音にかき消された。


 何一つ、アリバイは無い。




















                                         The curtain fell on the last scene.

  1. 2010/01/01(金) 02:12:52|
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Qu’est-ce que c’est?



 こんな夢を見た。

 私は酸の海のほとりに立つてゐる。
辺りは蒸発した酸が霧となつて漂つてゐるので随分と目を遣られた。
仕方無いので私はゴオグルを掛けて酸の海を眺めた。

 酸は鮭の如く赤みがかつた鮮やかな桃色をしてをり、其処に一〇〇平米もあるやうな白い布が浮かんでゐる。

 ハテ、何故あんな所に布が?

「へえ、手前どもはああして布を作つてをりますんで」

 慌てて隣を見れば、何時の間にか酷く醜いせむし傴僂の男が私を見上げてゐる。

「其れは一体如何いふ意味?」

 傴僂はいやに明るい鳶色の目でニタニタし乍ら私を見た。

「埋められたばかりの、まだ白い経帷子がシヤンとした仏を機械に掛けると汁が出来ます。其奴をソウツとあの酸の海に流し込んでやると、汁が酸と何ヤラ化学反応を起こして固まるんで。手前どもの布は中でも物が良いから好く売れます」

 さう云つて慇懃に一礼すると、又ニヤニヤした。
傴僂からは何だか不快な印象を受けたが、私は成程然うかと思つた。

 私はもう一度酸の海に目を向けた。水面から立ち上る蒸気は宛ら湯気のやうである。

 然う云へば、私はこのやうなソツプを前に食したことがあつたものだ。あれは確か此処より少おし南へ行つた所の島であつたなあ。ちやうど此れのやうに鮭みたく赤みがかつた鮮やかな桃色をしてゐた。朦朦と湯気が出るホド熱々で、味は甘辛くて猶且つ酸つぱい。具は何も入つてはいなかつた。植物のやうな動物のやうな味。摩訶不思議だが、大変美味であつた!

 私は酸の海のほとりでそんなことを考へてゐた。







                                     了
  1. 2009/09/28(月) 23:51:53|
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Lao Lao Ting

勞勞亭



 こんな夢を見た。
気付くと私は真つ暗闇に立つてゐた。そして、何故だか判らぬが途方に暮れてゐた。
然(さ)て、私は一体如何したら良いのだらう? 此処が外なのは何とは無しに判つたが。
不意に前方に明かりが燈つた。亭(やかた)であつた。ぼうつと暗闇に唐風の白壁の輪郭が浮かび上がつてゐた。私はホツとして草に降りた夜露にズボンが濡れるのに構ひもせずに明かりに向かつて走つた。
 無我夢中で戸を開けて這入つた裡の景色に私は暫し立ち尽くした。其処は人倫通はぬ山奥の谷から沸き出づる川のほとりであつた。其の向かう岸の青青(あをあを)と苔生(む)した岩々の上に、唐朝の白い着物を着た十(とお)ばかりの少年(せうねん)が、丹塗りの盃(さかづき)を手に、頬にほんのりと赤みを差して、微酔(ほろゑ)ひの様子でゐたのであつた。真に愛(うつく)しく清らなる情景であつた。

「誰(だい)ね?」

 少年の眼が漸く私を捉へたやうであつた。

「貴方(わい)の、天下で最も人の心ば悲します処、旅人ば送る此処、勞勞亭さんなして来よらしたか良う覚へてんばつてん、そがんことはだうでん良か。此方へ(こけ)来てくれんね」

 さう言ひながら、少年は川を渡つて、此方(こつち)の岩へよぢ登つた。勞勞亭(らうらうてい)。支那の南京にあつたと云ふ旧蹟のことであらうか? 私は詩仙・李白の彼の地に就いての詩を幾つか知つてゐるに過ぎなかつた。

「おいはキクばい。おつと、江戸弁ばしやべらんと。おいは長崎ん生まれなんたい」

 頬のふつくりとした少年は、天真爛漫其の物の様子(やうす)で私を視て云つた。

「そいで、小父(おい)さんはなして死んだと?」

 其の言葉に私は不思議と衝撃を受けなかつた。相変わらずお国言葉は直つていないぢやないか、と思ひながら平然と答へてゐたのだ。

「仕事帰りに家の近くの道を歩いてゐたら、心臓が急に痛くなつたのだ。私はそんなに根を詰めてゐたかしら?」

 訊いておいて少年は私の答へに然して興味を持たなかつたやうだつた。

「小父(おい)さんは此処のどがん処か知つとつと?」

 然ては標準語を知らないのだなと私は思つた。

「いいや」

 少年は刹那、丸(まる)で何かに耐へるやうに眼を一寸(ちよつと)大きくした。

「死者ば次の世に送るとがおいの役目ばい」

 川の流れを盃で汲み、至る所に繁つてゐる菊の花を摘んで浮かべ乍ら、少年は続けた。

「菊より滴る露は此れ即ち霊酒なり。其の味ひ天の甘露の如くにして、恰も百味の珍に勝れり」

  少年は私に盃を差し出した。

「此(こ)ん流れは菊の葉に置く露が滴り流れて不老不死の霊薬となつとんのばい。気休めでしかんばつてん、次の命が長く続くごと、今はただ飲んでくれんね」

 少年は優しく微笑むと、懐から笛を取り出して、吹き始めた。楽に明るくない私には一体何と云ふ曲であるのかは皆目判らなかつたが、其れは明るく、無邪気で喜ばしい曲であつた。菊水を口に含むと、其れは確かに天上の味(あぢ)はひであつた。次の世が何(ど)のやうなものになるかは判らぬが、私は実に穏やかな心持ちで其れを迎へやうとしてゐた。



                                                      了
  1. 2009/04/16(木) 22:40:45|
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The Work


 こんな夢を見た。
私は冥い部屋に立つてゐた。さうして、隣の青年と共に床の中心に埋まつた、大(おほ)きなヴァルヴを視てゐる。其の内、青年はヴァルヴから眼を離して私に向き直つた。

「詰まり、斯ういふ訳です。貴方は此の、」

 其処で青年はもう一度ヴァルヴに眼を落とした。ヴァルヴの下から藍色の光が幾分か零れて、狭い部屋と我々の顔を照らしてゐる。

「ヴァルヴから光の差さぬブルーブラックの海へ潜つて、息継ぎもせずに果て知れずルビイの首飾りを探すのです。此奴(こいつ)が貴方の仕事です」

 青年は再び私に眼を向けた。へんに赤茶けた髪をした、色白の青年である。多分育ちが良ひのだらう、蒼い縦縞のシヤツをきちんを着てゐる。如何にも健康さうで好ましく見へた。若し明るい陽の下で出遭つてゐたなら、もつと好ましく見へたらう。

「其奴(そいつ)は随分と粗悪過ぎるシナリオぢやあないか」

 青年は笑つて、私から顔を背けて床のヴァルヴを撫でた。黝(あをぐろ)いヴァルヴの表面(へうめん)には伽藍鳥(ペリカン)の母子(おやこ)が浮彫になつてゐた。

「何、他のなんかも貴方のと然(さ)して変はりは有りませんよ」

「君は復(また)さういふことを云ふ。かう見へても海育ちだから泳げはするが、私は潜るのが苦手なんだ」

 青年は私を視て、憐れむやうに笑(ゑ)みを浮かべた。

「僕の仕事は何だと思ひますか?」

「さあ、ちつとも判らない」

 さう答へると、彼の眼は私の右手にじつと注がれた。

「其れを一寸(ちよつと)貸して呉れませんか」

 青年は私の手に有るものを指差して云つた。さうだつた。さう云へば、私は最前から手に花束を提げてゐたのだつた。
 兎も角、私は其れを青年に差し出した。彼は其れに手を伸ばした。彼が其れを掴んだ途端。其の途端、大輪の百合の花は粒子の縛(いまし)めを解かれて、真つ白な灰に為つて散つた。

「僕の仕事は斯ういふことですよ。花束を恋人に手渡す、たつた其れだけのことが何遍やつても出来ないのです」

 手のひらに僅かばかり残つた灰を弄びながら、青年は悲しげな微笑を湛へて其れに眼を遣つた。

「さあ、時間です。仕事を始めませう」

 さう云つた青年の手の先には、ヴァルヴの取り払はれた底知れぬ冥い海が有つた。





                                                                                                                     了
  1. 2009/04/11(土) 18:19:37|
  2. Strange Javas
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