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徒然福島

 クボノ宵の記事をほとんど書いたところでデータが飛び、完全に心が折れていたら更新が滞ってしまった。15周年の東名阪ツアーがスタートするっていうのに相変わらずまったく盛り上がらないメレンゲすげーな。クボンゲはツアー告知のリツイートもいいけど、弦ペリとの月見ル2マンも告知した方がいいと思うよ。みんな行こうぜ。

 最近何をしていたかというと、福島へ行った。そしたらなぜか我が師・ロマンチックおじさんが近場にいることが判明しメールして合流したのだが、「最近は携帯で居場所を突き止められるのか」と思ったらしく怯えていた。そんな機能はない。「福島駅の近くにいますって言ってたのにずいぶん遅かったじゃないか」というので徒歩20分のところにいたと言ったら「それは近くない」という顔をされたが、まあまあ近いと思う。

 ちなみにうちの先生は何していたかというと、ギャラリー・オフグリッドで華道家である片桐功敦(あつのぶ)さんの「炉心の花/臨界献花」という展示があり、そこで対談をしていたのである。この人は最近だと8ottoの新譜のジャケットを手掛けているが、2013年に南相馬市に8ヶ月ほど住んで被災地で花を活け続けた人なんだよな。人の作りあげたものがほとんど破壊された地で生い茂る草花を手折り、祈るように遺されたものに活けていく。その鎮魂の仕事は『Sacrifice』という作品集に結実している。言葉ではまったくうまいこと言えないんだけど、見た瞬間衝撃を受けた。ぜひ見てほしい。ほぼ日のインタビューを貼っておく。おじさんの新刊『性食考』の生け贄譚の章にも登場するのだが、まったく強烈だった。

 トークの内容もめちゃめちゃ面白かったんだが、うまくまとめられる自信はない。花をいけるという行為はサクリファイスである、という深い自覚をもって花を手折る華道家ってすごいよな。いけ花って花に鋏を入れるわけで、先生が言ったように「ものすごく暴力的」である。暴力が聖なるものに転じる。直前まで生かされていたものを血まみれた暴力にさらして捧げる。供犠だ。自然のものはじつはニエにはならない。なにか、人が手を加えてはじめてニエとなる。本当はいろんなところに、まだ供犠の風景が転がっているような気がする。ライブもまた供犠である。

 帰りはそそくさと抜け出してきたのに、新幹線の改札を通った先のニューデイズにロマンチックおじさんがいたのでぎょっとした。結局新幹線も一緒になった。この時間の売店はお菓子以外の食べ物があらかた売り切れているのでいつも食いっぱぐれるとぶつぶつ言っていたが、もうちょい早めに買ってください。何にもしてないけどなぜかいっぱい褒めてもらってなんかラッキーだった。






  1. 2017/09/14(木) 20:41:47|
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文フリ

 なんだかやっとちょっと何かやりたいという意欲が出てきた気がする。家庭がうまく行かずにこころが折れてからここまで二年くらいかかったので、やっぱり思ったより重症だったのかもしれないな。まあ医者とかにはかからなかったので、べつになんということもなかったのかもしれないのだが。とはいえ自分のこころのことなんか全くよくわからないので、まあちょっとやる気のあるうちにぼちぼち何かしら書きたいと思っている。なんかメールやコメントの返事も全然書けなかったりしたので、ホントに申し訳ない。まあ謝ったところで誰も見てないだろうけど、ホントにすみませんでした。

 とにかく何かしたいのだが、まだあんまりまとまっていないのでまずは自分を追い込もうと思って11月23日の文学フリマに申し込んでみた。よくわからないけど、文学に限定した同人誌即売会らしい。そんなにあれこれ書いたりかたちにする予算もないからどうしようかと思っているのだが、何か読みたいものがあったらこっそり教えてください。文学ならなんでもいいので、小説、批評、論文、いろいろやれる。出し物は未定だが、屋号だけは決まっていて、十靴堂(ジッカドウ)という。十足の靴を持って旅に出る男の神話があって、妙に頭に残っていたのでそこから取った。神話いいよな。パッと見、頭のおかしいやつの妄想みたいな話も多いが、少しずつ意味がわかってくるとじつに面白い。みんな講談社学術文庫の『常陸国風土記』を読んでください。記紀よか風土記の方がずっと面白いんだが、みんな全然わかってないのですよ。茨城県民は常陸国風土記を持っているというだけでめちゃめちゃうらやましい。

  1. 2017/06/16(金) 18:02:12|
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20150102


 気付いたらもう年が明けている。。。明けましておめでとうございます。今年もこんなとこ見てるやつはいないと思うがぼちぼちやっていこうと思うものである。という訳で今から2014年の反省を始める。

 去年は前半にめちゃくちゃ遠征しまくったら、後半は疲れ切ってフジとメレンゲ少し観たくらいで終わってしまった。2014年の個人的ベストアクトはフジファブリック武道館とSyrup16gツアー初日名古屋が同率一位。その次がメレンゲ渋公とアンディモリゼップとBOC幕張二日目か仙台。でも歴史に残るような素晴らしいライブばっか結構観れたな。とりあえずバンプはくっそ観た。楽しかったがお金はめっちゃ飛んでいったので次はもう少し考えようと思う。あとグッズを買うと、隠しているのにお母さんに必ず見つかってめちゃめちゃ怒られるので、怖くてあんまり買えなかった。チケット買ってもそんなバンドの収入になんねえんだよ! ていうかもう23なのにうるせえよ! まあ言えないっすよね。。。。。苦 

 あと去年は全然ブログが書けなかった。何かしらずっと書いてはいたのだが、PCつけるのが嫌すぎた。いかん。。。画面ずっとみてると目が痛くなるしな。去年は環境も大分変わって忙しかったというのもある。まあ言い訳をしても面白くないからいいが、今年はもっと書きたいっすね。年内に修論書かないといけないから忙しさは変わらないので、ハードルを下げて行こうと思う。

 今年の目標はもっと勉強すること、たくさん書くこと、インプットもこまめにすることだな。趣味面でのインプットが去年はいまいちできていなかった。小説を読まないと死ぬのに全然読めていなかったので、今死にそうである。去年読んで面白かった小説は、北山猛邦『オルゴーリェンヌ』、神林長平『ライトジーンの遺産』、乾石智子『夜の写本師』とか。他は忘れた。大掃除しながら読みふけった泡坂妻夫、梅崎春生、安房直子あたりはやっぱりいつ読んでも面白かった。個人的に泡坂妻夫で一作選ぶとしたら「ダッキーニ抄」だと思っているのだがどうだろうか。梅崎春生は「蜆」か「輪唱」だな。安房直子は「きつねの窓」はベタだがやっぱり忘れられないな。というか大体全部いい。

 しかし初夢はなんか禍々しい夢だったな。忘れることにして、バックホーンがフジQに出ていたらとか、志村とスカパラのコラボとかの妄想をした。

 そうそう、別に大したものでもないのだが、前に富士吉田に行った時の覚書をダイジェストだけどもネットプリントにあげてみた。番号はRYFE5SY3、A4二枚で写真入りなのでカラーで出力した方がいいだろう。120円かかるけども、興味があったらどうぞ。9日までコンビニで印刷できるはずである。

  1. 2015/01/02(金) 21:17:33|
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20140520

 全くもって忙しすぎる。授業以外の時間が全部バイトで埋まっていて、勉強は毎日楽しいが研究したり何か書き物する時間がないのである。時間が足りない。これは困った。かと言ってお金も足りない。お金を集めるのは苦手である。。これも困った。明日もロマンチックおじさんの授業で発表だが、必要な調べ物が出来ていないので静かに脂汗を流している。。オラに時間を分けてくれ。。。

 ここも色々書きたいことがあるんだけどな。ノートに書き留めた言葉がどんどん古びていく。書きたい。とりあえず今メレンゲがすげー楽しみである。えげつないDVDはもう届いているが、どうせ当分観る時間はないしな。。来週の発表が終われば少しは楽になるだろうか。ううむ。

 という近況報告である。一応生きている。






  1. 2014/05/21(水) 00:32:12|
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ロマンチックおじさんのこと

 小生の今の先生をロマンチックおじさんと言う。本人に言ったら確実にいじめられるのでこれは秘密のあだ名である。しかしなぜロマンチックおじさんなのか。いや、これが実に文章の上手い人なのである。とても豊かな文学的感性の持ち主で、先生の文章や研究はすべてそこに深く根ざしている。まあジブリが好きだったり、息子に買ってあげたファミコンのドラクエに自分がはまってしまい、3ヶ月廃人生活を送った人であると言った方が分かりやすいか。小生はもともとロマンチックおじさんの書く文章や問題意識が好きで、まあ遠い大学の先生だったからそれっきりだったのだが、いつの間にかこっちに引っ越してきていたので、これさいわいとラブレターを書き送って入れてもらったというわけである。ポエムを送ってから会いに行ったら、ラブレターに目をやりながらニコニコしていたので大変恥ずかしかった。だがなんか面白がっていたようである。

 しかし小生は魔法使いの弟子にでもなったような気持ちでいる。ロマンチックおじさんはぽつり、ぽつりと詩を読むように、呟くように話す。いくらか高くてちょっとかすれた、細い声でやや舌ったらずでもある。先生がちょうど10分遅れてやって来てハンドアウトを配り、時計を外し、「はじめます」と言った瞬間にもう、引きこまれてしまう。異端の学者が声ひとつで忘れ去られていた世界の扉を解き放っていく。もう一語一句たりとも聴き逃したくはない。当たり前だ。

 おじさんはシャイでどこか夢見がちな少年がそのまま真っ当に成長した感じの人である。学生をボコボコにすることもままあるので一部ではドSと恐れられているが、ちゃんと人を見て指導しているだけだ。ぶっちゃけ研究一筋の人で指導は期待しない方がいいだろうと思っていたが、とんでもない。指導の腕も確かだ。学問柄もあるんだろう。骨組を見透かすようにすべてを把握して、よいところは褒め、直すべきところは淡々と指摘する。この人に欠点をつつかれてもヘコまないのは、先生のまなざしがいつも温かいからだろうな。情けない優しさではない。これまで何かを守ったり手を引いてきただろう、しっかりした優しさである。多分先生は人の親として教壇に立っている。そんな研究者、今まで会ったことがなかった。助けが必要な人々に注ぐまなざしのあたたかさの奥には、「自分には手を差し伸べる義務がある」という強い自覚がある。小生はここで初めて、目指すべき「大人」を見つけたのかもしれない。どちらかと言えば小柄で、至って平凡な外見のおじさんである。しかしその中には途方もなく豊かなものが詰まっている。通い出してしばらく、小生にはロマンチックおじさんが歩く宝箱に見えた。マジである。

 ロマンチックおじさんは恥ずかしがり屋のくせにお茶目な人でもある。この間は何かの拍子に河童の話になったところ、急に目を輝かせて中国人留学生に「河童はいるんだよ! ウソじゃないよ、ホントだからな!」と言いだして信じさせようとしていた。バレバレである。また別の日、14時くらいに用があって先輩と研究室に言ったら、めっちゃキャラメルをもぐもぐしているところで、「おやつタイムに遭遇してしまった・・・!」と衝撃で立ち尽くしていたらいたずらっぽい笑顔でめっちゃピースしてきたこともある。フリーダム! いや、マジでクソカッコいい先生である。

 今日は小生が発表をした。今までと違う学科にもぐり込んだので勝手が分からず、向こうの人にとっては当たり前ではない前提を置いて話を進めてしまって、他の学生はドン引いていたが、小生はそもそもロマンチックおじさんのためだけに発表していたので、言われて初めて気付いたがそうかとしか思わなかった。クソ野郎である。直すべきところを指摘した後、先生はだが着眼点はいい、ぼくにはとても分かりやすい発表でした、と言った。びっくりした。小生は緊張するとどもってロクに日本語がしゃべれない。今までそんなことを言った人は一人もいなかった。当たり前である。なのになんでだ。それから話は進み、課題がいくつか出されたあたりで、誰かのコメントに先生はふっと笑顔になってこう言った。

「そう、それが××学の面白いところなんだよね。ちいさな、ちいさなところに目を留めて、なぜと思う、それを知りたいと思って掬いあげていく。そして、そのちいさなものから大きなものが掘り起こされていく。それが××学です。それをきみにも知ってもらいたいな」

本当に素敵な笑顔だった。先生は本当に心からこの学問が好きで、大切に、誇りに思っていて、手の中の宝石をそっと見せてくれるように小生にそう言ってくれたのだ。大切にしているものを見せてくれた。それがとても嬉しかった。そう、何かを知る、学ぶというのはとても楽しい。小生は今、間違いなく幸福な時間の中にある。先生が分け与えてくれるものを持てるだけ持って行って、いつかは他の誰かに分け与えたい。





  1. 2014/05/15(木) 01:06:15|
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