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君が強く望みさえすれば


 明けましておめでとうございます。暮れに風邪をひいてまだ治りきらない。日頃の行いが悪いと、こういう時困るな。去年は全然更新できなかったが、今年はいろいろ片付けなきゃならないことを片付けて書きたい。というか一番の問題はPCが壊れたことである。12月24日のために書いた小説も手書きのままだ。まあ自己満足だから載せる意味がどこまであるかと言えばそうなのだが、そのうちどうにかしようと思っている。

 ところでSONGSと紅白を観た。藤原、緊張してたな。でもめちゃめちゃかっこよかった。「ブラウン管の前で評価されたくない」って言ってたのにどうした、みたいなことを言われるが、その言葉の真意はプロモーション戦略の一環としてテレビに出ることはしたくないということだろう。BOCはけっしてプロモーションとして地上波のゴールデンタイムに出ることはしなかった。筋は通している。では今、紅白やMステに出ているのはどういうことかといえば、それはある種のレスポンスなのだ。リスナーの声に応じて、あえて派手で傷つきやすい場所に身を晒しに行っている。かっこいいよな。BOCはいま黄金期にいる。変な迷いがない。いや、最高だね。生きて年を取っていてよかった。新譜もジャケットださいが楽しみだし、幕張も楽しみである。

 というわけで相変わらずクズですが、今年もよろしくお願いいたします。


  1. 2016/01/02(土) 14:24:03|
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顔を上げて 黒い目の人 さあ目を開けて 君は強い人


 24日はいろんなものが終わっていく日だな。でもはじまりの日でもある。22日のフジファブリック、はじまりましツアーの六本木に行かせてもらったが、やはり小生も12月24日のもたらしたものをまだまだ探しに行っているんだろう。最高のものを見つけられた。山内はツアータイトルをなんか一生懸命説明していた。ただ、「はじまりましツアーはねー、はじまりましツアーじゃなくてはじまりましツァーなんすよ! もうはじまってんですよ! ・・・あれ?」みたいな感じで日本語としては言ってる本人含め誰も理解できなかったと思うが、だが言いたいことはすごくよく分かる。気がする。山内はへたくそな言葉で、一生懸命感謝や決意を伝えてくれる。そういうところがホントにまぶしい。「10周年っていう節目を迎えて、今さらやめるっていう選択肢はないんで!」と高らかに言い放った。世界一かっこいいアホの子だよ全く。力尽きるまでついて行こう。

 フジの三人にとってもメレンゲクボにとっても、志村の存在は現在進行形で語られるものである。だってずっとそこにいるからね。シンプルで強い理由だ。この人たちはこれからも志村に会わせてくれるんじゃないかと思う。ひこばえのように、そこからはじまっていく音楽だ。それが好きなんだよ。

 もう火曜日くらいからずっとBOCの新譜を繰り返し繰り返し聴いている。CDが届くまでなるたけ耳に入れないようにしていたのだが、金澤先生のラジオを聴いていたら唐突に流れた「コロニー」を聴いてしまってもう無理だった。CD届いたら余計止まんないよな。腹を括ったバンプはやっぱりかっこいい。いろいろ思うところはあるのだが、やはりその時々でまったく違う色に輝く。今日はなんかメレンゲのことで緊張しているので、まるで彼らのことを歌っているように感じる。「コロニー」の幾重にも取り巻く声が繰り返す「側にいて 行かないで 微笑んで 頷いて」というフレーズとかやめてくれという感じである。あと「Hello,world」は主人公がクボに思える。「もう駄目って思ってから わりと何だかやれている 死にきらないくらいに丈夫 何かちょっと恥ずかしい」ってそれぞれにリアルである。「ご自分だけがヒーロー 世界の真ん中で 終わるまで出突っ張り ステージの上」というところで、バンプの唄う「僕らについて」が「Hello,world」なのかもしれないと思った。関係なんかないけどな。

 なんかいろいろ覚悟したり楽観視したりしているのだが、これで今日ヤマザキが「これからはサポートとしてメレンゲを支えて行きます」みたいなことを言い出したらどうしよう。。。という心配をしている。次の藍坊主との2マンでヤマザキがいたらどんな顔していいのかわかんないよなマジで。震 いやいやウソである。そんなことあるはずもない。24日は終わりと始まりのウロボロスの日、笑ってサヨナラできるだろうか。





  1. 2015/04/24(金) 14:32:11|
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滅びへと今もパレードは続く


 東日本大震災から四年である。何かを思い浮かべる時は大体色のイメージだ。四年前の今日の色はよくおぼえている。淡紅色と机のニスのうすい飴色。あの日から確かに世界は滅びへと舵を切った。だから3月11日は幾重にも墓標だ。本当は滅びのはじまりであるとともに、いくつもの可能性ももたらされていたけれど、大体あっけなく潰えてしまった。選ばれなかった可能性への期待感と叶わなかった失望はまだ胸の内で生々しくよみがえっては消える。

 私は東北も原発も惨状も復興も結局大して知らない。ささやかな募金以外、ボランティアも何もしていない。語るべき言葉も何もない。けれどもやはりこの日ばかりは胸がざわつく。これをうまく語る言葉がほしい。何かは分からないが、目を凝らして耳を研ぎ澄まして脳みそを絞りつくさなければいけないものがそこにあるのは分かっている。

 BUMP OF CHICKENの「パレード」を聴いている。これは今日この日のための歌だ。もはやまともな日常を繋いでいたまやかしはずたずたになった。その裂け目から覗いているおぞましい現実を見よ。ばかばかしいパレードが続いていく。『はてしない物語』で虚無へ自ら呑み込まれていく人々の一群のように、今世界は間違いなく滅びへと狂乱のパレードを進めている。生存戦略を取らなければならない時がきた。生きなければならない。生き抜いて次の世代も生かすためにはどうすればいいのだろう。



  1. 2015/03/11(水) 23:44:33|
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BOCチャマとフジ金澤先生の共通点に関するちょっとした考察


 フロントマンとは別にMCを積極的かつ円滑に進める役割を担うのは、なんでか知らないがどのバンドもおおむねベーシストが多い。だがフジファブリックに関してはベーシストが油断するとアンプと同化し出す人なのでまあ別にそういうやつがいる訳である。その人こそ、我らがキーボーディスト金澤ダイスケである。でまあ、FAB STEPツアー初日の金沢で小生は何故か調子こき出した金澤先生が延々と自分のケツを自画自賛するのを聴いていた。うむまあ確かにいいケツかもしれん。だが小生は別におっさんのケツを眺めて興奮するような趣味はない。アゴマジ何ほざいてんだよ。そう思っていたが、その時何かが降りてきた。

 そういやチャマもだな。

 知らない人のために言っておくと、BOCのベーシストであるチャマは、レコーディングの時なんかにしばしば煮詰まったメンバーの前でケツを出す訳である。そうするとメンバーは「お前いいケツしてんな!」とか言ってパーン叩いたりする訳である。笑う訳である。その場がなごむ訳である。完全なる小中学生のノリである。

 で、そこからチャマと金澤先生の共通点について考えてみたところ、他にもあった。書き出してみよう。


・いいケツをしている。

これについては既に述べた。ちなみに両者とも自他ともに認めている感じである。小生、世の中の事情に疎いのでよく分からないがケツって重要なポイントなんだろうか。まあでもいいケツみたら確かにパーン叩きたくなるな。

・よくしゃべってうぜえ。

つまりは自己主張が強い。まあボーカルは疲れるからあんまりしゃべりたくない、あるいはMCが迷子になりがち等の理由で渡りに船と思っているのでギブアンドテイクである。

・女子力が高い。

ぶっちゃけ両者ともファッションセンスはシャレオツを通り越して奇抜というかまさにファッションモンスターだが見た目に気を使うところと、ともに実家が飲食店で料理の腕に自信を持っている点も共通している。というか容姿は女の子みたいである。おっさんのくせにな! あと割と他のメンバーに比べて容姿の変化が大きいのではないか。

・ステージ下手側にいる。

すげーどうでもいいことだが、バンド内でMC担当のやつって大体下手にいないか。チャマと金澤先生もそうだが、ツヨンゲ、キセル弟、ふくろうずのベース。。。まあこれは反証も腐るほどあるだろうからどうでもいいか。


 とまあざっと以上である。他にも何かあったような気がするが忘れた。要するに、バンド内にこういうポジションは必要だよなという話である。オチはない。

  1. 2014/05/03(土) 00:22:04|
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どうせみんな知っている星


 チャマが日付の変わる二時間前くらいからスタンバっていたが、今日はBUMP OF CHICKEN藤原基央の誕生日である。彼は今日、35歳になった。おっさんである。SNSでは祭りのようにファンが盛大に祝いまくっているが、彼の傍らにいるのはメンバー、ドラゴンアッシュ、あと岡田義徳だとか松田龍平だとか芸能人もいたかもしれない。でも苦しい時期を一緒に過ごした盟友みたいなバンドはいないんだろうと思わせられる。門田とか、今絶対交流ないだろうな。根拠は一切ないがしかしすごくそういう気がする。彼の痩せて丸まった背中にはいつも淋しい影だけが寄り添っている。

 ずっと優しいブレイバーだった。怖い顔で、でもあの不思議な深い声で語りかけてくる彼は、望めばいつでも手を差し伸べて引っ張り上げてくれた。物の考え方だとか色々なことを教えてくれた。彼の唄に守られて、育てられてここまで来た。

 でもそれは彼のすべてではない。彼には何かとても大きなもの、大切なものが欠けている。壊れている。彼は深く病んでいる。別にそれは悪いことではない。欠落が大きいからこそ、そこを補おうとするような大きな力が生まれてくる。何かが圧倒的に足りていないのは事実で、それをもっとちゃんと見つめたいんだよな。育ててもらった恩返しなんかはどうせできないが、彼をヒーローとして食い潰すのではなく、その一方で病み衰えた魂を掘り起こし、語り直すということはできないか。もうそれくらいしか敬意の表し方がないような気もする。それは本人がある程度望んだ事でもあるけども、イナゴのようにおいしいところに飛びついて食い尽すだけというのはなんかもう嫌なんだよな。

 いつか藤原も死の母の胎内に繋ぎとめられる日が来るのだろう。色々なことを思うが、とりあえずあと50年くらいは「死にそうで死なねえ」みたいな感じで騙し騙し生きてほしい。出来れば先に死にたいが、でも終わる所も見届けたい。矛盾してるかな。。笑 ありがとう。



  1. 2014/04/12(土) 23:55:10|
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