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ノート:空を飛ぶ


 桜が咲くと手紙が書きたくなる。志村のせいだ。

 ところでこの間、宮崎駿の『風立ちぬ』を観た。うちのロマンチックおじさんもよく言うのだが、宮崎駿の作品では必ず「空を飛ぶ」というモチーフが出てくる。繰り返し繰り返し、彼はそれを描く。それは少年の夢そのものなのだろう。『風立ちぬ』を観て、空を飛ぶ夢とは何なのだろうと思った。志村の詞にもホントによく飛ぶモチーフが出てくる。昔めちゃめちゃ数えたからな。

 だが注意深く眺めてみると、なんかどれも実際は飛べていない。あくまで現実は「蒼い鳥」なのである。あんなにいい曲なのに「シェリー」が未発表曲のままでお蔵入りしたのもうなずける。わざわざレコーディングまでして出さなかったのではなく、出せなかったのだ。まだリアルになっていなかったから。あの曲は志村のリアルになりきれなくて、ウソのまま宙ぶらりんになっていたのだ。あの曲がリアルになった未来が観たかった。それはあったんじゃないかと思う。でもそれは今になっては言っても仕方のないことなんだろうか。

 ただね、興味深いことに志村がいなくなった後で、志村のまわりの何人かのミュージシャンが志村を飛ばしているのである。それはどの曲か。奥田民生「えんえんととんでいく」、メレンゲ「火の鳥」だ。あとはGREAT3とかトライセラトップスとかが志村の歌を書いているが、それらには飛ぶモチーフがない。そして3人のフジファブリックはそもそもベクトルが違う。彼らの曲は志村へと向かっていくのではなく、志村から始まっているのだ。フジファブリックにとって志村は絶対に他者にはなり得ない。だから他者としてすくい上げるようなやり方は取りようがないのだ。どうです、かっこいいでしょう、フジファブリック。

 あの鳥を南方の、どこか懐かしい楽園へと飛ばした民生ちゃんと、蒼い鳥を不死の鳥へと生まれ変わらせたクボンゲ。どちらも優れた鎮魂歌(レクイエム)ではないか。なんか若いバンドが「フジファブリック好きです!」とかこぞって言うのをきくと、心の狭い小生は「好きの格が違うんじゃボケェ!!! 好きって言っていいのはこういう人たちじゃボケェ!!!」と思ってしまうので、なんかもうちょい「自分そんなん言える資格ないっすけど。。。」みたいな感じで言ってほしい。まあジョークである。そういうこと言ってる若いバンドもそれなりに聴いてるからね。

 ところで話は戻るが、「空を飛ぶ」ということは志村にとって何なのか。それは逃げ出したいという願望だと思う。逃げるという言葉にすぐマイナスのイメージを見出さないでいただきたい。逃げるという行為は、とても立派で伝統的でなおかつ多くの場合、非常に有効な戦略である。どんな生きものでも、基本戦略は大体逃げることではないか。だから志村も逃げてもよかったんだよ。そう、逃げてもよかった。


  1. 2015/03/25(水) 00:08:17|
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茜色の夕日 いろいろ


 フジファブリックの代表曲を敢えて挙げるなら、「茜色の夕日」という気がする。多分、ここで「銀河」なんかを挙げてはいけないんだろう。特に歌詞について云々と述べる気はない。フジQで氣志團が歌っているのを観て、なんだか色々と考えてしまった。何について考えたかと言えば、歌い方についてである。

 まず、本家であるフジファブリックの音源でも「茜色の夕日」は大まかに分けて2ヴァージョンあると考えていいと思う。インディーズとメジャーである。上手く言えないのだが、そこには明確な相違がある。「アラモルト」になるともうかなり「FAB FOX」に近いが、それでもやはりインディーズの歌い方だ。なんというか、「ロック」っぽい歌い方じゃないんだろうな。

 そしてこの曲は度々カバーされている。奥田民生。氣志團。後はよく知らないのだが空中ループのボーカルが弾き語りでカバーしたこともあるらしいな。そして残像カフェである。

 カバーを歌い方で分けたら、民生はメジャー、氣志團はインディーズ、残像カフェもインディーズだ。民生ちゃんはメジャーデビューして同じ事務所に入ってからの付き合いなので、当たり前だ。氣志團はやはり昔の印象が強いんだろうな。残像カフェは解散ライブでカバーしている映像がYouTubeで観れるのだが、これも笑ってしまうくらいインディーズの「茜色の夕日」だ。

 カバーだったら民生ちゃんに勝るものはないと思うが、でもなぜか残像カフェは嫌いじゃないんだよな。こいつらは本当に客が一人とかいう時代をフジと一緒に来たんだなあというのがよく分かるんだよな。なんだかうまく言えないんだが(そればっかりだ)、そういうものの価値ってやっぱりあるはずだ。

 しかし、「茜色の夕日」のインディーズの歌い方ってあれは訛りなのかもしれないな。どうもそんな気がする。

 今日はかとをさんの誕生日だが、メレンゲを観に行ってくる。そういやクボは江戸っ子みたく「ひ」と「し」の区別がついていないよな。あれはむしろ八重歯のせいか。八重歯の歌い方っていうのも特殊だ。八重歯の歌い方を極端にしたものがテナーのホリエじゃないか。しかしそれにしても、もしメレンゲが「茜色の夕日」をカバーしたらどんな歌い方になるんだろう。




  1. 2011/08/02(火) 10:00:38|
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アポリア、メレンゲ、邪推

 3月もほとんど終わりで、発売まで2週間切ったか。。。ジャケットは「ソラニン」の浅野いにおの書き下ろしってなんか気合を感じる。サンボマスターの時のようにクソかわいい女の子だろうかと思っていたが、観た瞬間不思議な気持ちになった。なんとも言えない深遠な瞳の少女である。浅野はメレンゲにどんな世界を見たんだろうか。。。

 収録曲は、

01.旅人
02.untitled
03.夢の続き
04.アルカディア
05.ルゥリィ
06.ムーンライト
07.火の鳥
08.嘲笑(作詞:北野武 作曲:玉置浩二)

カバーが入ったというのが驚きだが、一瞬「untitled」は初恋の嵐のカバーかと思った。2002年くらいにカバーしてたよな。。。いつかまたカバーしてほしい。

 前にも書いたが、今回の新譜はまずフジファブリック志村のことを念頭に置いた曲が収録されると思う。クボは彼に出来る方法で、つまり音楽に昇華することであのことに向き合うしかないのだからな。。。TRICERATOPSは「invisible~透明のハグ~」という曲を作り、奥田民生は「ひとりカンタビレ」を。。。。

 大親友のクボが音楽で何もしない訳がない。だからなんとなくアルバム全体がそういうコンセプトなのかと思っていたが、人と話していたら「自分はその中の1曲だと思う」と言われてなるほどと少し考えを改めた。確かに、片寄明人は明確に「1曲にプロデュースで参加した」と発言しているし、だとしたら山内がギターを弾いているのも片寄と同曲のみと考えた方が自然だ。山内はくるり・斎藤和義のサポートで忙しい身だから、複数曲に参加しているという可能性は低そうだしな。

 しかし、制作時期が時期なので、程度の差こそあれ全体的にそういった思いはあると思う。まあリリース前にどれだけ下手な邪推をこね回してもなんの意味もないが。。。苦笑

 少し遠いインストアライブの参加券を配布しているタワレコまで行って予約してきたので、なおさら待ち遠しい。中止にならなければいいが……苦笑







  1. 2011/03/26(土) 10:50:06|
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血統

 楽を聴いているとふと、血というものについて考える。いや、世の中には誤解して喜ぶ変な人がいるので言い直すが、血筋についてである。

 例えば初恋の嵐を聴いていると、「これはまさにサニーデイの直系だな」などと思うのである。ぶっちゃけあのあたりについては全く詳しくないのでこういうことを言うのもアレだが、個人的に渋谷系というとオザケン・カジヒデキとサニーデイで二分される感じなのである。

 オザケンは出自・教養ともにぶっ飛んでいて「共感し得ない音楽」と最初から構えているからあんなに気色悪くても楽しめるが、カジはそうでないので許せん。単に雰囲気を作っているだけだろ。いや、なんとなくである。

 しかし、サニーデイというとサウンドこそキラキラしているけれども、やっているのはモテない冴えないやつらであって、それ故の滑稽さと苦悩がにじみ出た人間臭さがある。というイメージがある。音楽はよく知らないが、曽我部恵一は「出れんのサマソニ」の件や何かで大分熱い男なんだなあと知って見直した。

 「サニーデイの子どもたち」といったら色々いるんだろうが、あまり知らない。ゴーイングとかもか? メレンゲは血は繋がっているけどもかなり遠い親戚という気がする。曽我部はたしかダブルオーテレサなんかをプロデュースしていた気がするのだが、でもダブルオーよりかは初恋の嵐の方が嫡系の気がする。

 自分から進んでおどけてしまうのは違う気がするのだ。初恋の嵐はその冴えなさが滑稽に映ってしまう、そのことをおどけて乗り切ってしまうのではなく、しっかりと受け止めている。初恋の嵐はどう見ても情けないのに、歌詞なんかは大分男らしい。くよくよと悩むくせに、きっぱりと振り切ろうとする。まあ歌にしているくらいだから多分あんまり実行はできていないだろうが。

 というわけで、初恋の嵐はサニーデイの息子だなあとよく思うのである。オリジナリティがないということではない。同じ魂を受け継いでいるというか。。。まさに親子のようだと思うのだ。


 同じことはフジファブリックと奥田民生にも言える。音楽的にフジファブリックは民生の息子だと。ユニコーン・民生のフォロワーはサニーデイの比じゃなく多い。20後半~30代くらいのミュージシャンを集めたら、10人に9人は愛聴しているだろう。でもこれだけしっかりと血を引いているバンドはいないんじゃないか。

 ぱっと見あまりにも派手に変テコなのであれだが、その実これほど似ているバンドはない。今更言うのもばかげているが、今でもシャッフルして「開店休業」がかかるとユニコーンなのかフジなのか歌が始まってしばらくしても分からない。苦笑 魂が似ている。

 多分、民生の抱える寂しさと志村の抱える寂しさは同質だ。でも民生はそこから目を逸らすのに長けている。やつは知っているのだ。それを直視し続けたら潰れてしまうのを知っている。その反面、志村は真面目で不器用だ。同じことを知っているくせに目が逸らせないんだ、やつは。たまに逸らしてみるけれども、その逸らし方はやっぱり民生似だなあと思う。でも民生の方が何枚も上手だ。逸らせないから志村は吐き出す。もし民生がそれを吐き出したら志村みたいだろうな。ただし、吐き出し方は志村の方が上手いかもしれない。。。

 お互い、それは分かっていたんじゃないか。民生はだからフジをかわいがったんじゃないか。志村の様子を見ていて気がかりだったかもしれないが、自分の血を引いていれば上手くやるだろうと思ってたんじゃないか。。。


 奥田民生は絶対に自分の本心を見せない。見せるとしたら一瞬だ。けれどもこの一年は、その瞬間をよく目にしたような気がする。







  1. 2010/12/20(月) 14:57:12|
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ひとりカンタビレについて、少し

 生ちゃんは今年の前半に、常人には到底真似できないようなぶっ飛んだツアーをこなし、アルバムを出した。何がすごいって、アルバム用の新曲をツアーでレコーディングしてしまうという荒業に出たのだからいかれている。・・負けた。

 というわけで、上半期は雑誌でしばしば見たくもない民生ちゃんのドヤ顔を見る羽目になった。腹立つわ。ゆるいふりをして実は半端ないハードワークをこなしていたりするところも腹立つ。

 腹立ちまぎれにパラパラとインタビューをめくってみると、こんなことをやろうと思ったきっかけについて答えていたりするわけである。「オレってすごいんだぞって見せつけたいのもあったよね」などと抜かしているのに苦笑する。いや、わかってるから。というか、さり気なさを装っているが今回のコンセプトについて気になっている節があるので意外とこちらはマジである。しばらくするとある箇所にぶつかって思わず食い入るように読んだ。


「他のミュージシャンとかって、『作るの大変でした』とか『悩みました』って言ってるの、よく見かけるじゃん? でもそんなことないと思うワケよ。みんなほんとは楽しんで作ってるはずなのよ。悩んだことも含めて、『作るの大変だったんですね』っていう風にみられることもあるんだけど、そういうのは嫌だし。実は楽しんで作ってる、楽に作ってるっていうのを見せたかったのよ。『ああ、楽に作ってるんだなあ』と見られたいというのもありまして、今回はこういう形でね」


 というようなことを言っていた(大意)。

 いや、あいつ思い出すんですけど。民生ちゃん、あんたはそれを本当は誰に言いたかったんだ? ・・・志村にじゃないのか? フジ宛てのいくつかのコメントの中でも、「もっと楽にやればいいのよ、30過ぎたら楽に作れる」というようなことを言ってたよな、民生ちゃん。。。

 あんた、それを志村に見せてやりたかったんじゃないのか。へこたれてた志村を叱りたかったんじゃないのか。・・・それに『OTRL』の歌詞は全体的に何故か志村を連想してしまうんだよ。ふざけてるよな。気持ち悪いよな。でもそんな風にこじつけてしまいたくもなるんだよ。。。全く、自分が嫌になるぜ。。。。

 



  1. 2010/12/18(土) 15:08:47|
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