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20160624


 このあいだのライブからずっと、ペリドッツを聞いている。高音はたとえようもなく美しいが、低音もまた嫌味のない自然な色気があふれ出ている。大人だ。歌詞も現実の世界に鋭い爪を立てて表皮を切り裂き、本質を抉り出す。メレンゲはペリドッツと比べると、どうしようもなく子どもだ。もう子どもではいられないが、でも大人にもなり切れていない。宙に浮いている。これは彼らの問題だから、小生は何も言えない。どうせ年取っていくんなら、かっこよく取りてえよね。年相応になれないんじゃないかというおそれ。それはおれにもある。

最近のメレンゲ/クボンゲは正直ベストとはいいがたいと思う。観るたびより高みへと昇りつめていた時を知っているから、そうじゃないだろうと思ってしまう。もっとやれるでしょう。観たいのは、聴きたいのはあれだ。


 なんだか何がしたいんだかわからなくなってぼんやり過ごしていた。何か書く以外には何もできない小生である。でも何が書きたかったんだっけ? それがわからない、小説を読んだ。音楽にまつわる小説だ。これだと思った。この熱い思いを書きたい。音楽によってのみ与えられる、圧倒的な力。なにか分厚い壁を何枚も何枚も突き抜け、貫いて、目を潰すような輝きを烈しく放ちながら天へ届くようなもの。それを書きたい。いやまあ音楽だけじゃないけどね。書ききってしまえばこっちのものである。やはり今でも、一生ペンと紙を握りしめていたい。この胸にある火をつねに掻き立て、ペンに注ぎ込み、刻み付けたい。


 ああ、今日は24日だ。志村のことを考える日もある。考えない日もある。だが、その存在はもうとっくにこの自分の生活の中に、人生のなかに基礎づけられているように思う。

誰かを忘れた世界は単調に続いていく。そのずるずるとした連なりに、ひとつ、ひとつ、楔を打ち込んでゆく。静かにしめやかに死したるものを悼むということはしない。烈しく、何度も何度も叩き起こし、思い起こさせよう。それがこの小生のたましずめだ。

  1. 2016/06/24(金) 23:16:25|
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爆心地

 6年か。ここしばらく全然違うことばかり考えたりいろいろしたりしていたが、やっぱり戻ってしまう。

 その時その時で無数のプレイリストを作って聴く。フラットな頭で聴くと、こんなポンコツでも新しい気付きがある。動いていない様に見えても、確かに進んでいる。

 意識的に止めたはずでも、いろいろ流れて進んでしまって、今ではもう確かな結果が着実に過去からの道を塞えて未来へ道を伸ばしている。

 それでも6年が経とうと、還ってくる涙のふるさとはいつも同じ風景のままだ。いつまでも汲みあげる言葉が代わり映えしないで似通ってしまう。そんなのはおかしいと思っていたが、違うのかもしれない。爆心地、グラウンド・ゼロ。還ってくるのはいつだって変わることのない澄んだ悲しみとどうしようもない愛着だ。

 これから先も何度だってあなたのことを語り直そう。志村。限定された心のある時空の永遠の中で。




  1. 2015/12/24(木) 01:11:50|
  2. 音楽
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20150624と0710

 最近たべることにまつわることにはまっている。おかげで最近腹が出た。これはおそらく確実にロマンチックおじさんの影響である。ロマンチックゼミに入りたてのことは他人と食事をすることに対してまったく楽しみを見出せなかった、いやむしろ苦痛でしかなかったのだが、小生もだいぶ感化された。ロマンチックおじさんはじつにたべることの好きな人で、酒がのめない体質のせいか甘いものに目がない。そしてわりとなんでも好ききらいなくおいしそうに食べる。ただし、酒とそばと納豆が苦手らしい。でも出されれば内心泣きながらも何でもない顔で食べるクチである。だって男の子だからね。

 それはどうでもいいのだが、ロマンチックおじさんはだれかと食事をするのが好きでよく「みんなで食うとやっぱりうまいんだ」とか言っている。たしかに実際それはあるよな。小生も家族の人数が多い家で育ったので、大勢でものを食うのがいつも当たり前だった。だったのでおかしをひとりで買って食ってもあんまりおいしくない。よっぽど空腹のときはさすがに別だが、自分の分がさして残らなくても誰かと分けてたべた方がずっとうまい。でもなんかそういうもんだよな。

 ずばり先生が誰かと食事したがる理由は先生が20年間単身赴任していたからだ。ひとりで飯食って味する? それはたまに食うからだよね。ずっとひとりで飯食ってるとね、だんだんたべることが文化でなくなっていくんだよね。先生はそう言っていた。

 ところで今日はわれらがフジファブリックの志村正彦の誕生日である。「たべる」というところから志村のことを考えるとなんか強烈に悲しくなってくるな。2009年なんか全然ものを食っていなかったし、もはやくいものの味なんか感じられていなかったんじゃないか。生きるというもっとも根源的なはたらきが、どんどん文化という次元から壊れてこぼれ落ちていっていたに違いない。志村は睡眠時間も削りまくるしな。生きることがどんどん投げやりになっていく。それはやはりだめなことなんだろう。志村は不器用だな。人生には大事な手を抜けないことが多すぎて、抱え込んでもぽろぽろと腕の間からこぼしてしまう。それは志村だけではないが、なんか志村の姿はどこかとても象徴的なのだ。それに何とも言いがたい愛着をおぼえる。

 35歳か。まあ山総はあんな(足りてない)感じだし桃白白はショルキー光らせてるし、かとをさんはやっぱりありがたい感じなので、35歳のしむらもきっと相変わらず電車で見かけた女の子をストーキングしたりしてるんだろうな。うむ。でも「35歳までに結婚したい」と言っていたから、誰かと食卓を囲む姿を思い浮かべてもいい。30℃を暑いと感じられて、食事をおいしいと感じられる暮らしを受け止めて形作ってくれるものはやっぱり家庭なのかもしれないな。志村は大人になりきれていないんだろうな。むしろだからまだ寄り添っていられるというのはある。今年もありがとう。そして誕生日おめでとう。



  1. 2015/07/10(金) 23:21:15|
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20150524

ハッピーバースデーツーユー
書いて満足して、うっかりここに載せるのを忘れていた。
ガッデームである。





 なんだかもうすっかり暑い。夏が近づくと暑さで意識はどんどん身体から遠のいていく。生まれて20年以上経ってだんだんルーティーンに倦み果てつつあるのだが、それでもそれはやっぱりただの思いあがりである。生きるのはやたら忙しいし、そして不思議でもある。なんだかやっぱりよく分からない。生きてるってホントに変なことだな。

 忙しくて大げさに志村のことを考えることもなく一ヶ月が過ぎた。志村正彦という人間がもう電車で見かけたかわいい女の子をストーキングしたり、ご飯を食べたり眠ったり不気味な顔をしてステージに現れることが二度とないということについて、あまり正面切って考えなくなってきた。いや、今こうして書いているとやはりこみあげてくるものはあるのだが。デカいかさぶたは触るとやっぱりずるむけるので慎重に触れずに過ごすようになっている、いつの間にか。

 しかしだからといって別に忘れるというのとは違うのである、これが。なんか志村のことがもう当たり前に生活の中に沈められているのである。生活の端々でごくごく自然に志村のことを想起している。今でも。志村がこういうことを言っていたとかこんな癖があったとかくだらないことを何気なく考えている。別に知り合いでもないのに。だが割と自然に自分の一部に志村の一部がなっている。

 フリスクは迷わずピンクを買う。でもコンビニはセブンよかローソンの方が好きだな。その件に関しては志村よすまん。敢えて考えたりはしないけど、今も時々どうしようもなくこみあげてくるよ。

  1. 2015/06/11(木) 23:00:35|
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顔を上げて 黒い目の人 さあ目を開けて 君は強い人


 24日はいろんなものが終わっていく日だな。でもはじまりの日でもある。22日のフジファブリック、はじまりましツアーの六本木に行かせてもらったが、やはり小生も12月24日のもたらしたものをまだまだ探しに行っているんだろう。最高のものを見つけられた。山内はツアータイトルをなんか一生懸命説明していた。ただ、「はじまりましツアーはねー、はじまりましツアーじゃなくてはじまりましツァーなんすよ! もうはじまってんですよ! ・・・あれ?」みたいな感じで日本語としては言ってる本人含め誰も理解できなかったと思うが、だが言いたいことはすごくよく分かる。気がする。山内はへたくそな言葉で、一生懸命感謝や決意を伝えてくれる。そういうところがホントにまぶしい。「10周年っていう節目を迎えて、今さらやめるっていう選択肢はないんで!」と高らかに言い放った。世界一かっこいいアホの子だよ全く。力尽きるまでついて行こう。

 フジの三人にとってもメレンゲクボにとっても、志村の存在は現在進行形で語られるものである。だってずっとそこにいるからね。シンプルで強い理由だ。この人たちはこれからも志村に会わせてくれるんじゃないかと思う。ひこばえのように、そこからはじまっていく音楽だ。それが好きなんだよ。

 もう火曜日くらいからずっとBOCの新譜を繰り返し繰り返し聴いている。CDが届くまでなるたけ耳に入れないようにしていたのだが、金澤先生のラジオを聴いていたら唐突に流れた「コロニー」を聴いてしまってもう無理だった。CD届いたら余計止まんないよな。腹を括ったバンプはやっぱりかっこいい。いろいろ思うところはあるのだが、やはりその時々でまったく違う色に輝く。今日はなんかメレンゲのことで緊張しているので、まるで彼らのことを歌っているように感じる。「コロニー」の幾重にも取り巻く声が繰り返す「側にいて 行かないで 微笑んで 頷いて」というフレーズとかやめてくれという感じである。あと「Hello,world」は主人公がクボに思える。「もう駄目って思ってから わりと何だかやれている 死にきらないくらいに丈夫 何かちょっと恥ずかしい」ってそれぞれにリアルである。「ご自分だけがヒーロー 世界の真ん中で 終わるまで出突っ張り ステージの上」というところで、バンプの唄う「僕らについて」が「Hello,world」なのかもしれないと思った。関係なんかないけどな。

 なんかいろいろ覚悟したり楽観視したりしているのだが、これで今日ヤマザキが「これからはサポートとしてメレンゲを支えて行きます」みたいなことを言い出したらどうしよう。。。という心配をしている。次の藍坊主との2マンでヤマザキがいたらどんな顔していいのかわかんないよなマジで。震 いやいやウソである。そんなことあるはずもない。24日は終わりと始まりのウロボロスの日、笑ってサヨナラできるだろうか。





  1. 2015/04/24(金) 14:32:11|
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