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第○回 志村正彦を讃える会

 今年もやってまいりました、我らがフジファブリックのボーカルギター志村正彦の誕生日。37歳か。めちゃめちゃ快晴でめちゃめちゃめでてえ。いや、最高の日でしょ。

 年取ると誕生日なんかうれしくねえよって言う人は結構いると思うんだけど、個人的になぞだ。誕生日は歳をとる日っていうより、やっぱり自分が特別な存在であることを許された特別な日と思っていいんじゃないのか。たとえ仕事でくそみたいに消耗するだけの日だったとしても、おめでとうと言ってくれる人がいなくても、その日の輝きはすっかりかき消されてしまう訳ではない。誕生日はその人が自分という当たり前の存在を肯定的に問い直す日であってほしいし、自分にとってはわりとそうだし、あんたにとってもまだそういう日であってほしいんだよ。誕生日なのでめちゃめちゃ褒めてやる。


 朝、急行の降りる駅を乗り過ごしたから、新宿14番線電車に飛び乗って大学に行き、今はコーラを飲みながら高円寺にいる。誕生日おめでとう。あれからいろいろ変わったけど、今でも最高だ。
  1. 2017/07/10(月) 18:59:46|
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フレパ

 オリオンをなぞってきた。正確には田淵の残像をなぞってきた。いや、よかったです。意外とユニゾンとフジって対バンしてないよな。そして意外とメレンゲの方がユニゾンと対バンしてるよな。何気にユニゾンとメレンゲならソロ含めて二回くらい観ている。ちゃんとしたファンではないので、ファンのみなさんが斎藤氏をなんと呼んでいるのか知らないのだが、小学校の同窓会で「さいちゃん、ミュージシャンなんだって? エグザイル歌って!」と言われて歌えなかったエピソードの印象がバリ強いので、彼はさいちゃんである。「Ti Amo」、今でも思い出します。イケメンで、MCも面白く、しかも歌もギターも上手い。クボンゲもさいちゃんの爪の垢を煎じて飲んでいただきたい。

 明日もあるので、あまり曲のことは話さないようにするけど、いやあ結局久しぶりなのでどの曲もめちゃめちゃうれしいんだよな。フジの曲を浴びるのを体が喜んでいるような感じがあった。田淵に感化されて七色に光り輝くショルキーを抱えて出てくる変なキーボーディストもいたが、かとをさんが。あんなに動くかとをさんを観るのは初めてではないかというくらい動いていた。今日はかとをさんの故郷の方角に向かって五体投地してから寝ようと思う。

 山総がしきりに気にしていたが、今日はSMAの中堅バンドの二大巨頭の2マンということで事務所の偉い人がたくさん観に来ていたらしい。「今日が盛り上がらないと、ぼくらこれから活動しづらくなります」みたいなことを言っていたが、言うまでもなく杞憂でしたな。

 それにしても山総のギターを生で聴くってホントに贅沢な時間だよな。。。そして声の伸びやかさよ。演奏もすばらしいけども、山総の人柄もホントに最高だよな。ホントに邪気がないんだよな。「お客さん、なんでこんな最高なの?」みたいなことを彼はライブ中よく言うと思うんだけど、山総ほどの純度で「今自分たちのライブを受け止めて、一緒にこの空間を作り出しているオーディエンスは掛け値なくすばらしい」と思っていて、そしてそれが一切のフィルターを通さずに全身からダダ漏れてるミュージシャンていないんじゃないか。どこで何してるか全然わからないやつらの集まりなのにさ。そんなことホントに信じて言えるなんてあり得るのかよ。ホント、ウソみたいに綺麗なんだよな。なんというか、彼の放射している陽のエネルギーってすごいよな。勝手にもらっちゃっていいんだろうか。ステージの上の山内総一郎は本当に美しい。一切力んでいないんだけど、しかし無駄も一切ない。ミュージシャンとしての本能だけでそこに存在しているような人だ。機能美としての美しさがある。またこんな美しいものを目の当たりにしてしまった。バチが当たりそうだよな。。。

 アンコールでさいちゃんと「若者のすべて」をやったのだが、なぜどいつもこいつもフジのカバーというと判で押したように「若者のすべて」なんだろう。いや、さいちゃんの「若者のすべて」はすばらしかったし、後輩バンドがフジをカバーするというのは非常にうれしいことだし、メレンゲもカバーしてくれよと思う、最後のはちょっと関係ないが、それとこれとは別の話で気になるんだよな。「若者のすべて」はたしかに名曲だが、これがフジファブリックの代表曲ですというのはピンとこないんだよな。それよか「銀河」やってみろよと意地悪を言いたくなる。その点、さらっと「タイムマシン」なんかをぶっこんでくるクボンゲはやはり本質をついていると思う。「タイムマシン」を歌えるミュージシャンなんて、なかなかいないだろうな。

 という訳で今日のライブを総括すると、これから開演前のかとをさんにユニゾンのライブ映像観せてほしいということと、山内総一郎はやっぱり国の天然記念物に指定するべきだということと、あと来年はフレパにメレンゲを呼んでほしいということである。以上、解散! 

  1. 2017/06/30(金) 23:32:32|
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20161224

論文が全然進まねえ。年内最後だったので大学図書館に行ったらOPACが使えず、ほしい雑誌は書庫が閉まって取り出せなかった。おれの論文は終わった。。。それ以外にもいろいろ終わっている。メンタル的にはまだこれからだが。そんなこんなで今年ここに載せるものがない。去年のやつは驚くことにまだ打ち直しが終わっていない。なんでこんなにしんどいのか。いや、あれはわりとしんどいか。何を書いたのかというと、折口の『死者の書』である。どうしてもモノ語りをやる必要があると思った。他者から死者を語るのではなく、死者自身が語り手に依りつき、語る。うまくやれたのかはまだ分からない。
今年もあれこれ考えてはいるのだが、なぜか論文の傍ら手が自動筆記しているのはちょっと違うものである。やっぱりよくわからない。ただ、動機はいつもなにか欠けているものを取り戻したいということにかえっていく。
しかし今年の12月24日のトピックといえば、やはりクボンゲの「クリスマスタイム」だろう。クリスマスソングに欠かせないものは二つあると思っている。猛烈な寒さ、さみしさと否応なしに包み込むような温かさだ。さみしさのないクリスマスソングは聴けない。いいクリスマスソングをどうもありがとう。でも最近、今まで後生大事に抱えてきたさみしさと、人としてあっていいはずのささやかな幸福の折り合いがうまくつかない。やっぱり小生のクリスマスはしばらくそんなハッピーにはならなそうである。
ホント七年とかなんなんだよ、意味わかんねえよ。やはりこの日はアポリアとして、溶け残った飴玉みたいに心の底に転がっている。
ところで三連休だからってそこかしこでいちゃついてやがるアベックども、俺たちの志村の呪いによって、今後地味な不幸に見舞われるだろうから覚悟しておけ。
しかし志村のそういうベクトルのポテンシャル高いところがホントに最高である。
  1. 2016/12/24(土) 23:15:11|
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20160624


 このあいだのライブからずっと、ペリドッツを聞いている。高音はたとえようもなく美しいが、低音もまた嫌味のない自然な色気があふれ出ている。大人だ。歌詞も現実の世界に鋭い爪を立てて表皮を切り裂き、本質を抉り出す。メレンゲはペリドッツと比べると、どうしようもなく子どもだ。もう子どもではいられないが、でも大人にもなり切れていない。宙に浮いている。これは彼らの問題だから、小生は何も言えない。どうせ年取っていくんなら、かっこよく取りてえよね。年相応になれないんじゃないかというおそれ。それはおれにもある。

最近のメレンゲ/クボンゲは正直ベストとはいいがたいと思う。観るたびより高みへと昇りつめていた時を知っているから、そうじゃないだろうと思ってしまう。もっとやれるでしょう。観たいのは、聴きたいのはあれだ。


 なんだか何がしたいんだかわからなくなってぼんやり過ごしていた。何か書く以外には何もできない小生である。でも何が書きたかったんだっけ? それがわからない、小説を読んだ。音楽にまつわる小説だ。これだと思った。この熱い思いを書きたい。音楽によってのみ与えられる、圧倒的な力。なにか分厚い壁を何枚も何枚も突き抜け、貫いて、目を潰すような輝きを烈しく放ちながら天へ届くようなもの。それを書きたい。いやまあ音楽だけじゃないけどね。書ききってしまえばこっちのものである。やはり今でも、一生ペンと紙を握りしめていたい。この胸にある火をつねに掻き立て、ペンに注ぎ込み、刻み付けたい。


 ああ、今日は24日だ。志村のことを考える日もある。考えない日もある。だが、その存在はもうとっくにこの自分の生活の中に、人生のなかに基礎づけられているように思う。

誰かを忘れた世界は単調に続いていく。そのずるずるとした連なりに、ひとつ、ひとつ、楔を打ち込んでゆく。静かにしめやかに死したるものを悼むということはしない。烈しく、何度も何度も叩き起こし、思い起こさせよう。それがこの小生のたましずめだ。

  1. 2016/06/24(金) 23:16:25|
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爆心地

 6年か。ここしばらく全然違うことばかり考えたりいろいろしたりしていたが、やっぱり戻ってしまう。

 その時その時で無数のプレイリストを作って聴く。フラットな頭で聴くと、こんなポンコツでも新しい気付きがある。動いていない様に見えても、確かに進んでいる。

 意識的に止めたはずでも、いろいろ流れて進んでしまって、今ではもう確かな結果が着実に過去からの道を塞えて未来へ道を伸ばしている。

 それでも6年が経とうと、還ってくる涙のふるさとはいつも同じ風景のままだ。いつまでも汲みあげる言葉が代わり映えしないで似通ってしまう。そんなのはおかしいと思っていたが、違うのかもしれない。爆心地、グラウンド・ゼロ。還ってくるのはいつだって変わることのない澄んだ悲しみとどうしようもない愛着だ。

 これから先も何度だってあなたのことを語り直そう。志村。限定された心のある時空の永遠の中で。




  1. 2015/12/24(木) 01:11:50|
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