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鳥の鎮魂歌

 寺尾紗穂さんの新譜を聴いている。前に遠野で聴いた「やくらい行き」が入っていると知ってめちゃくちゃ楽しみにしていたのだが、とてもいい。

 「やくらい行き」はわらべうたのような調子で福島にある薬莱山に伝わる姥神の伝承を歌う。幼い姉と妹が薬莱山へ登る。姉は途中で転び、うどのとげで目を突き、病んでしまって里へ下っていく。やがて亡くなって薬師如来となる。妹は姉を気にかけながら山頂に至り、姥神となった。姉の引き返していった道を振り返り振り返り山を登っていく姿がまなうらに浮かんで切ない。あちこちに広くみられる古い山の神の神話が沈められた、忘れかけられていたちいさな伝説がこうしてまた息を吹き込められて胸を揺さぶることがうれしい。

 楽しみにしていた歌は期待のとおりに素晴らしいものだったけど、アルバムを通して聴くよろこびもまた大きかった。石牟礼道子の詩に曲をつけた「夕刻」(GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーのアンビエントギターが涙の出るほど美しい)からはじまり、鳥の歌が多い。本人は「曲を並べてみると「いのち」が歌われているものが多いことに気がついた」と書いているが、いのちが鳥のイメージをとっているようにもおもえる。父である寺尾次郎さんの葬式の日にできたという、表題曲の「北へ向かう」もまさに鳥の鎮魂歌だった。いとしい魂は南へ、生きているものは覚悟とともに北へ向かうのかもしれない。

 鳥の鎮魂歌が気になりだしたのは、フジファブリックの志村正彦の死がきっかけだった。もともと彼の書く詞には鳥や飛ぶモチーフがよく出てきたが、注意深く読むと、ほとんどどれも妄想のなかでさえ飛べていない。そんなことも気になっていたが、彼の死後に親しいミュージシャンたちが発表したレクイエムにいくつか強い印象を残す鳥の歌があった。奥田民生の「えんえんととんでいく」とメレンゲの「火の鳥」。「えんえんととんでいく」は明確にレクイエムであるとは語られてはいないが、そうだと思っている。奥田民生はあの鳥を「傷ついた あちこちを 治しながら」南の島――妣の国――への永遠の旅へと飛ばした。メレンゲは飛べない蒼い鳥を永遠の鳥へと生まれ変わらせた。

 あるいはBUMP OF CHICKENの「angel fall」もまたマイケル・ジャクソンへのレクイエムで、傷つき死んでいったスターが銀色を纏う一羽の小鳥の姿で、限りない労わりと敬意を込めて歌われている。

 大切な人を亡くした時、その魂を鳥に託して歌う人に、表現者として特別なものを感じる。それは神話の時代から民話を経て今へ続く、古い古い根源的な想像力なのだと思う。



  1. 2020/04/15(水) 23:44:37|
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20200127

 あけましておめでとうございます。なんか知らんが体調が悪くて、ぐだぐだなまま1月が終わろうとしている。病院は行ってないけど、行った方がいいんだろうか。嫌いなんだよな。。。20代後半になるとやっぱりガクッとくるんだなと実感している。そういや折坂悠太もしきりに健康の話をしていたな。

また例のごとくライブ納めはクボンゲのクリスマス会で、ライブ初めはメレンゲ東名阪ツアー初日だったわけだが(本当は他にもあれこれ行きたかったのだが、チケットを取りそびれた)、特にワンマンがよくてびっくりしてしまった。ここしばらくのバンドのライブは(偏頭痛でヘロヘロになりながら観に行っていたりしたので、こちら側のコンディションもかなりあるとおもうが)なんだかだるい感じで警戒していた。しかしふたを開ければメンバーのモチベーションも高いし、バンドの魔法がはっきり作用したライブだった。クボンゲの弾き語りもいいんだけど、やっぱりバンドが観たいんだよなということをおもいだして、なんだか胸が熱くなった。ソロや他の活動はすべてバンドのための試行錯誤だと言っていたが、それが今もそうだとしたら、今年こそはマジでバンドでゴリゴリ動いてほしい。

それにしても、彼らのやる気に火をつけたのは、最近クボンゲのお世話をしてくれているミツハシ君a.k.aドラ氏の存在が大きいのだと思う。歴代マネージャーの100億倍くらい有能で、ツイッターでの告知から物販からサポートギター、セットリストを張り出したり、ローディまでやっている。前にクボンゲがファンに向けて「なんか手伝え」的なことをツイートしていたけど、そのあたりがきっかけなんだろうか。とにかく、元々ファンだから行き届いている。ありがとう、ありがとう。。。女子とはやりにくいだろうから、こういう有能な男子がいてよかったなと思う。自分はそもそも何もできないので、ドラ氏には感謝しかない。でもやばかったらすぐ逃げてほしい。

ライブはよかったんだけど、クボンゲはやっぱり声の出に納得いっていない顔をしていた。あの人全部顔に出るからな~~ 「シンメトリア」とか歌えなそうな気がするんですが、どうなのか。彼はここ数年ずっと自分の声にうまく向き合えずに苦しんでいるように見える。そういう知識はなにもないのでどうすりゃいいとか知らないけど、ボイトレとか行かないのかとは思う。怖かったらテサキを連れて行けばいい。知らないけど。やっと受け入れた自分の声がまた手に負えなくなってきた。怖いけど、一生付き合っていかなきゃならないんだよな。それにしても、最近中村中や女王蜂のアヴちゃん、戸川純なんかの声との苦闘について考えていた。ひとりでのたうちまわるしかないけど、おれたちも骨は拾うんでがんばっていただきたい。

そんなこんなでメレンゲやっぱいいなとおもって、バンプばっかり聴いていたがここ一週間くらいはメレンゲをじっくり聴いている。なんか松本素生ともやっているっぽいので、それはぜひバンドでかたちにしてもらいたい、とにかくバンドで何か出してくれ頼む。という感じで今年もどうぞよろしく。

 どうでもいいけど、坂口恭平のこの曲がいい。この人の曲、そんなには聴いてないんだけど、寺尾紗穂さんが時々カバーする「飛行場」とかもめちゃくちゃいいんだよな。寺尾さんの歌がめちゃいいというのもありますが。

  1. 2020/01/27(月) 15:21:43|
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20191224



10年だ。あっという間だったとは思わない。いろいろあったし、もう10年前に戻りたいとは思えないほど大切な出来事もたくさんあった。でも2009年は未だに振り返るとすぐそこにあるような気がしてしまう。これから先もそうなんだろうか。

10年のあいだ散々書いてきたけど、志村正彦の死とは結局何なのか。やはり10年経とうがそれは直視すれば吸い込まれてしまうような暗く深い穴、アポリアとしてある。10年間を振り返ってみると、最初の何年かはとにかく、志村の最期があまりにも志村にとって救いがなく無残なものにしか思えず、抱えきれずにのたうちまわっていた。そしてその癒しがたいものを癒えないままに、繰り返し繰り返し傷口を抉って刻みつけようとしていた。忘れることを、忘れられることを恐れていた。

しかしここ数年はもはやそうではない。それはすべて残されたフジファブリックの3人のおかげだ。彼らくらいの年代のバンドが軒並み動員を落としていくなか、ガンガンリリースし、仕掛けていき、動員を増やしていく。その一方で、繰り返し繰り返し、重要な場面でフジファブリックにおける志村の存在の重要性を確認し、強調し、認知させてきた。その成果は目に見えるかたちで身を結んでいる。10年が経った今、どれだけ多くの人が志村の誕生日を祝い、そして今日富士吉田に集うか。そのなかには死後に彼に出会った人びとも決して少なくないだろう。これだけのファンがいれば、さびしくないよな。12月24日がたださびしいだけの日ではなくなりはじめている。もうかたちを失くして世界に溶けてしまった者とのあいだに繋がりを生み出してくれる日だ。これもある種の祀り上げなのかもしれない。ライブやメディアであんなにうれしそうに、大事そうに志村の話をするんだから堪らない。クボのクリスマスライブも同じ働きをもたらしている。彼の終わりの意味をよりよいものに塗り替えていく。

それにしても、志村は一番ひねらずに自然に作る曲がひねくれてヘンテコで言いようもなく魅力的なのに、悶えながら彼の才能とはかけ離れた端正な曲を作ろうと努めていたところにものすごく大きな苦しみがあったように思う(そういう曲がよくなかったわけでは決してない)。でもそれは3人が引き受けてくれた。引き受けてしまったとも思うけど。今度はつまんない制約は捨てて、やりたい放題にヘンテコな曲を作りまくってくれよ。

心臓が止まったのは夜明け前だろうか。取り残された、暗く凍てついて孤独な部屋を10年後の未来から思う。こっからだって温めてやれると思っている。


  1. 2019/12/24(火) 00:37:05|
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20191122

行ってきた。折坂悠太、最近なかなか観に行けていなかったので、めちゃくちゃ楽しみにしていた。一言でいえば、最高。出てくる人出てくる人、みな異常に声がいい。最近のロックバンドは大半が中性的というか、甲高い声のボーカルばかりで正直うんざりするようなところがある。しかし今日の演者は低音の美しい声の人たちばかりだ。こうしてじっくり聴くとわかるが、低音のなかには実に豊穣な響きがある。だからのろしレコードの三人のコーラスワークは本当に素晴らしかった。butajiもやはり一人の声の中に含まれている響きが豊かで、折坂とのコーラスはそれだけですさまじい多幸感がある。

折坂悠太はだみ声、だみ声がまた一段とよくなっていて興奮してしまった。いいですね、素晴らしい。彼はかなりいろんな歌唱法を織り交ぜて歌うけど、やはりだみ声の魅力をよく理解している歌手だなと思う。特に喉歌的な倍音歌唱が聴くたびにうまくなっていて、最高。素晴らしい。それをもっと聴かせてくれ。

語りと歌が分かちがたく結びついている。そういったスタイルの歌手をたくさん聴くわけではないのだが、懐かしいと感じる。そしてそれはこれからもなくならないだろうと思う。むしろまた増えるのかもしれない。

それにしても、ガットギター一本の表現力の凄まじさよ。O合奏もめちゃくちゃいいが、弾き語りの世界観の解像度はまったくそれに劣ってはいない。声ひとつ、ギター一本で成立する強度を思う。

ゲストは青葉市子、のろしレコード(松井文、夜久一)、butaji、イ・ラン。のろしレコードは二曲、それ以外は一曲ずつだったが、やはりもっと聴きたいと思ってしまう。青葉市子との「百合の巣」では声の響きだけで掛け合いを混ぜているのが印象的だった。のろしレコードでは二人はアコギを持ち、折坂はフラットバックのマンドリンを持つ。アコギを使うのはこの二人とbutajiだけなので、かえってアコギの音がいつもと違って聴こえる。

イ・ランとは「調律」を歌う。韓国の音楽はたまによくわからずパンソリを聴くくらいでまったく知らないんだけど、これはとてもいい曲だ。生で聴けてとてもうれしかった。そしてイ・ランさん、カッコよくてかわいい。

ライティングもほぼ演者を囲むように立っている3,4本の照明がメインで非常に抑制が効いていて、幻灯機をのぞき込んでいるような感覚があった。900人規模のホールの客席との距離感を縮めていた。暗いので目は疲れたが。

「また会いましょう」と言って本編ラストにやった曲が「さびしさ」なのが、余韻を残してとてもよかった。

ライブ盤を出してほしいライブだった。ツーマンツアーを通してそれぞれの対バン相手と育ててきた曲があり、それをひとつのアルバムとして聴けたらと思う。


  1. 2019/12/01(日) 14:13:47|
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古海鐘一先生を讃える文


突然ですが、好きな漫画家の話をする。古海鐘一先生が好きだ。多分先生のことを知ったのはまだあの人がアマチュア時代、自分が高校かそれくらいの頃だったと思う。要は推しの推しで、好きなイラストサイトがあってそこの木花さんという人の推しが古海鐘一先生=ギ県さんだったのである。まだ垢抜けないユージンがいて、黒田ではなくて渋い眼帯のおっさんが助手だった時代である。といってもわたしはオタク文化をよく分かっていなかった(今もだが)ため、サイト上のイラストを眺めていただけだったが、同人誌というかたちで『バベルハイムの商人』の物語はすでに紡がれていた。そこから商業作品となり、マッグガーデンで連載が始まる。惜しくも5巻で打ち切りになってしまうが、今度は小学館のウェブ漫画サイトでリメイク版が連載されるという不死鳥のごとき復活を遂げたかと思いきや、またもや非情にも打ち切り決定、電子書籍のみの全6巻リリースがアナウンスされたのが2019年11月現在である。憤怒ッッ

『バベルハイムの商人』は、ひょんなことから運命金貨という悪魔の交易世界の通貨を手に入れた人間たちのもとを悪魔商人ユージン・グリフィスが訪う、オムニバス形式の物語である。ざっくり言えば『世にも奇妙な物語』とか『笑ゥせぇるすまん』みたいなストーリーをエドワード・ゴーリーのような細密画風の絵で描いている。いろんなバリエーションで人とか悪魔が死ぬ。リメイク版の新エピソードがどれもよい。オペラ座の怪人回は泣いてしまった。おれの特に好きなキャラは黒田(フランケンシュタインのショタ)と伊丹少年です。決して正義の心を失わず、知略の限りを尽くして闘う伊丹少年はめちゃくちゃ主人公然としているので、伊丹少年が主人公のスピンオフシリーズをぜひ読みたいです、先生。

特筆すべきは絵で、ものすごくストイックにこまごまとした小物に至るまで風俗やヴィジュアルを徹底的に調べ上げて描き込んでいる。一コマ一コマの情報量がすごい。ちょっと他にない画風だと思う。おれはそれがすごい好きなんですよ。潰れた人体を描く時のパーツの残し方とかが好きなんだけど、そんなに潰れるわけではないので安心してください。あと子どもがかわいい。キャラクターの描き方はオタク受けするような風貌かというと、ちょっと違うのだと思う。でも古海先生の豪奢でストイックな研鑽から来るタッチと知識が落とし込まれた絵は魅力的だ。この人はイラストレーターとしても昔からちょこちょこゲームのキャラクターを描いたりしているので、そちらで知っている人の方が多いかもしれない。

でも一番好きなのは、この人のギャグセンスなんだよな。かつて集英社かなんかのウェブサイトの片隅で『二ツ角の鈴子』という四コマの連載があったのだが、マジで最高だった。もうウェブサイトは閉鎖されてしまったので、ツイッター上に残された断片しか読むことはできない。思春期の子どものもとへその幼心を象徴する愛用品を引き取りにやってくる鈴子という不思議な少女の一話完結の物語だったはずだが、幼心がありすぎる富豪の少年のキャラが強すぎてギャグに振り切れた作品になった。最高。『バベルハイム』はわりあいシリアスでギャグが抑えられているのが(仕方ないのだが)もったいない。「ウィークエンド・ゾンビーズ」みたいなのがもっと読みたいんですよ。ぜひギャグマンガをもっと描いていただきたい。というか、同人誌とかで『二ツ角の鈴子』をちゃんと読めるようにしてもらえないだろうか。マジで読みたいです先生。

あと古海先生の悪いところをあげてもいいだろうか。それは真面目すぎるところ、慎重すぎるところ、完璧主義なところではないか。細部まできっちり詰めるまで納得できない性分はプラスに働いてもいるが、マイナスに働くこともしばしばある。「商業作品となったものを同人に再び戻すことはできない」という主義信条はわかるけど、本音を言えばクラウドファンディングなんかで紙の豪華版を作ってほしい。金なら出す。新連載の企画案も、しばしば考えすぎてドツボにはまってしまう。それを思うと苦しい。ユージンの高潔さ、潔癖さ、それゆえの脆さは分身のようだ。もう少し汚くしたたかになっても怖くないと言いたいけど、でもそういう融通の効かなさを抱えたまま頑固に描くことが許されてほしいと強く思う。

とにかく古海鐘一先生はいいぞ。これからも応援しまくっていく所存なので、先生には一生楽しく漫画を描いていてもらいたい。というわけで、みなさんもうっかり買ってください


  1. 2019/11/18(月) 21:41:49|
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